いしゃたま!

□彼と同室、彼女と弟、そうして、
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「よっ、生きてるか」

「……お陰さまで、」

 開かれた部屋の戸から顔を覗かせた、僕の友は、声の割りにはぎこちない表情だった。
 布団から体を起こせば何処が痛いのかも分からないくらいに痛い。

 本当に、お陰さまで、満身創痍ながら学園へと帰り着き、僕の『卒業試験受験資格取得試験』は終了となった。

「入りなよ、留三郎」

 そう僕が言えば、「おう」と小さく頷いて、一歩、保健室へと踏み込む。
 それでもまだ、迷うようにうろっと戸の方を見る彼に、僕の口の端にじんわりと笑みが浮かんだ。

「……ちどりさんは、いないのか」

 そう僕に聞きながら、留三郎の顔は此方へ戻った途端、僕の口許を見て、ほんの少しだけ眉間を歪める。

「今は、包帯を洗いに行って、多分ついでに薬草も採りに行くんじゃないかな。それか、干した薬草の確認をするのかもしれない」

 あの追撃の雨霰の中でも、ちどりさんに傷を着けず学園へと戻れた事を僕は誇るべきかもしれない。
 まあ、大泣きはされたのだけれど。

「……忙しそうなんだな」

「それがちどりさんの仕事だもの。……座りなよ。この通り御構いもできないけれど」

 留三郎はまた少し眉間を歪めて、それからゆっくりと僕の直ぐ脇に腰を下ろした。

「お茶飲みたかったら勝手に淹れてね」

「うん」

 今は、何時もの格好着けた兄貴じゃないらしい、僕の同室は素直にこくりと頷いて、火桶の上に置かれた鉄瓶に手を伸ばす。

「お前も呑むか」

「頂こうかな」

 留三郎はまたこくりと頷いて、それからマジマジと僕の顔を見る。

「どうしたんだ」

「……怒ってねえのか」

 そう言ってむっつりと僕を睨むようにしている。
 僕はきょとんと呆けてしまった。

「怒るって……何をだい」

「何をって、」

「君達は充分謝ったじゃないか」

 大泣きしたちどりさんが「やり過ぎです!」と怒鳴るや否や、応援席まで纏めて皆が一斉に「やり過ぎました!」なんて頭を下げるんだもの。可笑しかったなあ、って、

「いたたたた……」

「だ、大丈夫かっ!?」

「いや、笑うと脇腹が痛くって」

 正に片腹痛いだ。
 長次の気分が、今なら何となく分かる気がする。

「……留三郎、僕はね」

 はあ、と、息を整えば、包帯が腹を閉める感覚。
 だけど苦しくはない。流石は僕の後輩達とちどりさんだ。

「寧ろ、感謝しているよ」

 納得していない顔だな、と思った。
 口をへの字に曲げて、僕を見ている。
 拗ねたみたいな顔。全く君は、一年生から変わらない。人の事を我が事の様に怒って、泣いてくれる。

「だって、お前……」

 口はへの字で、眉ははの字だ。
 後輩は勿論の事、同輩にも絶対に見せない顔。僕だから知っているその顔。
 留三郎は、やがて、小さく息を吐いて、僕に湯飲みを差し出した。

「……一人ですっきりした顔しやがってさあ」

「そりゃあ、覚悟ができたもの。自分の心さえ定まれば、もう大丈夫なんだよ」

 留三郎を見れば、しんねりと俯いている。
「俺は謝らない」と言っていた勇ましさは何処へ行ったんだろう。
 湯飲みの茶は充分過ぎるくらいにぬるい。僕が不運で火傷をしない為なんて分かりきっていて、全く甘い奴だなあなんて考えている僕こそ、そんな彼に甘えてきた、六年目の、秋。

 秋も盛りを過ぎて、日が落ちるのが随分と早くなった。
 留三郎の俯いた顔を影にしている戸からの日射しは、もう茜時の色を差し込みだしている。

「ねぇ、留三郎。君はもしかしたら何かを勘違いしてはいないかな」

 顔が上がった。
 怒られるのを待っている子どもみたいな顔に、遠い昔の君が重なる。

「僕の諦めの悪さは、君が一番知っているだろう」

 目がふっと見開かれる。
 衣擦れの音。そういえば彼は、僕の分しかお茶を淹れていない。
 此方へ身を乗り出した留三郎の目を、僕は真っ直ぐ見返した。

「留三郎……君だけに預けていた僕の夢を、ちどりさんにも預けて構わないだろうか」

 留三郎は、一瞬の間を置いて、くしゃっと顔を歪めた。
 でも泣き顔なんかじゃない、それは、辛うじて笑顔なんだ。

「……お前のもんじゃねえか、俺に了承取らなくて良い」

 僕も、僕も多分、似たような顔だ。

「……そうだね。すまない、」

 いや、違う。此れではない。

「ありがとう。留三郎」

 此れでも、もどかしい程に伝わりきらない。

 僕と出会ってくれた。
 僕と一緒に笑ってくれた。
 僕の為に怒ってくれた。
 僕の腕を引いてくれた。
 僕の隣に立ち続けてくれた。
 僕の、

「気にするな」

 六年目の、秋だ。

「同室だからな」

 春だってまだ来てない。
 だけど、きっと僕は卒業の時よりも、今この時を、別れの時の様に思う。

 悲しくは無い。
 あるのは、苦しいくらいに深い感謝だ。


「断言する。君に出会えた事が、僕の生涯最大の、幸運だ」


 留三郎が、僕に手を差し出した。

 握り返したそれは、どちらがどちらだか分からないくらいに、互いに堅くて熱くて、傷だらけだった。

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