理不尽に爛漫に/道理に叶って絢爛で

□閑話・青年Y氏の思い
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 齢十六の頃辺りから、私の人生とは此れくらいのものだろうと思う様になった。

 才覚は父と母から受け継いだ。
 容姿は父と母の良い所を受け継いだ。
 努力も鍛練も苦ではなかったし、多少の挫折はあれど、絶望はなかった。
 絶望はなかったが、大きな希望というものもなかった。
 父が学園に勤める事になったので、ならば自分は何処とも敵対せぬ様にフリーの忍になった。
 不満はなかったし、努力はいるが、不可能に難しい事でもなかった。
 私は私の手の届く範囲であれば必要なものを手に入れる事ができて、高望みさえしなければそれで充分に満足できる。
 私の人生とは此れくらいのものだ。と、納得していたのだった。

『私の道筋は、貴方に繋がっている』

 そんな頃に出会った彼女の、その言葉を、今でも時折思い出す。
 思い出すと同時に夢想する光景がある。
 手を思いっきり伸ばした先に、届かないその場所は薄暗い。平凡な私が知らないものがまだあるよと、それで満足かと、何かがそこで静かに笑う。そんな光景を。
 それは、私が彼女に対して思う事と、ほんの少し似ているのかもしれない。

 彼女、藤山葵と出会ってから、半年と少しだ。空白となる一年程の失踪を経て、再び私の前に現れた葵は、未来から来て過去から戻って来たという凡そ理解しがたい身の上を私に語っている。
 信じたのかと言われると、自信を持って頷く事はできないが、葵が此処にいるというだけで私には充分だったので信じる信じないという話はそこまで重要でもなかった。

 いるだけで充分と、何時からそう思うようになったか。
 恋情に限りなく近いが重く、友愛よりも深いが何処か淡い、殆ど執念の様なその感情が何時からあるのか。

 齢十二ばかしの少女が、大金を持って私に仕事を依頼してきた、フリーの忍になって初の大口の依頼人。
 そんな、強烈過ぎた出会い方だけがその理由というだけでもない様に思う。

 だが、切欠について考えてみれば、少々不恰好で、思い出すのは微妙に恥ずかしい出来事に帰着するのである。





「いい加減にしろやっ!!!」

 そんな怒声と共に反転する視界、木々の向こうの空へ向かって舞い上がる毛虫が見える。
 顔に落ちてくるものを避けねば等と悠長な事を思っている内に、身体はバシャリと水音を立てて落下したのだった。
 ごく浅い沢であったが、落ち方が悪く全身しとどに濡れてしまっている。
 滴がポタポタと落ちる髪の向こう側に、肩で息をしながら此方を睨み付ける葵の姿が見えた。

 ああ、何と無く我に返ってきた。

「…………減るもんでも無し」

 だけど、私の口は余計な事を言う。
 葵の眉は益々釣り上がった。普段から厳しい顔が多い彼女だが、今ほど怒っている姿は初めて見る。

「減るわっ!!ボケ!」

 そして口も悪い。
 私は、何をしようとしたっけ。そう、確か酷く苛々としていた。

 ……当時、葵が依頼したものとは別にかなり長い期間で任されていた仕事があった。

 玻璃の粉をほんの少し、さる方の飲むものに混ぜ続ける。たったそれだけの仕事である。
 長い期間を掛けて、飲み込まれていく玻璃の粉は軈てその某の肺を蝕み内側から死に至らしめる。当人も周りの者達も、その原因やもたらした者すら分からぬままに。

 今に軸を戻せば、それはつい数日前に漸く完了した仕事であり、当時に軸を合わせれば、その仕事に関わりだしてから十日以上は経ったかという頃であった。

 私の苛立ちは、某かとその元服前の息子が仲睦まじく剣術稽古なんぞをしている姿を不覚にも己が父と幼き日の己などに重ねてしまった時からかもしれなかったし、報告をした依頼主達の「綺麗な顔立ちで良くやるものだ」といった、凡そどの口が言うのだという発言と共に浴びせられた嘲笑と侮蔑の視線からかもしれなかった。

 何もかもを虚仮にされているかの様な心持ちの私は、気付いた時には吉田村にいたのである。

 葵の依頼を受けてから、報告が無い時も時間を見つけては足を運んでいたのは、きっと、「行けば必ず其処にいる」という安心感が当時の私には必要だったからなのだと思う。今はそれが学園に取って変わったのではあるが。

 普段であれば、竜王丸殿の屋敷へと伺うのが先であったが、この時の私は、ただ闇雲に彼女を探しながら林の中を歩き回っていた。
 そう、全く当てというものは無かったのだが、彼女には運の悪かった事に、程なくして、沢の近くにて、私は彼女を見つけてしまったのである。

 どうやら、洗濯中の様であった葵は、私が近付く気配に気付いて直ぐに顔を上げた。元から隠れる気も無かったのだが、少しギクリとする。

 葵は、あの時折見る荒んだ目をしていて、またもギクリとしたが、その眼差しは瞬きの内に一瞬で溶けるように消えた。

「……こんにちは、利吉さん」

 そう言って、ゆわんと微笑んだ。
 自分より小さな少女が見せた笑顔は、幼げというよりもただただ柔らかく優しいものだけがあって、私の足はふらりと動いた。

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