いしゃたま!

□暗澹に帰す
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「……終わった」

 私が出す声は酷く遠く聞こえて、目の前の、笑みにもならない様な淡く悲しい表情を浮かべるこの人に、届いているのかも分からない。

東堂(とうどう)が葬られました。昆奈門は無事とは言えませぬが、生きてはいる様です」

 あの方が側にいてくれて良かった、と、深い深い溜め息と共にそう微かに呟いた、その姿は、

「貞明さん」

 本懐を遂げた者の姿としては余りにも疲れ果てて悲し気で、

「………………ひとつ、戯れ言を言わせて下さいませ」

 そうなってしまうしかなかったのならば、貴方は、一体何の為に、と、

 揺らぐ彼の姿に、何故私が泣くのだろうと、何処か冷静にそう思いながらも、溢れてくるどうしようもない悲しさを止めることが出来なかった。

 このままでは、彼を留める糸が消える。

 そんな夢想と共に痛い程の焦燥が走り、私の手は彼の頬に伸びる、触れた其処は冷たく濡れていた。

「終わったのに、何故、戻っては来て下さらないのでしょうか……」

 幼子にする様に頭を引き寄せれば肩に埋まる震えるそれを私はゆっくりと撫でる。

「貞明さん。前にも言いましたよね……私も貴方に会えて良かった、と」

 私よりも強くて長く生きてきた彼であるのに、今の彼はなんと頼り無げなんだろうか。
 私は何度も何度も、その頭を撫でる。

「貞明さん」

 答えぬ彼に、出来るだけ静かに話す。

「私は医者のたまごで、だから、私には生者の方が死者よりも遥かに尊いんですよ」

 酷い言葉かもしれない。
 でも、私が追うべきは何時だって命を繋ぐ事だ。どんな悲しみの中でも命は生きようとする。
 その両の目から止めどなく流れるものも、震える肩の温もりも、生きているからこそ。

 だから、何度でも言おう。

「貴方が、生きていて、良かった」

「はい」

 消え入りそうな、然し、確かな返事が返る。

「貴方に会えて、良かった」

「はい」

「貴方と母が、出会えて、良かった」

「……はい」

 日が落ちる。
 夜が過ぎればまた明ける。
 私は、彼に生きて欲しい。

 きっとそれは、私だけの願いでは無い。










 それから、更に数日後の事。
 赤斑瘡(あかもがさ)を発症した女中さん達の症状もかなり落ち着いた。

 少ない水であったが、どうにかなって良かった。

「熱は下がったので、後は発疹が消えたら完全に回復ですね」

 いさ子ちゃんが最初の発症者の女の子に薬湯を渡しながらそう言えば、彼女は嬉しそうににこりと笑った。

「ちどりの方様、此度は誠に有り難うございました」

 見舞いに来ていた女中さん達と、太助さんが私に深々と頭を下げる。

「そんな、私はい、」

 『医者のたまごとして』と口に出そうになったが、いさ子ちゃんの視線を感じて口をつぐむ。

「い……いさ子ちゃんの御手伝いをしたまでです」

 そう返せば、御謙遜なさいますな、と、笑いが返ってくる。
 なんだかんだで不思議と私達の身元がバレる事はなかった。貞明さんが上手く立ち回ってくれたのかもしれない。

「ちどり姫様。僅かですが湯を張ったのです。御身を清められては如何でしょう?」

 そう、女中さんの一人が申し出てくれた。

「……それは、その水は貴重なのでは」

 ドクタケ領の水不足は思っていたより深刻な様だった。
 現に城内の井戸ですら湛える水は心許なかったから。

「構いませぬ。久里野(くりの)様も是非にとの事ですから」

 と、太助さんもにこやかに言われて、いさ子ちゃんですら笑顔でそうすれば良いと促してきた。

「……あまり、薦められると身綺麗じゃないみたいね」

 小さくそう呟いたらいさ子ちゃんが苦笑を返してきた。

 まあ、無理もないかもしれない。此処数日いさ子ちゃんと共に殆ど不眠不休で看病をしていたから。
 鏡も碌に見ていないし、着替えも……、いさ子ちゃんの目にもうっすら隈が渡っている。

「できたら、いさ子ちゃんも休んでね」

「……私は慣れてるので」

 ああ、そう言えば彼は忍たまだった。

 再度、是非にと女中さん達に促されて、結局、私はお言葉に甘える事にしたのだった。


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