理不尽に爛漫に/道理に叶って絢爛で
□そしてまた夜は明ける
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「……うおっ!?」
宿場の部屋の戸を開けば、直ぐ目の前に利吉さんが立っていて、ぎょっとする。
「お帰り」
いや、お帰りじゃないよ。こえーよ。
「……宿場の御主人が教えてくれた饅頭屋に行ってみたんです」
まあ、気にしないことにして、部屋に入り、壁にもたれて座り込む。
少々疲れたというか、やっぱり何処か身体は怠く、頭はぼんやりしている様な気がする。
「この辺では一番美味しいらしいですよ」
手にもっていた包みを投げ出した膝の上で開く。
ふっくらと柔らかそうな饅頭が二つ。
「無駄足のお詫びと言っては何ですけど、食べませんか?」
「……無駄足とは思ってないよ。君と遠出なんて貴重な体験だった」
気遣わし気な、優しい笑みに、私は曖昧に笑う。
「折角だし、帰りに湯治にでも寄って行こうか」
「あ、良いっすね、それ」
明るい声で返せば、利吉さんはにこりと、いや、にやりと?
まあ、あの時々見せるSっ気ある笑みだ。
その笑みを浮かべながら私の隣に腰掛ける。
「混浴で良いかな?」
「……先程、遊女に絡まれてたのって誰でしたっけ」
切り返せば、げっ、と顔をしかめた利吉さんの口許に饅頭をひとつ差し出す。
「墓穴を掘りましたね」
「……掘ってしまったね」
差し出した饅頭を口に食わえて、利吉さんはそっぽを向く。耳朶が赤い。
花雲には、チカちゃんは確かにいなかった。
主人はいると言い張っていたけども、私達は素人の嘘ぐらい分かる。
それに、本人が其処にいるなら、あんなに霞が微かな筈がないのだ。
自分がそれをまだ見る力があった事には驚きだけど、直ぐにでも消えそうな桃色の霞が花雲には漂っていて、それは、チカちゃんが此処にいた名残であることが分かった。
ならば今、彼女は何処にいるか。
それは、決まりきっている。
利吉さんも、きっと、何と無く分かっている様に思う。
だけども、互いにそれは口には出さず、ただ二人で並んでむぐむぐと饅頭を頬張っている。
「君は、これからどうするのかな?」
饅頭を食べ終えた利吉さんが、ぼそりと、沈黙を破った。
「どうもしませんよー。初な利吉さんと一緒に温泉に行ってあげるだけですよー」
「なんで上から目線なんだい」
苦笑する利吉さんの、目はそれでも真剣で、独特の緊張に張り積めている。
私は、気づいていない振りをする。
「しっかし、利吉さんもほんとに良く但馬くんだりまで着いてきてくれましたよね」
「依頼してきたのは君じゃないか」
「いや、まあ、そうなんですけど」
「……そうだな。強いて言うなら、」
「んっ!?」
突然引き寄せられ、こつんと、額と額が合わさる。
「私が、君の事を、結構好きだからかもしれない」
至近距離で震える彼の睫毛が、私の小さな笑い声で震えた。
「私にそんな事を言ってくれたのは、利吉さんで二人目です」
「残念。一番ではなかったか」
「ええ」
ゆっくり離れる利吉さんの下瞼が僅かに痙攣したのを感じた。
そろそろ、か。
「……すみません」
「…………何、が、」
声が途切れる。
異変に気づいたのだろうが、もう遅い。
「死ぬ様な奴じゃないので安心して下さい。ざっくり半刻以上は碌に動けないとは思いますけど」
ずりずりと、壁に背中を擦るように横倒しになる彼の身体を、頭を打たないように支えて寝かせる。
「効きが切れても、追い掛けてきちゃ駄目ですよ」
流石は元くのいちの婆ちゃん直伝だ。
無味無臭で仕込んでも気付かれる事は先ず無いが、その効き目は強い。
だからこそ使い方は選べと言われた事を思い出して、ちょっと苦笑しながら、頭の中で婆ちゃんに謝る。
指先まで痺れて動けないだろう利吉さんのうろうろとさ迷う目をそっと手で撫で付けて閉じさせる。
こうすれば、もう自力で開けることも出来ない。
「ごめんなさい。本当に」
心からそう思っている筈なのに、口に出してしまうとどうしてこうも空しく響くのか。
「……あった筈の未来の話をしますね」
空しさを誤魔化す様に私はぼそぼそと呟く。
「利吉さんはこれから先、学園に行く事になります。そして私を、私だけど私でない人を助ける筈です」
其処にいるのは、未来でありながら過去の私だ。
なんて荒唐無稽な、と我ながら少々呆れる。
「だけど、その未来は、此れから私がすることによって、きっともう来ません」
目から落ちてくるものが、その熱さが不快で、私は顔を何度も擦る。
これは何の為の涙だ。
私は、何度泣いたら気が済むんだろう。
「さよなら、利吉さん」
忌々しい鼻声でそう言って、私はのろのろと立ち上がる。
勝手な奴だ。
私は、自分勝手で、狡くて、臆病で、どうしようもない。
怖くて仕方無いのに、私はそれでも進む。
部屋の戸に手を掛けた。
ざり、
耳を掠めた床を擦る音に私は反射的に振り返った。
「……マジか」
指一本動かすのすら辛い筈だ、起き上がるなんて、そんな、
利吉さんが床を引っ掻く様にしながらがたがた震える半身を起こし出すのに、目を離すことができなかった。
私を見ようとしているのか、此方に向けられた蒼白な顔の中で、瞼が、ぎぎ、と開こうとする。
凡そイケメンがする様な表情じゃない。鬼気迫り過ぎだ。
何故、いったい何が貴方をそこまでさせる。
その思いの強さは深々と突き刺さる程で、それでも、分かりたくない。
「……、だ」
震える唇から、溢れてくる微かな声を、私の耳は勝手に拾おうとしてしまう。
早く出て行かなくてはならないのに。
「だめだ」
はっきりそう言った。
私は、息が止まりそうになる。
「…………駄目ですか」
返事は返らない。
薬が回りきったのか、またずるずると崩れ落ちていく。
私は、彼が完全に動かなくなったのを確認して、それから、部屋を出た。
振りかえるな、振りかえるな、とぶつぶつと呟きながら、擦りすぎて痛くなった頬に、やたらと風が冷たかった。
一陣、きつく冷たい風が吹く。
息が出来ない程のそれに、私はぎゅっ、と目を閉じた。
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