いしゃたま!

□彼と同輩、彼女と彼女
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 五十数えると小平太は言ったけれど、初速が異常に速い彼にとって五十なんていう動き出しの差は殆ど意味はないと思う。

 焦って上がる息をなんとか抑えながら、僕は早速とばかりに嵌まっていた落とし穴から這い出して、辺りに目を配る。
 小平太の気配は?
 穴の位置は?
 落とし穴は?
 考えなくてはいけないことが多すぎる。

 いっそ、あっさり負けを認めれば、と、そんな声が一瞬過ったが、僕はだんと強かに拳を地に突き立ててそれを打ち消した。
 掴まるまでは負けでは無い。

 そもそも……と、僕は息を吐く。静かになった呼吸は視界を冴えさせた。
 僅か十間先に、罠なんだろう。細い細い糸がピンと張られているのが分かった。
 これだけ罠や落とし穴が道中にあるんなら、最早不運だろうがそうでなかろうか関係無い気もする。
 いや、もうそう思わなくてはやってけないんだけれど。

 起きるものは起きる。
 起きた時に立ち向かえれば良い。

 ちどりさんが昔そんな感じの事を言っていた気がする。
 ああ、そうそう、
『起きた時に立ち向かう力が不運委員会にはあるんです』だ。

 不運委員会じゃなくて、保健委員会ですって。
 僕は小さく笑う。
 起きた時に立ち向かう、それが彼女の正しさならば、僕の場合は……うん、そうだな。

 僕は、指定されていた道を外れ脇道へと逸れる。
 道を外れる事については禁じられてはいなかったから、まあ無問題だろう。
 確か此方の方へ向かっていけば……

「ああ、来たか」

 あれほどの速さで走り、当人の印象は獣の様であるのに、その足音は存外に静かだ。
 いや、獣だからこそ、か。
 どうやら小平太は本気らしい。
 物凄い速さで此方へ近づいてくる気配と威圧を背に受けて、彼とは敵として会うのは勘弁だなあと僕は速度を早める。

「見つけたぞいさっ君!!」

「おっと!」

 やっぱり回り込んで来た。
 木々の間から飛び出てきた剽悍(ひょうかん)な松葉の影を前に僕は踵を返す。
 返しがてら、先程避けた糸を切った。

「おっ!!」

 土塊と石が頭上から降ってきて、小平太の動きがほんの一瞬止まる。
 空かさず僕は茂みに飛び込んで走り出した。

「中々やるなあ!」

 振り返ってないが分からないがすぐ後ろを走る小平太は多分笑顔だ。
 いや、ほんの少し離したと思う。
 木々の間の隙間をすり抜け、登っていったかと思えば斜面を滑り落ち、

「なんだ!まさか地の理があるのか!?」

 小平太の声が追い縋る。
 そこに混じる息が全く上がって無いように思うのは僕の気のせい……っていう訳ではないだろう。彼ほどに純粋に無尽蔵な体力を持つものを僕は他に知り得ない。

「そりゃあっ、僕、がっ、何年薬草を摘んで、回ってると思う!?」

 僕の息はもう絶え絶えだ。声を上げれば喉に妙な痛みが走る。
 だけど、この辺りは僕の庭みたいなものだ。薬草の分布の仕方と共に、地形もまた頭の中に入っている。

 小平太の体格では走りにくいだろうせせこましい林を選び走っていく。
 この辺りは采配蘭(さいはいらん)が良く生えている。
 枝が顔や腕に引っ掛かり傷を作るが、構わず走る。
 走り抜けて、そのまま向かうのは近くの沢だ。毒芹(どくぜり)を以前、此処で採集した。
 沢まで斜面を降り出した途端、とうとう足を踏み外した。
 叫び声を上げる間も無く転がり落ちる。受け身を取りはしたが、沢の中に身体が落ち込み水飛沫が上がった。

「うっ、く、」

 げほげほと咳き込みながら立ち上がる。
 沢は浅いが、濡れた服と微かな筈の流れは想像以上に重い。
 ざざっと、土が擦れる音がした。
 僕はばっと辺りに目を配る。右、左、背後、いや、違う、

「どりゃああああっ!!」

「わっ、わああああああ!?」

 上を見上げれば視界一杯に広がる小平太、まさかの中空へ飛び出してきた彼はそのまま僕の上へ落ちてきたのだった。
 バシャーンッ!と、先程よりも派手な飛沫が上がる。
 顔から水を被って目が眩みながらも、のし掛かってきた小平太をぶんと蹴飛ばす。
 といっても、良く良く鍛えられた身体だ。ごろんと直ぐ側に転げたかと思いきや、直ぐに起き上がり、僕の肩にポンと手を置くのだった。

「いさっ君掴まえた!」

 僕はさっと血の気が引く。
 掴まってしまった。負けてしまった。
 がっくし肩を落とす僕を他所に小平太は「私が思っていた以上に苦労したぞ」とからからと笑うのだった。

「凄いなあ、いさっ君は!」

「は、はあ……」

「ん?どうした?」

 流石の小平太も、僕の意気消沈ぶりに気付いたらしい。
 きょとんと首を傾げて覗き込んでくる彼もまた頭からずぶ濡れになっていた。

「いや、だって……失格なんだろう」

「んんん?なんの話だ?」

 小平太は益々きょとんと首を傾げる。

「私はただ、いさっ君と鬼ごとがしたかっただけだぞ」

「……へ?」

 今度は僕がきょとんとする番だった。

「だって、卒業してしまったらもうこんな風に遊べないじゃないか!」

 顔全体でぱっとその場の空気を明るく色付かせる様な笑み。
 僕はふと強烈に、先程の予感を思う。
 彼とは敵として会うのは勘弁だと思った、その予感。
僕は、

「そうだね……やっぱり小平太には叶わなかったよ」

 僕は、笑った。
 小平太に釣られる様にして、二人で濡れ鼠になって笑う。

「でもさっきも言ったろう。私はいさっ君も凄いと思うんだ」

 ぐいっと腕を引かれて立たされる。
 滴る水が日に反射して綺羅綺羅と光った。

「いさっ君なら大丈夫だ!」

 さっきも長次に似たような事を言われた。
 僕はそれに頷く。

「有り難う小平太」

「頑張れよっ!!」

 走り出した僕にぶつかる声、振り返れば大きく手を振っている。
 僕もそれに手を振って、次はもう前だけを向いて走り出す。
 大分道を外れてしまった。
 でも、大丈夫だ。ゴールは分かっている。
 辿り着けさえすれば、それで良い。



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