いしゃたま!

□彼と同輩、彼女と彼
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 溜め息とも、苦笑ともつかない音が、はふ、と口からこぼれ落ちる。
 文次郎は、僕を見下ろしながら動かない。

 僕は彼から目を離さず、一歩ずつ踏み締めるようにして近付いていく。

 三歩、歩いた時に、文次郎の背後からわらわらと出て来る後輩たちの姿。
 何時の間にか司会が尾浜と庄左ヱ門に切り替わったみたいだ。

「さて、七松先輩とのデスマッチに大きくコースアウトしたかに思えた善法寺先輩が戻って参りました!」

「対するは忍術学園一ギンギンに忍者している男、六年い組潮江文次郎!!なお、此処からの司会は、鉢屋三郎、今福彦四郎に代わりまして、私五年い組学級委員長の尾浜勘右衛門と」

「一年は組の学級委員長、黒木庄左ヱ門がお送り致します!」

 つくしマイクを握り締めて真面目なんだかふざけてるんだか分からない真剣な表情の二人に、またはふと音が溢れた。

 文次郎に目を戻す。
 相も変わらず厳めしい顔だ。他人に厳しく、それ以上に自分に厳しい僕の同輩。
 焼き締めて鋭く磨いだ刃の様なその心が、一度折れかけた事を僕達は知っている。

 調度そんな時だったんだ。文次郎と僕達の前へ、ちどりさんがやって来たのは。
 それが文次郎にとって良かったのか、それとも悪かったのかは分からないけれど、後から思えば、必要だった様な、そんな気がしている。

 少なくとも、僕がちどりさんを思う様になった切っ掛けは図らずも、文次郎とちどりさんの睨み合いからだと、今になって気付いた。
 色は三禁と手厳しい文次郎が切っ掛けの一端だなんて、彼がそれを知ったらどんな顔をするだろう。


 然し……と、思いは巡る。

 然し……最初は随分と厳しい目でちどりさんを見ていた文次郎だったから、先日の学園祭であんな風に僕と彼女の様子を訪ねてきてくれるとは思わなかった。

 いや、意外でも無いのかもしれない。彼は自分にも他人にも厳しいが、同時にとても仲間思いだ。
 それはもう昔から、どんなに折れかけても文次郎は真っ直ぐのままだ。



 濡れて重たい僕の足は、漸く文次郎の直ぐ前へと立つ。

「両者睨みあっております。忍術学園一ギンギンに忍者していると評される潮江文次郎先輩は一体どの様な関門を繰り出すつもりなのでしょうか!!」

 庄左ヱ門の淀み無い実況が辺りに響く。
 文次郎は眉をひくりと動かし、(おもむろ)に息を吐きながら頭を乱暴に掻いた。

「……思ってたより、早かったじゃねえか」

「うん……小平太と長次にも言われたよ」

 僕が笑えば、厳めしいしかめっ面はぎゅっと更に険しくなって、でもそれは笑顔になる前兆な事を僕は知っている。

「では、遠慮はせん。尋常に勝負しよう」

 ほら、やっぱりと。不敵な感じに歪む口の端を見て、僕も更に笑う。

「君が僕に遠慮しないと聞ける日が来るとは思わなかった」

 それには僅かにきょとんとした顔をする彼だった。

 僕はまたやっぱりと思う。
 無自覚だったとは、文次郎らしいよ、と。

 文次郎は目を瞬いていたが、やがてまた表情を引き締め、ばっと後方を指差す。



「後一町程で山頂だ……そこまで俺と、匍匐前進だっ!!」

「えっ」

「「「えっ」」」

 僕の「えっ」と、観客の後輩達の「えっ」が辺りに響き渡り、文次郎はまたもやきょとんとしていた。
 庄左ヱ門が、固まっている後輩たちの中からてててっと駆け出してきて、文次郎の隣に立つ。

「善法寺先輩、観客共々、関門の内容に大きく戸惑っておりますが、匍匐前進であるというその意図をお聞かせ願いますか?」

「えっ」

 今度は文次郎が「えっ」を溢す。
 つくしマイクを文次郎へ傾ける庄左ヱ門に掛かるのは「庄ちゃんったら冷静ね!」という一年は組達お馴染みの掛け声だ。何故か尾浜と鉢屋も其処に混ざっていた。

「……そりゃあ、合戦場に置いては銃弾や砲撃を避けながら敵の目を掻い潜り移動せねばならない!故に、匍匐前進で多くの距離を進めるというのは忍者にとって必要な鍛練の一つだ!!」

 文次郎の声がつくしマイクを通して辺りに反響する。
 観客の中にいる一年は組の団蔵が「あれ、委員会でも何時も言われている……」となんとも微妙な表情で呟き、周囲の会計委員会の生徒達が皆、微妙とも神妙ともつかない表情でうんうんと頷いていた。

「成る程。然し、この傾斜の強い山道を我々観客達に見られながら匍匐前進で登られるというのは、合戦の想定とは少々擦れかあるように感じるのですが」

 庄左ヱ門の淡々とした声に、またも「庄ちゃんったら冷静ね!!」と声が上がる。
 冷静というか、これはもう只の怖いもの知らずだろうと僕は思った。
 観客席の後輩達の何人かは、僕と同じ様な引き釣った表情をしていた。

「……山道を軽々と登れるのであれば、平坦な道を長距離でも進めるというものだ」

 然し、文次郎は忍耐の男だった。
 またも団蔵が「そう言って良く山道を会計委員会で匍匐前進したなあ」と感慨深げに呟き、は組の子ども達は「ほげげ〜!」と驚愕なのか感心なのか分からない声を上げた。

「……モソ、」

 その時だ。
 観客達と共に着いてきたのだろうか。長次が観客の輪の中からぬっと現れて庄左ヱ門の肩をつつく。

「あ、はい。何でしょう。中在家先輩」

 つくしマイクは長次に傾けられた。身を屈めながら長次はモソモソと話し始める。

「…………文次郎は、自分は何を伊作にさせるか、夜通し悩んでいた」

 文次郎の顔がぎょっと歪む。

「何を考えても…………伊作が大怪我をしない程度のものは……匍匐前進しか、思い付かないと…………悩みに、悩んでいた」

「流石は潮江先輩!武骨ながらも仲間思いで気遣いのできる方だ!!」

 三年の左門がそう大声で言えば、下級生の後輩達は「おおー!!」と拍手をしだし、上級生の後輩達の表情は益々引き釣った。
 文次郎の米神と頬がやにわに赤くなっていき、ぎっと長次を睨み付ける。

「余計な事を言うんじゃねえ!!伊作!受けるのか!?受けねえのか!?さっさと答えろ!!」

 ついでに僕も怒鳴られた。
 まだ湿っている服の袖を絞って、僕は頷く。

「勿論、受けて立つよ…………ありがとう。文次郎」

 文次郎は赤い顔を憮然とさせた。

「礼を言われる筋合いは無い。さっきも言った様に遠慮はせんからな!」

 長次は僕を見て小さく小さく「頑張れ」と言って、観客の中へと戻った。

 僕と文次郎は、二人並んで地面へと伏せる。
 尾浜がその隣へと立つ。
 さっきまで騒がしかった観客達は、皆シンと静まり返っていた。

「……では、潮江文次郎対善法寺伊作、匍匐前進登山競争……始めっ!!!」

 尾浜の手が空気を切って落とされ、沸き上がった歓声の中、僕は地に着けた肘で存外に重みのある身体を力の限り引き上げた。


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