いしゃたま!

□昔々あるところに
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※オリジナルキャラがたくさん出てきます


「ごめんください。」

「はい。藤兵衛さん、こんにちは」


 三反田家の戸口に立っている男は出てきた少女を見て、目を細める。

「ちどり坊。また背が高くなったんじゃないか?」

「んふふ。もうすぐ七つだもん!伸び盛りだって父様が言ってたよ。与助兄ちゃん?」

「ああ、ちょっとな」

「あらあら、藤兵衛さん。与助ちゃんの調子はどうだい?」

 家の奥から三反田家の妻、ちどりの母が、まだ幼い赤ん坊を背中におぶって出てきた。

「どうにも、ここ数日、ちょいと坊っちゃんには寒い夜が続いたせいか、咳がでてきまして、薬を買いたいんですが。」

「そりゃあ、大変だ。良く効く薬を出しますよ」

 奥から父も顔を出した。暫くして、薬を袋に摘めて、持ってきた。

「すみませんねえ。今日は商いの日じゃあないのに。」

「なんの、ご近所のよしみじゃないか。与助ちゃんにはうちのちどりも良くしてもらっているし」

 世間話をしながら、薬を売り買いする母と藤兵衛をちどりは代わる代わる見上げた。

「藤兵衛さん、与助兄ちゃん悪いの?」

「いつもよりは元気さ。坊っちゃんも年々丈夫になってこられたよ。」

 不安気なちどりの頭をくしゃりと撫でた。

「では、奥様が待っておられるので、これで。ちどり坊、数馬ちゃん、またな」

 足早に去っていった藤兵衛の背中が見えなくなってから、母はふうと溜め息をついた。

「あそこの家も不憫ですよねえ。裕福な両替屋だっていうのに肝心の長男がああも身体が弱いと」

「ふびん?母様、ふびんって何?長男が身体が弱いといけないの?」

 知りたがりのちどりがぴょこりと首をかしげる。
 父はそんなちどりの頭を優しく撫でる。

「お前、そういうことはあまり言うもんではないよ。藤兵衛さんが言ってた様に与助ちゃんも少しずつ丈夫になって来ているんだから」

 父がやんわりと母をたしなめると、それに同意するかのように「だう」と背中の数馬が手をふった。

「ねえ、母様。庭の花梨、もいでもいい?ちどり、与助兄ちゃんに持っていってあげる」

「ああ、それは良い。そうしておあげ。ちゃんと良い実を選ぶんですよ」

「うん!」

 かごをひっつかみ、ちどりはぱたぱたと勢い良く庭に飛び出ていった。
 庭の花梨の木から、熟れた実をいくつかもいでかごに入れて、またぱたぱたと通りへ出て、近所の屋敷まで走る。



 町の中でも比較的裕福な家である両替屋の長男である与助は、生来、身体があまり丈夫でなかった。

 だが、優しく、物知りな彼は近所の子ども達に良く慕われていた。所謂、ガキ大将とは少し違うのだが、周りの子どもより少し大人っぽい雰囲気の彼は皆に一目置かれていたのである。
 ちどりも、四つ歳上の彼を与助兄ちゃんと呼んでよく遊んでもらっていた。



「おや、ちどり坊じゃあないか。さっきはどうも」

 屋敷の表を掃除している藤兵衛に花梨のかごを差し出す。

「これね、花梨。お鍋で煮て、飲むと喉にとっても良く効くの」

「ああ、ありがとう。上がっていくかい?」

「え?与助兄ちゃんがしんどくないの?」

「ちょっと落ち着いてきたからな、ちどり坊の顔を見せてやっとくれ。坊っちゃんも喜ぶよ。奥様に声をかけてくる」

 藤兵衛を含むこの家の人間は皆、この幼いながらも利発な少女を好ましく思っていた。

「うん。ありがとう!」

 程なくして与助の母に連れられて、奥の座敷に通されるのだった。

「与助や、ちどりちゃんが来てくれましたよ」

 障子を開けると、布団から半分身体を起こした少年がにっこりと優しく顔を綻ばせた。

「やあ、ちどりちゃん」

「与助兄ちゃん、なんのご本を読んでいるの?」

 ちどりは、与助の手に握られた本の表紙を覗きこむ。

「……お、ん、ぞう、し、しーま、わた、り?」

「凄いなぁ。ちどりちゃん。読めるの?」

「へへへ。お寺のお師匠様は、同い年の子の中で読み書きが一番だって!!」

「流石だねえ。一緒に読む?」

「うん!」

「ごゆっくりねちどりちゃん。お茶を煎れて来ますからね」

「ありがとうございます」

 丁寧にお礼を述べるちどりに微笑んで与助の母が出ていった。

 与助と並んでひとつの本を読んだ。
『御曹子島渡り』は、かの義経公が様々な不思議な島を冒険するお伽草子だ。

「……小さき人の島かぁ、凄いねぇ!」

 その他愛ないお伽草子を喜んで読むちどりに、与助はにこりと笑う。

「与助兄ちゃんは色んな御本を読んでるから頭が良いんだよね!」

 ちどりは、優しく穏やかで理知的な彼の事が好きだったのだ。
 他愛ない子どもの憧れだったとしても、確かに、好きだった。

「でも、こうも体が弱いんじゃ、長男の癖に、どうにもならないさ」

 与助の自嘲的なそれは、ちどりの無邪気さに当てられたのかもしれない。
 障子の方に目をやった与助は小さく苦笑した。少し間を置いて、与助の母が遠慮がちに入ってくる。

「与助兄ちゃんは、体が丈夫になりたいの?」

 与助と、その母の間に流れる空気を、まだ幼いちどりは気付くこともない。

「だったら……ちどりがなんとかしてあげる!」

 それは他愛ない思い付きだった。

「ちどりちゃんが……?」

「ちどりがお医者になって、与助兄ちゃんがどんな病気になっても治してあげるよ!」

「まあ、ちどりちゃんったら……」

 自分は利発だと、賢いと言われている。薬だって沢山覚えてきている。
 幼い自信は、それをとても素敵な思い付きなのだと思わせた。





「……そうして、幼い私は、本当に医者になるための勉強を始めてしまうんです」

 とはいっても、家の蔵書を読み漁ったり、薬の調合を無理矢理父から教わる程度だったが。

「最初は周りも、稚児の気紛れみたいな扱いでしたが、勉強する事自体は性に合っていたみたいです」

 土井先生は、私の話を静かに聞いてくれていた。

「……その、与助さんという方は、今は……?」

 遠慮がちに促してくれる土井先生に、私は笑う。

「大丈夫。元気に過ごしています。お家に見合った、可愛らしいお嫁さんももらって、」

 笑うが、多分、これは苦笑いだ。





 幼い子どもの、無邪気な『好き』も、年数が重なればそれなりに煮詰まる。
 小さな頃とは違い、共に遊ぶこともなくなったちどりと与助。往来で会えば挨拶ぐらいは交わすが、ちどりには、煮詰まったその思いの為にぎこちない受け答えしかできなくなっていた。
 気恥ずかしい。言うなれば、あの鉢屋三郎が彼女に言った『浮き足だって何もできない』という奴だったのだろう。

 そんなある日、父の商いに付き添ってその帰り。
 家の前に、与助の姿を見た。
 与助と、与助の父が、ちどりの母と何か話をしている。
 ぎくりとしたちどりを他所に、父は歩き始めるから仕方無くその僅か後ろを着いてあるくのだった。

「ああ、ちどりちゃん」

「与助、兄さん」

 与助が、彼女に気付いて笑う。
 彼女がどれだけぎこちなくなっても、その笑顔は変わらなかった。

「俺、縁組みが決まったんだ」

「へえ……凄いね!おめでとう!」

 あっさりと、幸せそうな笑顔で告げられた言葉に、ちどりは自分で思っていたよりも冷静に言葉を返せた。

「わざわざご挨拶に来てくださいますとは、本当におめでとうございます」

 ちどりの父も、にこやかに与助とその父に頭を下げる。

「三反田さんの薬には随分と助けられましたから」

「いえいえ、そう言って頂けるとは薬師冥利に着きます」

「ちどりちゃんもそろそろ良い年頃ですね」

「いやあ、うちの娘は何を考えてるのか、医者になりたいだなんて勉強付けでして」

 親同士の他愛ない会話が、何処か幕の掛かった様に聞こえる。
 視線を感じて、目を上げれば、与助の優しい笑みがある。

「……そうか、ちどりちゃん。昔言ってた事を、守ってくれているんだね」

 気遣わしげな、幼い子どもに向けるような笑みに、初めて、胸がきつく痛くなったちどりは、それを誤魔化すように笑った。

「うん。でも本当になりたいの。与助兄さんが倒れた時は任せといて」

 笑って、そう答えた。

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