いしゃたま!
□彼等は思い、決意する
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「ああ、伊作。こんなところにいたか」
聞き馴染んだ、如何にも世話好きそうなその声に、僕は息を詰めて、それから吐いて、笑顔を作って振り返る。
「留三郎」
「小平太と長次がまた酒を幾らか仕入れてきたんだ、今から皆で飲み比べようって話なんだが」
と、そう言いながらも僕の友は、どっこいしょなんて言いながら隣に座り込む。
人気の無い用具倉庫の屋根の上は月明かりでさんさんと明るい。「年寄みたいだよ」と僕が言えば笑う彼に良く似合う明るい夜だった。
だけども忍ぶには向かない夜だなあなんて忍たま的に染み付いた思考に僕は苦笑する。
「何かあったか」
「そうやって直ぐに遠慮無く聞いてくる所、本当、留三郎らしいよね」
「聞いて欲しげに見えたからな」
そうあっさりと言った留三郎は、月を見上げながら「今日は忍ぶのに向かないな」なんて僕がさっき思っていた事をまんまに呟いた。
「本当、僕達って忍たまだよね」
「何言ってんだ。当たり前だろ」
「うん、そうだね。そうやって皆、ずっと頑張ってきたんだ。だのに、」
僕も月を見る。
標の様な明るさなのに、今の僕には些か眩しすぎる様に思えた。
「僕は、未だに迷っている。その事を今日は痛感したのでした」
「なんだ、その口調は」
「さあ、なんだろうね」とおどけて笑ってみたけど、留三郎は予想外に真剣な目で僕を見ていて、僕の笑いは直ぐに引っ込んでしまった。
「伊作、何があったか予想しても良いか」
「どうぞ」
「……ちどりさんに、縁談の話でも来た……のか?」
途中から急に自信を無くしだした口調に僕は思わず噴き出した。
ああ、縁談か。それなら、
「それなら、余程、良かったよ」
「伊作」
留三郎は、動く事もなく、僕をじっと見ている。
「参ったなあ、僕が言うまで去らないつもりかい」
「ああ、同室だからな」
「とんだ同室だ、君は」
「お前さ、何かと溜め込みすぎなんだよ」
留三郎の手が伸びてきて、ぐしゃぐしゃと、僕の頭を乱暴に撫でた。
「お前が、ずっと強くなりたいって頑張って来たのを俺は知ってるし、今のお前は俺たちが思ってる以上に強い奴だけど、今は、今くらいは、やっぱりしんどいときは、俺達を頼るべきなんだ」
「そうかな。格好悪くない?それって、」
「伊作は、普段から格好良いから、俺の前でくらいは格好悪くて良いんだよ」
そうぎこちなく言う彼に、「何だよそれ」と僕は笑う。
力無い笑いになったと思う。そうして深々と息を吐いた後に、
「ちどりさんに、三河国にある城の奥医師になる話が来たんだ」
そろりと、実際は至極あっさりと僕は答えた。
「三河の……奥医師?」
呆けた留三郎を見て僕は頷く。
「うん、戸惑うよね。僕も何の事かと思ったよ」
「いや、だって、ちどりさんは、まだ嫁入り前の女だろ、それを、」
「女であることは問わないと、先方が言ったらしい。ちどりさんの夢が叶うんだよ、留三郎」
「伊作、」
「ちどりさんは医者になれるんだ」
留三郎の眉間に見る間に皺が寄りだした。
「まさか、彼女、話を受けたのか」
お前が、と言い掛けた留三郎の言葉を遮って僕は首を横に振る。
「保留に、しているみたいだ」
「保留って、彼女にはお前がいるだろう、弟や両親だって、」
「ああ、そうだよ。だから、彼女は泣いたんだ。行きたくないのに、行きたいと、」
僕は留三郎から視線を外す。
僕の手は所在投げに空を掴み、思い返したのは彼女の心細げな泣き顔。今にも崩れ落ちそうだったのに、その目は、強く真っ直ぐだった。
「ごめんなさい……ってさ、謝られてしまったよ」
離れたくないと口で言っている彼女の目は、既に僕がいない未来を見ていた。
それを見ていた僕の心情は自分でもよく分からない。
泣きたかったのか、怒りたかったのか、失望したかったのか、何れも含まれているようでその何れとも違う。
だけど、僕は彼女のそんな真っ直ぐな目を、ただひたすらに美しいと思った。そして、
「敵わないなって思ったんだ。ちどりさんは、行くべきだ」
「お前、本当にそう思ってるのか」
僕が頷けば、肩を掴む力強い手。
「お前はそれで良いのか」
「……良い、と、思わなきゃやっていけない」
留三郎の手に力が籠った。
僕はそれを振り払いたいのに、動けずにいる。
「だってさあ、留三郎。行くなって言えるかい」
「言ったって、良いだろう」
「言えないよ。言えない。留三郎には分からないんだ」
あの瞳が、あの迷い無い心こそが彼女なんだ。
僕には到底手の届かない光だった。
僕はそれを、思い知らされた。
あの視線の先には僕はいない。
「嫌だって、言えるもんなら言いたかった」
そうして縛り上げて、僕は彼女の足枷になるのか。
「なら、何故言わない」
「言えないんだよ、留三郎」
留三郎は僕の肩を引きながら無理矢理に向き合わさせた。
「伊作、彼女は、行きたくないと言ったんだろう」
「留三郎、此の話しはもう止めよう。堂々巡りだ」
声が震えてしまうのが情けないと思った。
留三郎は、暫く言葉を探すように視線をさ迷わせていたけれど、やがて諦めたのか、ふっと目を伏せて立ち上がる。
そうして無言のまま彼は立ち去り、僕は月明かりの下に一人残された。
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