理不尽に爛漫に/道理に叶って絢爛で

□追走
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 二日前、藤山葵が消えた。

 存在も、あいつに関する記憶も。

 否、記憶は、恐らく、私のみが覚えている。

 はっきりした判断材料は、あいつが消えた直後に勘右衛門に問うた一回のみだが、それ以上の確認を他にするのが恐ろしかった。
 何より、私以外の者達の言動から状況は否が応でも突きつけられたのだから。




 藤山だけではない。

 笠谷千香に関する記憶も皆の中から消え去っている様だ。

 ただ、カエンタケ忍者が野武士と共に襲来し、それを退けた記憶はある。
 其処から二人の重要な人間がすっぽりと抜け落ちている。

 不自然な、記憶の穴。
 しかし、誰一人それを気にする様子もない。

 理解不能の事態に於いて、私が出した答えは「記憶の改変」である。

 荒唐無稽極まりないが、藤山と、あの妙な女が話していた内容を反芻した結果だ。
 あの女が記憶について話していた事は覚えている。

 しかし、あの女は笠谷千香に関する記憶と言っていた筈だ。
 藤山についての記憶まで消されているのは、やはり、あいつの消失に関係あるのだろうか。否、そもそも、

 午前の終業の鐘で我に返る。

「鉢屋、この後、宿題を集めて持ってくる様に」

「はい」

 やれやれ、授業を碌に聞いてないのはお見通しという訳か。
 そっと苦笑いしていたら、雷蔵が肩を叩く。

「手伝うよ」

「ありがとう雷蔵」

 そう、変わらない、変わらない今までの日常に戻った。
 だけど、藤山はいない。





「三郎。最近、何か悩んでいるのかい?」

 職員長屋で軽いお説教を受けてからの帰り道、終わるのを待っていてくれた雷蔵が隣を歩きながらそう問いかけてきた。

 優しい角度に首を傾げるその様に私はまた苦笑を溢す。

「何でもないよ」

 そう、もしかしたら、全ては私の妄想だったのかもしれない。
 そう思ってしまったら楽だろうに。

 私は、首筋に手をやる。絶望的な悲しみに泣き叫ぶあいつが着けた傷は確かにまだ此処にあるのだ。
 あの妙に気の抜けるへらへらした笑顔と、頼りない背中と、その癖に奇妙に強い眼差しを、私はただの夢とは思えなかった。

「それなら良いけど。お前は、何かと抱え込むからなあ」

 雷蔵の声が柔らかく耳を擽る。

「雷蔵」

 私が立ち止まれば、彼は数歩先を行き、振りかえる。
 円い笑みが、私を見返した。

「なんだい?」

「もし……もし、私が消えてしまって、君以外の誰もが私を覚えてなかったら、そうなってしまったら、」

 雷蔵の丸い優しい目が私を見ている、顔に熱が籠った。
 らしくない、こんなの、らしくないんだ。でも問わずにはいられなかった私はどうやら相当参っている。
 目を合わせていられなくて、自然と頭が下がった。

「君は、いったいどうする?」

「探すよ」

 床を睨み付ける私に降りかかるのは、間髪ない答え。

 雷蔵、君、何時もの迷い癖はどうしたんだ。

 でもそんな事は口には出ず、私はぽかんと口を開けて、雷蔵の顔を見る。
 其処には、変わらぬ笑顔。

「どんな手を使ってでも、僕はお前を探してみせるさ」

「雷蔵」

「……あ、綾部だ」

 私からふいっと目を反らして庭を見る彼の頬が少し赤い気がする。照れが出たらしい。

「修繕もまだ途中だってのに、また掘ってるよ」

 私もつられて、庭を見る。



 確かに其処にはふわりと揺れる癖毛と対照的に逞しく泥のついた腕。

 その時、喜八郎が、ふっと私達を、いや、私を見た。じっ、と私を見つめている。



「お前を見てるよ。三郎、何かした?」


 カチリと、何かが、はまった様なそんな気がした。

 まさか、否、しかし……。


「雷蔵、悪い。先行っててくれ」

「分かったよ。食堂の席取っておくね」


 雷蔵が去ったのを確認して、私は庭に降り立つ。
 喜八郎は未だ私を見ている。

 それは、全くもって無表情であったが、その眼差しに微かに迷いの様な何かを確かめようとしている様な、そんな色が浮かんでいるみたいに見えた。

 これで、勘違いならお笑いだ、と、私は、喜八郎に近付き、口を開く。












「藤山葵を覚えてるか?」


「…………おや、まあ」

 喜八郎の口がふわりと笑みを浮かべる。

 随分と力の抜けた、年相応の少年らしい笑みだった。

「……良かった」

 そう、一言。

 しかし、私には充分すぎる一言だった。




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