理不尽に爛漫に/道理に叶って絢爛で
□そうだ但馬へ行こう
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但馬の国に入り、栄えた町に辿り着けば、直ぐに天女の噂を耳にした。
天女の名の通り、突然空から降ってきたのだとか、
見たこと無い程に魅力的な女なのだとか、
何処其処の某が天女の為に家財を全て売り払い破産したとか、
大きく分けてそんな話ばかりであった。
「空から降りてきたなんてのは、まあ出鱈目だろうけど、かなり遣り手の遊女の様だね。その天女様とやらは」
休憩に立ち寄った茶屋でぽつりと呟いた私に返事は返って来ない。
縁台の隣に座る葵はじっと目を伏せている。
暫しその微かに震える白い瞼を見下ろしていたら、彼女はぱっと顔を上げて私を見た。
「笠谷千香です」
「え?」
「彼女の名前は、笠谷千香です」
「笠谷、千香……?」
『彼女』、と、いうのは天女の事を指すのだろう。
しかし、何故、葵が遊女の名前を知っているのか、妙に核心的な物言いに葵の顔を見るが表情は読めない。
「覚えていて下さい、そしたら多分、近くに行っても大丈夫なので」
「なんの話だい」
「彼女のテンプテーションの話です」
「は?てん…ぷ?」
「チカちゃんは、」
淀み無い口調で喋っていたと思えば、ふいに声を詰まらせる。
ふっと息を吐いて、また喋りだした。
「チカちゃんは、男性の心を操る力を持ってます。この世界で生きていく為の力です。名前を知っていれば、術には掛からない」
彼女はやおら立ち上がり、私を見下ろす。
「では、行きましょう。花雲へ」
往来で聞いた話を頼りに、隣町の北の外れへ向かえば、徐々に歓楽街の趣が強くなってくる。
「ちょ、ちょっと待って」
「ん?」
すたすたと歩く葵の腕を掴んで引き留めれば、きょとんと振り返る。
「本当に行くのかい?」
「え?今更何を」
「いや、何て言うかその……」
もだもだとする私を不思議そうに見返す彼女の背後で目の前の飲み屋から、一組の男女が出てきた。
胸元がしどけなくはだけた派手な女が男にしなだれ掛かっている様に目が吸い寄せられれば、女と目が合い、動揺する。
じっと私を見ていた女は、やがて、ふん、と馬鹿にする様に鼻で笑って、また男にしがみつきながら去って行った。羞恥で、顔に熱が籠る。
「あー……」
そんな私と去って行った男女を見比べた葵は、苦笑いを浮かべながら頭を掻いた。
「もしかして、利吉さん。花街は初めてですか?」
「そん、な事は……行った事くらいあるさ、仕事で、一度」
「ふは」
吹き出した彼女をぎっと睨む。
「私達にとって色は禁ずるべきものだろう。好んで行く筈が、」
「あー、はいはい。すみません」
くつくつと笑いを堪えながら私を見て目を細める様子は何とも憎らしい。
「そういう君はどうなんだい」
いや、良く行くと言われても困るのだが、
「妓廊の雑用って、結構給金が良いんですよね」
「…………」
「堂々としてないと変なのに絡まれますよ?利吉さん只でさえ目を引く容姿ですし。連れ込まれちゃったら私助けれなぶっ!!」
「余計なお世話じゃ!!!」
私に叩かれた額を擦りながら彼女は呻く。
「ってえぇ……暴力反対!心配してんじゃないすか!!なんなら一人で行きます。利吉さんはその辺で待ってて、ぐえ、」
首根っこを掴めば、蛙が瞑れた様な声を上げる。
「君を一人で行かすわけないだろ!!」
「なんだこの人マジめんどくせえ……」
葵はげんなりした風に大きな溜め息を吐いて、私に向き直る。
「じゃあ、こうしましょう。利吉さんはさるお屋敷の息子のお忍びで、私は側仕えの少年設定」
「少年?」
「この格好ですし、見えるっしょ?」
そう言いながら、葵は髪をざっくりと下に結び直し、袴の位置を調節した。
「確かに、見える」
「……言い出したん私だけど面と向かって言われると複雑」
ちょっとむすっとした彼女は、まだ未発達な体つきの為か、そうして見ると確かに少年に見えなくもない。
「ま、良いや。……じゃあ、こっから僕の事は太郎丸とでも呼んでください。行きますよ若旦那」
少年の振りも慣れているんだろう、先程とは違う歩き方になった彼女と共に、飲み屋や水茶屋やらが並ぶ街並みへと足を踏み込んでいった。
隣を歩く彼女は僅かに目を細めている、何かを探っているような眼差しだった。
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