いしゃたま!

□彼女の様子
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 夢を見た。


 貴女は、この化け物を助けなくてはいけません。

 誰かが私の肩を掴みながら言う。

 目の前には形容しがたい黒く蠢くもの。

 でも、助ければ、これは誰かを傷つけ殺すのでしょう。

 渇いた口で、そう誰かに問う。

 こんなに苦しんでるのに。

 誰かは私をそう咎める。

 そう、苦しんでる。助けなくては、

 私は、その黒い塊に手を伸ばす。

 ずぷりと嫌な音がした。
 飲み込まれる、と反射的に退いた私の手は、


 真っ赤な血に染まっていた。








「……っ」

 目の前の天井がちかちかして見える。
 私は息を整えながら寝返りをうった。
 汗が酷い。外は白みかけている。
 全く寝た気はしないが、重たい身体を持ち上げた。

「…………」

 布団をたたんで、手拭いを手に井戸へと向かう。
 夏とは言え、山中の朝は寒い。空気に汗が冷やされていく感覚に私は身震いした。

 その内、日は完全に登る。
 大丈夫、大丈夫だ。私はそう、自分に言い聞かせた、何が大丈夫かは分かって無いのだけれど。












「伊作が心配してますよ」

「え、誰を、立花君を?」

 昼過ぎに保健室に来た立花君は色白の顔をさらに蒼白にさせながら言う。  これは夏負けの様だな、と、私は篭に入れてある(にら)を取り出した。

「いえ、ちどりさんをです」

「……私を?」

 なんでまた。と思いながら、湯を沸かし、韮を刻む。
 横目で見れば、立花君はそうとう参っているのか、だらりと壁にもたれて足を投げ出している。

「貴女が元気の無い様に見える、と、あ。今、笑いましたね」

「すみません、だって、今の立花君にそれを言われても、」

 韮を茹でて、そこに生姜を擂り下ろす。
 軽く一煮立ちさせたら火から下ろし、椀の中に入れる。

「はい、暑いから気を付けて」

「何ですこれ」

「韮と生姜。夏負けにはとりあえずこれ」

「ありがとうございます」

 立花君は私から椀と箸を素直に受けとり、ずず、と啜る。

「美味くは、ないですね」

「まあ、薬ですから。夜はちゃんと眠れてますか?」

 ふるふると首を横に振った。

「では、甘茶蔓(あまちゃづる)を出しておきます。煮出して寝る前に飲んでね、て、何が可笑しいの?」

 今度は立花君がくつくつと肩を揺らして笑っている。

「いや、私は臨床をして貰いに来た訳ではないのに、流石はちどりさん。もう立派なお医者様ですね」

「……そんな事無いわよ」

 脳裏にあの黒い化け物が浮かび、私は顔をふいっと逸らした。
 立花君はそんな私に気づいているのかいないのか、韮を不味そうに咀嚼しながら私を横目に見ている。

「何でもないなら良いのですが、もし何かあるなら、我々に、伊作に言って下さい。出来る限りの事はしたいと思っていますから」

「……大したことは無いのよ」

「それは何かあるというのと同義ですよ」

「………………」

 ことり、と椀が置かれる音がした。

「御馳走様でした、は変ですね。お世話を掛けました」

 立花君は一礼して、出ていく。

「待って、立花君」

 廊下に身を乗り出して声を掛ければ、彼はひた、と足を止めて振り返る。

「甘茶蔓」

 袋を差し出せば、立花君は一瞬きょとんとした顔をして、

「全く、貴女って方は」

 と、苦笑を浮かべた。








「伊作が心配しているが何かあったのか」

「それ、立花君にも言われましたよ」

 薬草園に水を撒いていたら、食満君が声を掛けてきた。

 胴衣姿の腕に汗が流れ、工具箱を手に持っている。
 聞けば、夏の間に修繕できるところは全てしてしまうつもりだそうだ。

「お水は持ってます?」

「いや。井戸に行きゃ良いし」

「携帯しておくのに越した事はないですよ」

 暑気中りは異変を感じてからでは遅いのが恐ろしい所だ。

「何処で作業するの?麦湯(むぎゆ)を持って行きますから」

 食満君はへらっと笑う。

「なんか、伊作みたいなこと言うよなちどりさんて」

「それは、善法寺君が保健委員会だからでしょう」

 苦笑いしながら、柄杓を桶に入れる。水を撒き終えたそれはからりと音を立てた。

「そういえば、今思ったけれど、食満君と与四郎君て何だか似てますね」

「嗚呼、良く言われる。他人の空似って奴だな」

「そういう、さっぱりした所も似ている。彼、今はどうしてるのかしら」

「さあ、伊作が言うにはこの付近に留まってるらしいが」

「……また面倒事の匂いがするわね」

 私は小さく溜め息を吐く。

「行かないんですか。修繕」

 食満君を見上げれば、彼はまじまじと私を見て、首を傾げる。

「やっぱり、ちょっと変な気も……しなくはないかな?だが、伊作は心配症だしなあ」

「何それ」

 私はまた苦笑した。

「食満君も立花君も、私が心配というより、私を心配する善法寺君が心配って感じがします」

「いや、ちどりさんの事も心配してるぞ。なんつーか、伊作は危なっかしいんだよな」

「それは、分かる気はする」

「でも、ちどりさんも、大概だとは思うぞ。あんま抱え込むなよ」

 そうにかっと笑って、食満君は立ち去っていった。

「…………」

 私は黙って突っ立っていたが、やがて日差しにくらくらしだしたので、これは不味いと桶を片手に保健室へと戻った。

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