理不尽に爛漫に/道理に叶って絢爛で
□そうだ但馬へ行こう
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部屋の戸を開ける前に、少し息を詰める。
開ければ其処にはいないかもしれない。
いなくても仕方無いかもしれない。
そんな考えがほんの一瞬頭をよぎり、振り払い、私は戸を開ける。
「葵」
ちゃんといた。
彼女、藤山葵は部屋の隅に踞って私を見た。
「ん。出発ですか?」
「何か食べてからね」
私、山田利吉が、彼女と出会ったのは、今から半年以上前だ。
出会ったすぐ初めは、何て事のない少女にしか見えなかったが、彼女は私の初の大口の依頼人の一人であり、そして、彼女以上に奇妙な人物を私は他に知り得なかった。
何処と無く悲し気で投げ槍な雰囲気と、しかし、何処かに希望を孕んでいる様な遠くを睨む眼差し。
荒んだ表情と、しかし、赤ん坊の様に無垢な雰囲気。
彼女は、色々とばらばらで不均衡だ。
四歳も年下でありながら時折私より遥かに長く生きている様にも感じる。
何時も泣く様に疲れた様に笑う彼女が、心から幸せに笑うことを願う様になったのは何時からだったか。
「葵。また、寝ていないな」
「……寝ました。少しは」
極うっすらと隈の渡った彼女の目元を指先で撫でれば、むっとした顔で払われた。
無防備な癖に警戒心も強いのだから、と、私は苦笑する。
「次の峠を越えれば、但馬だ」
「はい」
彼女は頷く、そしてへらりと笑う。
消え入りそうなあるかなしかの笑み。それを見るといつも、遠い春を待つ梅花の蕾を思い出す。
私は、今、彼女と共に但馬の国へと向かっている。
彼女は但馬の国にある妓廊の遊女に会いに行くのだ。
天女と呼ばれているその遊女の噂は、私達が住む畿内にも伝わっている。
会って、そしてどうするのか、彼女はそれはあまり話そうとしない。
ただ一言、助ける、と。
何故助けるのか、何から助けるのか、それは全く話さない。
何もかも不可解な旅だが、私は彼女に着いていく事を選んだ。
今、側にいないと、彼女はもう二度と私の前には現れない、そんな予感に駆られたからだ。
食事を済ませ、峠に向かって歩く。
互いの口数も少なく、僅かに後方を歩く彼女は、相変わらず何処か覚悟を決めた様な、反して何処か投げ槍な雰囲気で足元を睨み付けながら歩いている。
誰も踏み込めない領域を、彼女は持っているのだ。
「ほら、葵」
「うん?」
「此処から足場が悪いから」
手を差し出せば怪訝そうに首を傾げる。
「私、これぐらい鍛えてるんで、別に余裕っすよ?」
きょとんとしている彼女を有無を言わさず横抱きに抱え上げる。
「えっ!?ちょ、おま!!!」
「此方のが早いだろ」
「いや、ちょっ、おいこら下ろせ!!」
ばたばたと抵抗する彼女を無視して、私は岩場を飛び越えていく。
「よっ、と」
地面に下ろせば、大慌てで離れる様に私はまた苦笑する。
「君は本当に私を嫌うよね」
「きっ、嫌いとかそういう問題じゃねえよ!いきなり何すんだ!常識ってもんがないのかあんたは!!」
真っ赤になりながら私に捲し立てる様は年相応の少女に見えた。
それの方がずっと良い。
ずっとそうしていれば良いのに、と私は此方を睨む彼女の頭を撫でようとするが、素早くそれを避けた彼女はさっさと歩き出す。
「さっさと行きましょう」
「了解」
ひょろっと頼り無げな背中に、私はただ着いていくのだった。
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