理不尽に爛漫に/道理に叶って絢爛で

□奇妙な彼女
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「やあやあ、兄さん。素通りたあ、釣れねえじゃないすか」

 とある花街の、とある妓廊の前、掃き掃除の小僧に声を掛けられ、男は足を止め、にやりと笑う。

「掃除役の小僧が、いっちょ前に客引きかい?」

 男は、小僧の爪先から頭先までを舐めるように見る。ぱっと目に着くような華やかさには欠けるが、その若枝の様な体躯は悪くはないな、と、男はほくそ笑む。

 小僧はそんな男の好色な目に動じる事もなくへらりと笑う。

「うちの姐さん達は皆、別嬪ぞろいさ。それとも何かい、兄さんは他に良い店でも知ってんのかい?」

「そりゃあ、お前、最近話題の妓廊と言えば花雲に決まってんだろうが」

「……ああ、良く聞くねえそれ、兄さんは行った事おありで?」

「おきやがれ。花雲は但馬にあんだ。路銀だけでも馬鹿になんねえし、行ったってそこの天女様を抱けるとも限らねえ」

「へえ。花雲の店子は天女様って呼ばれてんのか!随分大層だなあ」

 感心したかの様に目を向く小僧に男は得意気に鼻を鳴らした。

「呼び名だけじゃねえ、本当に天女なんだそうだ。ある日空から降って来たんだと。とてつもねえ良い女らしいぜ。最近じゃあ、ここいらの大名もお忍びで花雲に行くぐらいだそうだ」

「……そりゃあ、凄い」

 小僧の瞬く目が一瞬奇妙な光り方をしたのに、男は気づかない。

「まあ、今日の所は此処で茶でも濁すか」

「へえ、どうも」

「処でお前は、買えんのか?」

「冗談は止しとくれ、兄さん。おいらは只の掃除係さ」

「そいつあ、残念」

 ざらりとした手で、小僧の背筋を一撫でしながら男は店の中へと入っていった。















 畿内の何処かしこ、小さく、しかし、平和な、何のへんてつもない田舎の村。
 その吉田村を見下ろすように在る小高い山の頂上に、一人の翁が立っている。

 見た目は貧相そのもので特にその面相は骨と皮のごとしであったが、なかなかどうして、その堅牢な脚は地をしっかりと踏みつけている。

 それもその筈、この貧相な見た目は翁にとっては仮の姿でしかない。

 翁はかつて忍であった。それも優秀な。

 その翁、竜王丸は先程からずっと右の足をたんたんと踏み鳴らすようにしている。



 竜王丸は待っている。




 そして、程なくそれは木々の間を跳ねるようにしてやって来た。





「百八十じゃな」

 息を切らしながら頂上まで木々を飛び抜けてきた自分の娘弟子に、彼女が到着するまでに自身が足を踏み鳴らした数を言えば、へらりとした笑いが返ってきた。


 やくさんぷんだ、と娘弟子の葵は嬉しそうに笑いながら額の汗を拭う。この娘は時々、意味の分からない事を言い出す。

「まだまだじゃ。わしが十二の頃には六十までで辿り着けたわ」

「師匠、少々話を盛りすぎですよ」

 随分と生意気な口を聞くようにもなった。
 竜王丸は小憎らしい反面、一番弟子であり、愛しい養い子でもある彼女の成長を感じ、目を細めるのだった。






 竜王丸は、今から七年前、五つかそこらの彼女を拾った。

 辻の地蔵のお供えをくすねる孤児だった彼女を、竜王丸の妻は地蔵からの授かり物だと喜んだ。

 竜王丸に言わせれば、根性のある賢そうな子どもに見えて気に入っただけであったのだが、時折、そんな妻の言葉をふと思い出す時がある。




「師匠、但馬の国は、此処からは遠いのですよね」

 そう、例えば、こんな時だ。




 夕日を背に、此方を見る葵の両の眼を、竜王丸は見返す。

 この娘は、ごくたまに不思議な目をする。

 酷く老成した様な、遠くを睨み付ける様な、何かしらに焦燥している様な、何かを諦めている様な。



「そうじゃなあ。お前の脚でもかなりは掛かるかのう」

「……そっか」

 押し黙って、沈んで、何事かを考えている。
 きっとそれは己には踏み込めない領域なのだろう。と、そんな直感の中、竜王丸はただ、静かに、何処か寂しい気持ちで彼女を見つめていた。




「おお、そうじゃ、例の件は渦正が山田殿に取り次いでくれるそうじゃ」

「あ、マジで?ありがとう師匠」

 先に己が沈黙を破れば、ぱっと笑みになった彼女が竜王丸の横をすり抜け、走り出す。

「師匠、家まで競争しましょう!負けた方が明日の薪割り!!」

「ふはは!弟子の癖にいっちょ前に!!!」

 にかっと此方を振り返りながら笑う彼女はすっかり子どもらしい雰囲気に戻っている。


 竜王丸はそれに安堵しながらも、師匠として負けるわけにはいかぬと若鹿の様に駆けていく少女を追い越して行くのだった。







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