いしゃたま!
□彼の帰還とちょっとした暗雲
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さて、一年は組の十一人が人知れず緊急の話し合いをしていた頃。
「ちどりさん、町で何かありましたか?」
「え?」
午後の保健室にて、新野先生にそう優しい声で問い掛けられてきょとんとする。
「あ、すみません。またぼんやりしてしまっていましたか?」
「いえ、良く働いてくださっていますよ、ただ、今日お帰りになられてから、少し沈んでおられるように見えましたから」
「そ、そうですか」
新野先生は鋭い。
罰の悪い気持ちで少し俯く私に柔らかく微笑んで下さる。
「私に話せる事でしたら何時でも相談して下さいね。貴女は真面目ですが抱え込む所がありますから」
「……ありがとうございます。大丈夫ですよ」
そう。新野先生のお手を煩わせる程の問題でもない。
「布団、取り込んできます」
じっとしてても考え込んでしまうし、気まずいのもあって、私は立ち上がり、保健室を出た。
……綺麗な人だったなあ。
でも、結局考えながら歩いてしまっている。
思い返すのはあの時、善法寺君の腕に手を回しながら仲睦まじく寄り添っていた綺麗な女の人の事で。
横顔を少し見ただけだったけれど、真っ直ぐな濡れ羽色の黒髪、長い睫毛に縁取られた涼しげな両の目、抜けるような白い肌、上品な口許。
どれをとっても美しい要素しか無いような人で。
別に悪いことじゃない。
誰だって綺麗な人は好きだ。
ただ、自分を見返して、その美しい要素を羨ましいと思う気持ち、寄り添う二人を思い返してざわつく胸の内が、どうにもこうにも居心地が悪い。
……そもそも、何だって私がこんなに悩まなきゃいけないんだろう。
居心地の悪さが周り回って、少し腹立たしくなっても来た。
でも、そんな怒っている自分もなんだか変な気もして。
「知らない、知らない、もう知らない」
節を着けながらそう呟いて、干していた布団を運ぶ。
陽射しをたっぷり吸ったそれはほかほかに膨らんでいて、ちょっとよろけながら廊下を進んでいたら、
「うぷ」
誰かとぶつかった。
眼前の布団の隙間から見えるのは、退紅の着物の袖、どきりとした。
「大変そうですね。持ちますよ」
優しい声が降り掛かる。
「だ、大丈夫で、す」
目の前にいるんだろう彼の顔が見れなくて、私は布団に顔を埋めるようにしてくぐもった声で答えた。
「お帰りなさい」
「はい、ただいま戻りました」
それでもなんとか平静を装おって顔を上げれば、日溜まりみたいな笑顔が私を見下ろしていた。
彼の顔立ちと雰囲気に良く似合う退紅色の着物は、今日見たあの光景が見間違いでない事を嫌というほど伝えている。
「……怪我をしたんですか?」
「お恥ずかしながら、でも、大したことはないですよ」
頬の当て布を擦りながら、彼は苦笑する。
「ちどりさん」
ふと、真剣な顔。
でも、その胸の内は?
そんな事を考えてしまう自分に嫌な気持ちになる。
「…………僕、課題を合格しました。だから、その、」
「ごめんなさい。善法寺君、今新学期の準備で忙しいから、また」
「え?」
彼の言葉を思わず早口で遮ってしまった。
何が起きたか分かってないみたいにぽかんと口を開けた彼の表情が次に変化するのが、何かを言い出すのが怖くて居心地が悪くて、私はその場から逃げ出す。
彼の視線を背中に受けながら私は早足で保健室へと向かう。
……馬鹿だ。あんな言い方をして、これからどうするつもりなんだ。
と自分を罵りながら、それでも一刻も早く彼から離れようとする足は止まらなかったのだった。
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