理不尽に爛漫に/道理に叶って絢爛で

□神様とサイコロ
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「……美味しい」

 蒸かし饅頭を一口、思わずそう口に吐いて出てしまった。

「良かった」

 隣に座る利吉さんに目をやれば、何とも言えない嬉しそうな優しい笑みを浮かべていて、私がしかめっ面を作ってそっぽを向けば、呆れた様な笑い声が左耳に掛かる。

「君はなんで、私を嫌うかなあ」

「嫌っているわけではないです」

「じゃあ、好き?」

「……そういう話は嫌いです」



 竜爺も婆ちゃんも、利吉さんも、何処までも優しくて温かだ。
 そんな人達を嫌いになれる筈はない。だけど、私にはこの世界を思うままに、そのまま素直に受け入れる事は出来なかった。

 竜爺の家に世話になるのを決めたのも、利吉さんに出会ったのも、全ては私の為の私の打算だ。

 だから、私は、優しくされる訳にはいかないんだ。

 それだって、私の勝手なんだろうけれど。


「君は、」

 ふいに、伏せた瞼に指が触れて、びくりと肩が震えた。

 彼の手から逃げようと身じろいだら、意外にもあっさり距離を取らせて貰えた。


「君は時折、酷く荒んだ目をする」

 泣き疲れた子どもみたいだ。と、利吉さんはそう小さく呟きながら一口茶を啜る。


「……まだ君の言う終わりは来ないのかな」

「…………」

 残りの蒸かし饅頭を口に押し込み茶で流し込む。
 身体がふわついて、何処か気だるい。
 きっと「私」がやって来る日は近い、そう確信があった。


「例えばの話をしても良いですか?」

「良いよ」

 二人の間を風が吹く。
 揺れる前髪を撫で付けながら私は口を開いた。

「例えば、利吉さんの大切な人が辛い目に合っていて、その人はこの先死ぬことが分かっていて、」

 胸がつかえる感覚に、すこし唾を飲む。

「自分はそれを全て無かった事にできる。でも、今、その人は確かに苦しんでいる。無かった事になったとしても、確かに自分の、記憶の中では、死んでしまっている」

 利吉さんは黙っている。
 僅かに、此方へ気配が近付こうとするのを感じた、


「今ならば、今のその人を助ける事ができるんです。でも、それをすれば自分はきっと消える…………どうするのが、何が正しいんでしょうか」

 目を横に向ければ、静かに私を見下ろしている利吉さんと目が合った。





「……仮に、私がそれに答えたとして、君は納得するのだろうか」

「……」

「君の中で、既に答えは決まっている様に私は思う」




 私は大きく息を吐く。
 笑った。笑ったんだろうと思った。
 けれど、利吉さんの表情を見る限り、酷い顔をしているのかもしれない。




「利吉さんは流石ですね」

「ありがとうと言えば良いのかな?」

「利吉さん」

 向き直る。
 そんな悲し気な顔は止めて欲しいと、少しだけ、胸の奥が痛む。

「なんだい?」

「…………依頼内容を変更しても宜しいでしょうか」

「………………内容は?」


 私は彼方に目をやる。
 彼の場所の方角だ。









「私は但馬の国に行きます。同行して下さいませんか」

「但馬の……?」

「但馬の国の、花雲という妓廊にいる、天女と呼ばれる遊女に会います」

「何故」

「助けにいく、そして許されたい。それだけです」


 利吉さんは黙っている。

 沈黙が暫し流れた。



 私はのろのろと立ち上がる。


「すみません。忘れて下さい。元々は一人で行こうと思っていたので、」


 そうして、歩き出した。
 このまま行こう。心が揺れ出さない内に、弱い卑怯な私が出ない内に、今この間にも、苦しんでいる彼女が其処にいるならば、助けよう。

 機会は今しかない。
 きっと、今の私ならできる。
 拳を握りしめた。


 例えば、それが、私の消滅と引き換えだとしても、




「待ってくれ!」


 肩を掴まれた。
 振り返れば利吉さんが険しい表情で私を見下ろしている。


「……分かった。一緒に行こう」

「ありがとうございま、」

 言葉が途切れる。
 抱き寄せられたと理解した私は慌ててもがく。

「ちょっ、止めてください!こんな往来で人目がっ!!」

 あわあわとする私は吃驚するくらい顔が熱くて、一方で、その熱を何処か浅ましく思う私が冷めた目で、顔の赤い私を見ている。そんな気がした。


 視界が歪む。

 泣くな。と、私は歯を食い縛った。


「すまない、でも、暫くこのまま。」

 利吉さんの腕の力は強くて息苦しい。
 私の目から結局堪え切れなかったものが少しだけ流れた。









 その日の夜半過ぎ。


 私は短い手紙を置いて、利吉さんと一緒に吉田村を出て但馬の国へと密かに旅立った。


 竜爺と婆ちゃんに心の中で何度も謝りながら月も無い夜の底を走る私の脳裏に、不意に浮かぶのは、生意気な笑顔で、また涙が出そうになる。


「大丈夫かい?」

「汗です」

「汗って、」

「ほら、あれ!心の汗ってやつ!!」


 戻る事はできそうにないや。
 と、私は目元を拭いながら、なんとかへらっと笑ってみせたのだった。


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