いしゃたま!
□彼と彼女と
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不破君に手を引かれ、私はお寺の庭へと降り立った。
濡れた顔を拭えばヒリヒリと痛む。
ああ、そうだ。青蓮尼様に、何か一言、と、振り返れば、既に縁側で静かに立っておられた。
全く気付かなかったと、此方を見て微笑んだ青蓮尼様に、私は言葉を探す。不破君は私の手を引き、青蓮尼様からまた離れた。
「あのっ、また来ます!」
結局良く分からない言葉を其処に残して、私と不破君は寺を後にする。
青蓮尼様は、見える限り、最後まで笑顔だった。
「……ちどりさん、走れますか?」
不破君に頷けば、彼もまた頷き返し、急ぎましょうと呟いて、二人、山道を走り出す。
直ぐに息が苦しくなったけれど、些末な事だった。
何故なら此れは逃げている訳ではない。
私は今、伊作君に向かって走っていってる。
途中縺れそうになる足を、不破君の手に支えられて何度も引き上げられながら、私は走り続けて、そうして、漸く、着いたらしい。
不破君が止まった。
息に殆ど乱れの無い彼に対して、私はといえば喉が熱く痛く感じる程で、苦しいのに上手く息ができない。
胸を抑えながらなんとかかんとか息を整える。
膝から下が、ガタガタと震えていて、殆ど感覚が無い。
汗だくも汗だくだ。こんなに必死に走った事なんてそうそう無い。
「なんだ、不破。抱えてこなかったのか」
「……はは、一度そうしてしまったら、下ろして差し上げれそうにも無かったので」
何時の間にか立花君がいて、不破君と私を見下ろすようにしている。
いや、立花君だけじゃない。
「ちどり姉さん……」
「…………数馬、」
傾斜を登りきれば、数馬が、立花君の直ぐ後ろから歩み出て来た。
顔を上げて見てみれば、二人の向こう側には学園の生徒達が人垣を作っている。
数馬は不機嫌な様な、泣き出す前みたいな、でも笑っていてと、なんだかとても複雑な表情をして、私の手を包むようにした。私の手は熱く、数馬の指は、少しひんやりとしている。
人垣がわっと沸き上がった。
「三反田」と、立花君が数馬の肩を叩く。数馬は頷いた。
「姉さん、大丈夫だよ」
脈略が無い言葉だったけれど、私はそれを継げた数馬の気持ちが何と無く分かってしまった。
泣き笑いみたいな顔の数馬の頭を抱き寄せて、少しだけ撫でて、私は、人垣の方へと歩みだすのだった。
「さあっ、裏々山山頂まで後僅かです!!」
「この展開を果たして誰が予想したでしょうか!?」
尾浜と庄左ヱ門の声が何処か遠く、膜の掛かったものに聞こえる。
近くで聞こえるのは、砂と土が擦れる音、衣擦れと、息遣い。僕の隣に、もうひとつ。
「あの忍術学園一ギンギンに忍者している潮江文次郎先輩と、不運大魔王善法寺伊作先輩が肩を並べて競り合っています!!!」
不運大魔王とは何度聞いても大概な渾名だと思う。
そう、どうやら僕は今、文次郎と並んでいるらしい。
だけど、今の僕に、正直言ってそれを気にする余裕は無い。
ただ、ひたすら前に、前にと進む。
酸欠か鈍く痛む頭の奥で何度も反響するのは文次郎の言葉だ。
諦めの悪いのが、僕の強さだと、そう怒鳴る声が、チカチカとする視界にまで形となって見えているような気分だ。
僕は、それを掴もうと、腕を伸ばして、身体を力の限り、引き上げた。
「善法寺先輩!潮江先輩!同着です!!」
そんな尾浜の声と共に、今日一番の歓声が聞こえる。
腕を着いて起こした身体は恐ろしい程に重い。
汗が息と共にバタバタと地に落ちる。
其処へ差し出された文次郎の手も、くらくらチカチカして見えた。
喉から込み上げる妙な息を堪えながら僕はその手を掴む。
掴めば力強くぐいっと引き起こされて。
「……やっぱり文次郎には敵わないや」
そう言ってみれば、僕の目には全く息ひとつ乱してないように見える文次郎はふんと鼻から息を洩らす。
「俺とお前じゃ鍛え方が違うんだよ。だが、此処まで走り続けてきたお前に対しての同着は、負けたも同じだ」
「文次郎……ぶえっ!?」
いきなり背中に衝撃。
文次郎が僕の背中を強かに叩いたのだ。堪らず僕は地面に崩れ倒れる。
「お前は、多分そこまでヘタレでもねえ、だからまあ、」
大丈夫なんじゃねえのか、と、踵を返し、山道を降り始める文次郎。
その背を地面にへたりこんだまま見送る僕の耳は、喧騒の中に、ある足音と声を聞いた。
「……ご、ごめんなさい皆、ちょっと通して…………」
予感と共に振り返った先には、彼女が、ちどりさんが人垣からまろび出てくる所だった。
ちどりさんが、此方を見る。
僕は、笑った。
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