いしゃたま!

□茜の陽に揺れ
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「私が、此処にいる限りは、」



 沈黙を破ったのは私だった。


「ドクタケは学園にも、タソガレドキにも、進軍できない」

「っ、それを何処で?」

「聞いたわけではありません」

 伊作君は僅かに驚いた表情で私を見る。



 私が雑渡さんの質に確かになり得るなら、今此処に私がいる此の時にドクタケはタソガレドキに攻め入るのが妥当だろうが、その気配は無い。

 加えて、学園に対しても私を質にする事もできるだろうが、その気配も無い。




「学園長先生の書状に、その事についての条件や誓約が書かれていたのか、と」

 伊作君は大きな息を吐いた。

「……御武家様は約束を重んじるとは言っても、紙一枚の誓約。裏切りもまたあるのかもしれませんが、恐らく、今のドクタケにはタソガレドキを攻め入る余裕には欠けるのかもしれませんね」



 今年の夏は雨が少なかった。
 あの山には今日も雲が掛からない。お陰できり丸君の干物は美味しく仕上がったのだけれど。



「幾ら竹高様が戦好きと謂えども、水不足で苦しむ領民達を無視してまで兵をあげる様な方ではないでしょうし、現にこの間、久里野(くりの)様が利水について話しているのを聞き齧りましたし」



 伊作君は何とも言えない顔をしている。

「私の考えは合ってます?」

「……ちどりさんは、なんていうか、ああ、うん。はい、合って、ます」

 もごもごと喋る伊作君に、私は苦笑する。



「知っていたとしても、何もできないんだけど……知らないよりは良いかなと、勝手にそう思ってるんです」



 本当に私がそれを知っていたとして何もできない。ただ、でもそれを理由に何もかも知らぬ存ぜずはできない。
 そんな性格なんだ、私は。



「それに、知っていた方が何事か起きた時にも対処しやすいかなって」

「大丈夫です。そうなる前に、僕が守りますから」


 伊作君の手が此方に伸びて、私の手を掴む。

「……ありがとう、伊作君」

 少し熱くなる頬を夕日のせいだなんて誤魔化そうとする可愛いげ無い私に、伊作君はあまりに優しく笑うのだった。



「伊作君と話せて、ちょっと不安が取れてきた」

「不安、だったんですか?ちどりさんが?」

 私の手を握ったまま伊作君はきょとんとした顔をする。

「当たり前じゃないですか。私、今でこそ医者見習いだったり学園でいろんな事を経験しましたけど、元はただの商家の娘ですから」

 伊作君は、むすっとした顔をしている私を見て数度目を瞬かせている。

「……そうか、そうですよね」

 ふわりと優しい笑みに変わる。
 私の手を包むようにするその手は思っていたよりも大きくて、思っていた様に暖かだった。





「僕は、貴女の事をずっと強い人だと思っていました。僕なんかよりずっと豪気(ごうき)で、真っ直ぐな方だと」

「…………強いのかどうかは分かんないけど、気が強いとか後先考えないとかは良く言われるわね」

 くすりと笑って、伊作君は、私を真っ直ぐ見る。

「ちどりさんが僕を頼りにしてくれている。それだけで、僕は、幾らでも力が沸いてきます」

「……そ、そう」

 顔の熱が上がった気がする。
 俯いた私を優しい眼差しが見下ろしているのが分かる。

 する、と手が離れて、伊作君は静かに立ち上がった。


「では、僕はこれで」

「はい」

「あ、すみません」

 顔を上げようとすれば、やんわりと手が下りてきて制するように揺れた。




「え?」

「あの、ちょっと、今はその、顔を上げないでくれるとありがたい、です」

「……うん」





 やがて、去り行く衣擦れの音。

 障子がからりと開く時に、こっそりと上げた視線に写った彼の後ろ姿。

 その癖のある垂れ髪の隙間から見える耳が夕焼け以上に赤くて、


「……ああ、もう」


 私の心の臓がどくりと跳ねるのだった。



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