理不尽に爛漫に/道理に叶って絢爛で

□お客って大概ややこしいときに来る
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「小平太は、今朝も藤山と山の中か」

 長屋の部屋の隅で火薬の調合をしながら立花仙蔵が言ったそれは、ポツリと小さく独り言の様な響きをしていたものであったから、潮江文次郎は一瞬、返事をするのにためらった。

「もう五日か。良く続いてるものだ」

 何かしらを答えようとした文次郎はしかし、その前に仙蔵が話し出したので口を閉じ、また文机に視線を戻す。少し以前の実習の報告書を出さなくてはならないのに加えて、来期の予算の変更が出てきたところがある為に、今朝からずっと書き物に勤しんでいた。胡座の膝がゆさゆさと貧乏揺すりをしているのに気付いた文次郎はべしりと膝を叩く。

 五年生との対戦実習があるやもと鍛練に励んでいた六年生達の、その筆頭たる七松小平太が、五年生の藤山葵に個人的に鍛練を着ける事になったと言い出したのは、仙蔵が言った通り、五日前の事である。
 藤山葵。おなごの身でありながら何故か男子の忍たまに混ざっている彼女に対して、出会った頃の文次郎が抱いた印象は、端的に言えば「良く分からん奴」であった。

 態々忍たまとして学んでいるにはそれなりの理由や信念があるのかと思いきや、そんな風には見えず、何時も何やら心許なげで、然し、いざ身体を動かせばそれなりの実力もある。『強くなりたい』と、会計委員会の見学時に文次郎に自ら語っておきながら、己の実力そのものは敢えて抑え隠す様な素振りも見せる。雑渡昆奈門の件然り、野武士の件然り、そしてちょうど同じく五日程前の、己の袋槍を奪われた件然り……。思い出せば、文次郎の膝はまたゆさゆさと本人の苛立ちを表すように揺れる。

 藤山がいったい、何をどの様にしたいのかが、文次郎には皆目分からなかった。だが、小平太は何故か何と無く分かっていた様なのだ。
 藤山に鍛練を着けると言い出した小平太に何故そんな事になったんだと問い詰めれば、返ってきた答えは「葵が、自分の牙と爪に責任をもてる様にだ」と何処か抽象的なもの。然し、抽象的ではあったが、その意味は文次郎も何と無く分かるのだった。

 そうだ。あいつには、藤山には、覚悟というものが足りないのだ。

 文次郎の中で、藤山葵は、今のところその解釈で落ち着いている。

 そんな奴ならばどうせ長くは続かないだろうと思っていたが、予想は外れ、夜半から朝方までの裏々山での鍛練は毎日欠かされる事無く今日で五日が過ぎた。昨日、帰って来た小平太にそれとなく様子を聞いてみれば真っ黒に汚れた顔をにっかりと綻ばせ、「あいつ、面白いぞ!」と、何とも楽しげに言うのである。それも思い返した文次郎の膝はずっとゆさゆさと揺れ続けている。文机に軽く当たり、筆の字が少し歪んだ。

「学園長先生の思いつきがいつになったら実行されるか分からんが、思いつきがあるかもという予想のお陰かあの二人に感化されてか、上級生は自主鍛練に励む者が増えたな。先生方も良い傾向だと喜んでおられた」

 そう言う仙蔵も、積極的に鍛練はしないまでも、自身の得意武器に関わる火薬の研究には一層、熱が入っている様に思う。

「……お前、まだあいつが間者か何かか疑ってんのか」

 文次郎のその問いには鼻で笑うような声が返ってきた。

「ここまで馴染まれてしまえば、疑う方が難しい。あれは、存外に小賢しいが作意が無い点ではアホな小猿姫だ」

 なるほど、それなりに絆されてしまったという訳か。と、文次郎が独りそう納得していれば、今度は微かな溜め息が聞こえてきた。

「然し、さっきも言ったが、学園長先生の思いつきは本当にあるのか?」
「思いついたと宣言されたのは俺も聞いてはいるが」

 仙蔵の言うとおり、宣言から五日というのは今までに無く間が空きすぎている。何時もであれば翌日、早い時にはその日の内に『思いつき』が実行される筈なのだが。不発、という奴だろうか。それも今まで無かった事だが。

「無いなら無いで構わないのだが、あるかもしれんとはっきりしない状況が続くのは落ち着かん」

 仙蔵は先程よりもはっきり溜め息を吐く。

「ああ、そうそう……話は変わるが、ついこの間、長次のところに不破と、おまけの鉢屋が鍛練を着けてくれと頼みに来たらしいぞ」
「なにっ!?」
「大方、不破が件の二人に感化されたのだろうな。同じ委員会のよしみという事で長次に、鉢屋はその金魚の糞といったところか」
「受けたのかよ長次は」
「そりゃあ、金魚の糞とはいえ、あの鉢屋三郎に申し込まれたんだ。そこで受けねば最高学年の名が廃るだろう」

 文次郎は知らず、手元の書き物の紙をぐしゃりと握りつぶしてしまっていた。貧乏揺すりは今ははっきりと文机をがたつかせている。

「平もどうやら昨日あたりから件の二人の鍛練に加わっておる様だし、留三郎のところには四年生の浜とまさかの五年生の久々知が来たらしいな。どうだ? お前のところには誰か来たか文次郎?」
「…………来てねぇ」
「四年生の田村は?」
「……あいつは、己の面倒は己で見る奴だからな。俺が忙しそうだと遠慮でもしてるんだろう」

 文次郎の苦し紛れ、悔し紛れにしか聞こえない返答に、仙蔵は声を立てて笑う。

「っ、そういうお前はどうなんだ仙蔵! 綾部はどうした!?」
「喜八郎はあれで良い。あいつは自由にさせておくのが一番伸びる」

 仙蔵のその言い分は、文次郎と同じく悔し紛れだったのかもしれないが、笑みを含んだ口調は文次郎と違ってまだ余裕を感じさせた。
 文次郎はぐぬぬと唸り声を上げて、文机を叩くようにして立ち上がる。

「おや、書き物はもう良いのか」
「……息抜きだ。少し身体を動かしてくる」

 鍛練、鍛練、鍛練……と、こう何度も聞かされたら身体の端々がうずうずと暴れたがって仕方が無い。
 文次郎は、袋槍に手を掛け、ようとしたのをふと止める。廊下に二人程の気配が控えている。

「何の用だ」

 そう声を掛ければ、一瞬の間を置いて、失礼しますと、部屋の戸が開いた。
 現れたのは、何とも強張った表情をした五年生の竹谷八左ヱ門と、愛想の良い笑みを浮かべた同じく五年生の尾浜勘右衛門である。
 おや。と、仙蔵が小さく呟くのが聞こえた。

「……何の用だ」

 文次郎は重ねて聞いた。仙蔵が密かに笑ったのが目の端に映る。
 八左ヱ門が、強張った表情を少し赤くし、膝を落としてその場に軽く手を着き、頭を下げる。勘右衛門はそのやや後ろで静かに正座した。

「潮江文次郎先輩」
「なんだ。竹谷八左ヱ門」
「もし差し支えなければ、先輩に鍛練御指南を着けて頂きたいとお願いに参りました」
「…………そうか」

 仙蔵がにやにやと笑いながら自分を見ているのが分かる。文次郎は軽く咳払いをして、「一つ、聞く」と、八左ヱ門に語り掛ける。

「お前には委員会直属の先輩はいない。故に六年生に教えを乞うならば誰を選んでも問題ない」
「そうでもないだろう。仮ではあれ一時は生物委員会委員長であったこの私を差し置き文次郎のところへ行くか。浮気者め」

 仙蔵がそう面白げに笑いながら言えば、八左ヱ門の肩がびくりと震えた。文次郎は先程よりも大きく咳払いをする。

「茶々をいれるな、仙蔵。まあ、俺が聞きたい事とは近いがな。竹谷、何故俺だ。お前には委員会は違うこそすれここの仙蔵や、伊作、小平太の方がまだ親しいだろう。伊作を除外するのはまだ分からなくも無いが」

 問われた八左ヱ門は小さく深呼吸をして文次郎を見返す。

「それは、全体を見た結果。です」
「ほぉ」
「……善法寺先輩は、不運だからという訳でなく、あの方は表向きは後方支援の非戦闘員です。立花先輩も非戦闘という訳ではないですが、立ち位置は後方に近いと解釈しています」
「おやおや、馬鹿正直な男だ。お前は」

 仙蔵がくつくつと肩を震わしている。文次郎は、もう咎めるのは諦め仙蔵には目を向けず、竹谷を見返す。

「つまり、お前が学びたいのは近接戦の戦闘か。だとしたら、それこそ小平太が専門だぞ」
「はい。その七松先輩に、対抗でき得るのが、潮江先輩だと。俺はそう思ったのでお願いに来ました」

 八左ヱ門は再び頭を下げる。

「俺達は、いや、俺は葵の事を、有事の際に支えることも抑えることもできる様になりたい。何よりあいつらの、仲間の力になりたいんです。潮江先輩は、冷静な参謀でもあり前戦に立たれる事もできる方です。その様な実力を、俺も身に付けたい」

 文次郎は、深々と息を吐く。八左ヱ門の肩がまたびくりと震え、仙蔵はひたすら面白げに微笑んでいる。

「中々評価が高くて、羨ましいぞ文次郎」
「やかましい……竹谷」
「はい」
「俺はお前の言う、仲間の為というのはそこまで理解はできん。忍とは正心を持ちながらもその心に乗せる刃は最後、何時も己の為にのみ振るわれると、そう思っている」

 ただ。と、文次郎は八左ヱ門に近づき、その肩に手を置いた。

「この場において、お前に先立つ者として、強くありたいというお前の望みには応じてやろう」

 八左ヱ門は、うろうろと揺れる目で文次郎を見返していたが、やがて、静かに息を吸って、吐き、遠くの峰を見定めるかの様に真っ直ぐと文次郎を見る。

「はい! お願いします!」
「おう。ギンギンに着いてこい」
「はい!」

 文次郎の口の端が、とうとう堪えなく笑みの形に歪む。睨む様にして笑いながら、八左ヱ門の後ろの勘右衛門を見た。

「で、お前はなんだ尾浜」
「あー……俺は」
「おいおい文次郎。お前ばかり可愛い後輩を独り占めするんじゃない」

 何事かをごにょごにょと言い淀む勘右衛門は、仙蔵の指が己を指すのを見て、何とも微妙な愛想笑いを浮かべる。

「片方は私に寄越せ。大方、そいつは状況を見て身の振り方を決めるつもりだったんだろう。そういう賢しい奴は嫌いじゃない」

 勘右衛門は、喉が詰まりでもしたかの様に顔を一瞬ひきつらせ、直ぐに力を抜くように苦笑を浮かべる。

「まあ、色々と迷っていたのは事実ですがね」
「そうか。私は優しいから無理にとは言わないぞ」
「いえ……寧ろ願ってもない機会です、是非ともに御指南お願いいたします」

 途端、微かに目を光らせた勘右衛門に、決意に満ちている様な八左ヱ門に、仙蔵は「はてさて、少しは面白くなってきたな」と、目を細めるのだった。

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