いしゃたま!

□されどこの世に止まぬ雨は無し
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 善法寺君はそのまますたすたと店へと裏口から入り、私を席に座らした。

「何か飲みますか?」

「あ、荷物に、水筒が」

 善法寺君が私の荷から水筒を手渡してくれた、そこで、漸く喉の乾きを覚えた私は少し慌ててそれを飲む。

「先日は、すみませんでした」

「え」

「僕は、どうかしていたと言いますか。ちどりさんに怖い思いをさせてしまって」

「あ、いえ、私こそ、」

 私こそ、何だろう。
 先が続かない。
 かといって、善法寺君は先を促そうとせず、ただ静かに目を伏せ、黙っている。


「……」

「……」

 気まずい沈黙。
 だけど、さっきよりは穏やかに思うのは、私が疲れているからか、戸を立てて薄暗い店の中だからか。
 私の向かい側に座る善法寺君の表情も、僅かに柔らかい様に見えた。

「……この間、」

 だからなのか、湿した私の唇はするっと言葉を出す。

「この間、町で、女の方と歩いていましたよね」

「え?」

 ぽかんと口を開けた善法寺君。

「僕が、ですか?」

「ええ。髪の綺麗な方でした」

「……あ」

 善法寺君の目がそこで真ん丸になり、そして、青くなったり、眉を寄せたり、ころころと変わる百面相を眺めていれば、ぱっと此方に乗り出すように口を開いた。

「そっ、それ!仙蔵です!!」

「え?」

 ひくり、と私の眉が痙攣した様な気がする。

「僕と同学年の立花仙蔵です!」

「いや、それは知ってるけど」

「そ、その仙蔵の女装なんです」

「………………あのね」

 思わず大きな溜め息が出た。

「嘘を吐くならもう少しましな嘘を吐いて下さい」

「いや、本当なんですって!!」

「もう良いって、別に好い人がいたってかまわ「だから違うって言ってるだろ!!」

 ばん、と机が、善法寺君の掌の下で音を立てて震えた。
 私も負けじと睨み返す。

「なんで私が怒られてんのよ!!別に良いって言ったじゃない!!」

「だって信じてくれないじゃないですか!!ちどりさんこそなんで怒ってるんですか!!!」

「怒ってない!」

「怒ってる!!」

「怒ってない!悔しいだけです!!」

「悔しいって、」

「善法寺君が他の女の人と一緒にいるのが嫌だっただけです」

 善法寺君は私の顔をまじまじと見つめた。
 その顔は、薄暗がりの中でも赤いのが分かる。

「何故、ですか?」

 また、私の口から溜め息が溢れた。



「……なんで言わせようとするかなあ。」



 投げ槍な様なうんと優しい様な酷く悔しい様な、色々な感情がぐるぐると渦巻いて、それは瞼まで競り上がり、視界が歪む。
 ぐっと力を入れて、耐えた。



 善法寺君の眼差しが真っ直ぐに私に突き刺さる。
 何時もの遠慮がちな優しい目とは全然違うそれに、私の胸が更に苦しくなった。





 悔しい理由も、苦しい理由も、ぐちゃぐちゃになる頭の理由も、全部分かっている。
 何時からか生まれて、気付かぬ内に大きくなっていた。時に凄く苦しくて時に驚くくらいに暖かい感情がなんであるかなんて私は知っている。

 言っても良いのだろうか、と尚も迷う。
 喉が詰まったようになって、耳に自分の心の臓が立てる音が響いて煩い。


「聞きたいんです」


 私の迷いを感じた様に、柔らかな声が、私を促す。

 ずるい、と何故かそう思った。

「……そんな、の、」

 声が震える。
 私は顔を下に向け、固く握り締めた自分の拳を睨んだ。























「…………そんなの……あなたが、好きだからに、決まってるじゃ、ないですか」



 俯きながら漸くぼそりと出て来た、消え入るような掠れた私の声。

「ちどりさん」

 名前を呼ばれて、顔を上げれば、そこにある表情にまた胸が苦しくなる。

「ちどりさん」

 私の名をゆっくりと呼ぶ善法寺君は、耳まで赤く、泣きそうな目をしていて、それでも、優しく、もうこれ以上無いくらいに優しい笑みを浮かべている。

「善法寺く、」

「約束を、」

「え」

 善法寺君は私との距離を図りかねている様にぐっ、と拳を握りしめている。

「名前で、どうか、」

 声が震えている。
 それでも、私を真っ直ぐに見つめていた。

 私は、喉が狭まる様な感覚を覚え、思わず自分の手を握り合わせた。







「……い「あの」


 不意に聞こえた低い声にばっ、と振り返れば、其処には何とも言えない表情の照星さんが立っている。


「…………」

「……そろそろ、出発しようと思ったのですが、」

「…………」




 固まっている私達を前に、照星さんはのろのろと踵を返した。

「どうぞ、私はその辺でもう暫く待ちますので、」

「大丈夫です!!!」




 伊作君と、私と、二人して真っ赤になって照星さんの肩を掴んで引き留める。






 戸の隙間から差し込む光が、雨が上がった事を教えてくれていた。


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