理不尽に爛漫に/道理に叶って絢爛で
□惜別
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暗闇に響く音に気づいた。
連続的でけたたましい、無理矢理にでもこの微睡みをぶち壊そうとでもいうような、
はっと目を開けて、私は飛び起きる。
「えっ!?あっ、ぬおおっ!!?」
転げ落ちた。
ベッドの上からだ。
私の足に吹っ飛ばされた目覚まし時計が床に落ちてもまだ鳴っていて慌てて止める。
「これ、壊れたんじゃなかったっけ……?」
手にとった多分世界一有名な白い猫の女の子のイラストつきのそれは、昔小学生の頃の夏祭りで当てた景品で、中学二年の春ぐらいまでは毎朝元気に枕元で私を叩き起こしていた筈だ。
ぐるっと部屋を見回す。
私の家の私の部屋だ。
壁に掛けられた中学の制服。
カレンダーの年を見て、私は確信した。
79回目に来た、と。
「葵!そろそろ起きろ!!」
階下から聞こえてきた声に思わず息を飲む。
心臓がばくばくと煩く返事が出来ない。
「葵!遅刻しても父ちゃんは知らんからなあ!!」
深呼吸をして、私はその声に返事する。
「大丈夫!起きてる!!」
制服はひんやりしている。
久しぶり過ぎてややもたつきながら着た私が、部屋の姿見に写る様に妙な気分になる。
「なんだこのコスプレ感……、」
いや、まあ、見た目は13歳なんだろうけどさ……、
「葵!朝飯!パン何枚だ!!?」
「一枚で良い!」
「足りんのか!?」
「足りるし!!」
そして、父ちゃんうっせーのな。
うんうん、朝はいつもこんなんだったよなあ。
戻って来たんだ。
でも素直には喜べない、いや、喜んではいけない。
私の命は後、三日だ。
私は、落とし前をつけに来た。
一階に降りれば、父ちゃんがコーヒーを飲んでいて、思わずじっと見てしまう。
ああ、父ちゃんだ。
此処にいる、ちゃんといる。
「なんだ、じろじろ」
「いや、父ちゃんって、やっぱり男前だよなって」
「ぶっ!っぅえっ、けほ、……なっ、なんだいきなり!!?」
「汚い」
コーヒーを噎せた父ちゃんだった。
「うーん……やっぱり似てんなあ」
「あ?」
「いや、此方の話し」
あれでもっと若くして目に隈をつけたらまんまもん兄ぃだよな。と私はトーストをかじりながら思う。
会わせてみたら面白いだろうな、絶対に無理な話だけど。
「行ってきます」
「おう、今日はお前夕飯当番だからな。忘れんなよ」
「うっす」
出勤する父ちゃんとバス停で別れて、私は学校へ向かう。
私が正しい時期に落とされていたら、今は、あの時の、あの日の筈だ。
予想以上にうろ覚えでも意外といけるもんだなあ、なんとか教室に辿り着いた。
戸を開けた瞬間、沈黙、そして、喧騒。
教室の真ん中に鎮座するこの世界の中心にいるがごとき四人のけたたましい笑い声。
空気悪いな。
窓際の席で良かった。
薄く窓を開けて外を見る。
空が真っ青で綺麗だと思った。
外はこんなに広くて、風は冷たくて、日差しが眩しいのに、
こいつらは、私達はこんな狭いところでいったい何やってるんだろう。
「藤山さあん」
狭い世界の中心の、四人の中心が、私の所へ近付いてきた。
ああ、この子、こんな顔だったんだ。
可哀想だった。
何もかもが馬鹿馬鹿しくて可哀想だった。
張り巡らされてがんじがらめの紐を、彼等や私が一番重要だと思っていたものを、私は今からずたずたに切り刻む。
「藤山さんて、あいつと仲良いんだっけ?」
口許に笑みが浮かびそうになる。
まさか、このタイミングとは。
ずれたのか、いや、多分毎回タイミングは違っていたのかもしれない。
「うん。なんで?」
あっさりと聞き返す私に、目の前の少女の眉毛がぴくりと動く。
だが一瞬の事、幼い残忍さを着けた笑顔で私に顔を近づけ囁く。
「あいつのケー番とアドレス教えてよ」
「嫌だ」
「え?」
きょとんとした顔だ。
理解できないって顔をしてる。
私は立ち上がり、机に手をつく少女を見下ろす。
「ねえ、あんたさあ。口臭い」
「は?」
「あ?分かんなかった?あんたの脳味噌と性根がずぶずぶに腐りきってるから喋ると口から腐敗臭するから喋んなっつえば分かる?」
「え?な……なんだよ!!」
詰め寄って肩を掴んだ少女の足を、思いっきり払えば、少女はよろけて椅子を倒しながら倒れる。
ざわりと動揺、円を描くように、私達の回りに人が離れていく。
「痛っ!」
「人に意味無く痛いことする奴はさあ、同じ事自分もされる覚悟しないと駄目なんだってのは分かる?」
立とうとする彼女の前にしゃがみその頭をぐっと押さえ付ける。
「何すんだよ!?」
「あー、頭悪い奴に何言っても一緒かあ。ほら、でも見てみなよ。あんたの話しなんて誰も聞いてないし、誰もあんたを助けようとしないよ。そんなもんなんだよね、あんたも私もさあ」
静まり返っている教室に反して、廊下が騒がしい、他のクラスの生徒達が覗いている。
「おい!何をやってるんだ!!」
先生が数名やって来た。
私は彼等を睨み付け、またのろのろと立ち上がる。
「先生」
「藤山!お前いったいどうしたんだ!?」
「彼女と、この三人は、笠谷千香さんを虐めていました。私達クラスの人間はそれを見てみぬ振りをしていました」
先生達の表情が固まる。
「気付いていた方もいる筈です。私達を、彼女をもう苦しめたくないと、本気で思っているのであれば、どうか、早急に対応をお願いします」
色々な事が分かっているというのは存外に楽ではないな。
先生達の顔に浮かぶ、後悔と憤りと打算とが手に取るように私には分かった。
「笠谷、本当なのか?」
人の輪の中に埋もれるようにしている、小さな頼りない女の子がびくりと肩を震わせる。
「あ、わ、私」
かたかたと震える彼女に向けられる無遠慮な視線。
ああ、もう、限界だ。
「ふざけんじゃねえ!!!」
私の怒声がこの嫌な空気を粉々にしてしまえれば良いのに。
「一番辛かったのは、苦しかったのはチカちゃんだってのが分かんねえのかよ!!なんで彼女が悪いみたいな顔してんだお前らは!!!」
チカちゃんに近づき、手を握った。
「私だって皆だって弱いから、間違ったことはする。でもこれは駄目だ。絶対に間違えちゃいけないんだ」
私は、未だ、机の間にへたりこんでいる少女を見る。
「……乱暴してごめん。」
そう謝れば、少女は目を見開いて私を見る。
「人を傷付けることはしちゃいけない。私も、どんな奴でも」
左手に持った、チカちゃんの手が、ゆっくりと握り返してくる。
「……チカちゃん」
チカちゃんは、私を見て、あの、淡い笑顔を浮かべた。
「チカちゃんは、此処にいて良いんだよ」
私も、その小さな手をきつく握った。
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