いしゃたま!

□彼等は思い、決意する
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 翌朝、文化祭二日目。
 当然ながらあまり寝られず僕はふらふらとしている。

「あだっ!」

 柱に肩をぶつけた。
 結構痛くて「あー」と低い呻き声が漏れる。
 途端、昨日から、昨晩、今朝に掛けて、全部僕の嫌な夢とかだったら良いのになあ、と甘い考えが寝不足に鈍い頭を巡り、僕は「あー」と声が続く限りに低く唸っていた。

 足音が近づいてくる。
 誰かは気配で分かった。
 多分、今の自分は最高に格好悪い。
否、僕が彼女の前で格好良かった時なんてないんじゃないかな。

 いっそ幻滅してくれたらなあ、なんて思いながら、「伊作君」と僕を呼ぶ声に顔を上げた。

 僕が彼女と同じ立場なら絶対、まともに顔なんて合わせられないだろうに、ちどりさんは僕をじっと見下ろして「大丈夫ですか」と問う。

「ええ、ちょっとぶつけただけです」

 と、答える僕がなんだか間抜けに思えて、仕方無く、笑って、立ち上がる。

 ちどりさんは、僕を堅い表情で見上げている。
 それから、何かを言おうと、唇がふっと薄く開いた。

「昨日の話ですけど、」

 彼女が何かを言う前に、僕は言葉を被せた。

「良いお話だと思いますよ」

「伊作く、」

「行くべきだと、そう思います」

 ちどりさんの目が大きく見開かれた。
 風が吹いて髪が揺れる。朝日に光るそれに触れたいだなんて、場に削ぐわぬ事を思う僕だった。

「……本当に、そう思うんですか」

 昨日の留三郎も似たような事を言っていたな、と僕はぼんやりと思う。

 ちどりさんの固まったような表情は不意に崩れた。
 酷い頭痛を堪えでもしてるかの様に顔を手で被う。

 何れだけそうしていたか、長い時間の様な、ほんの一瞬の様な、そんな光景が目に焼き付いて、次の瞬間にはちどりさんは顔を上げている。

 泣いていなかった。
 だけど、何処か物言いたげな、叫ぶのを必死に堪えているようなそんな顔をして、次の一瞬で、表情は消えて、ゆっくりゆっくりと笑顔になる。

「そう、分かりました」

 細い声がそう言って、踵を返した。
 僕は、その数歩後ろを着いて歩く。
 此れで良いんだと、何度も自分に言い聞かせながら。



「つまりは、伊作は問題解決を先伸ばしにしたという訳か」

「……問題て、ねえ、仙蔵」

「違うのか」

 留三郎は結構なお喋りだ。
 見れば「俺は謝らねえぞ」と逆に睨まれた。
 保健委員会の茶屋の一席には僕の同学年の仲間五人が集結している。こいつら自分達の店は大丈夫なんだろうか。

「つーか、俺はお前とちどりさんが今日も普通に店立ってんのが訳分かんねえよ」

「全くだ。ちどりさんに笑顔でいらっしゃいませ言われた俺らの心情を考えろバカタレ」

「おい、意見を揃えるな犬猿。雨が降る」

 三禁がどうたらと厳しい文次郎まで着いてきているのが驚きだ。
 僕は深々と溜息を吐く。

「ほんっと、君達は僕に対して過保護だよねえっていだっ!?」

「お前、それが心配している俺らへの態度か!」

 留三郎が僕の向こう脛を思いっきし蹴り上げた。

「……久し振りに、伊作が毒を吐いたな」

「ちどりちゃんもいさっくんが案外性格悪いことは知らないだろうな」

 ろ組の二人は何時もながら擦れた事を言っている。
 また溜息を吐く僕を覗き込む様にしてくるぐりぐりとした目。

「なあ、いさっくん。本当に良いのか?」

 僕はそれには笑顔をひとつ返しておいた。
 五人は各々に顔を見合わせている。

「……小平太の言う通り、お前は案外性格が悪い」

 次に口を開いたのは仙蔵で、笑顔の僕を射抜く様な鋭い目で見上げてきた。

「だが、その図太く諦めの悪い所が、伊作、お前の強みだと思っていたのだがな」

 残念だ。と、言い捨てるようにして仙蔵が立ち上がれば他の皆もそれに続いた。

 最後に留三郎がのろのろと立ち上がる。

「俺は謝らねえぞ」

 むすりとした顔でまたそう言って踵を返した彼の腕を、僕は掴んだ。

「……んだよ」

「お勘定。五人分」

 押し付けらた財布を受け取れば、留三郎は苛ついた足取りで去っていくのだった。

 ふと、視線。

 振り返れば、ちどりさんが僕を見ている。

 大丈夫ですよ。と、そんな意味を籠めて僕は笑った。

 大丈夫です。
 僕は平気です。
 貴女は迷うことなんて無いんです。

 と、僕は笑う。

 だけど、ちどりさんは、笑ってはくれず、ただ静かに視線を外しただけだった。

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