理不尽に爛漫に/道理に叶って絢爛で

□一歩の踏み出し
3ページ/4ページ


 食堂から出て、特に明確な根拠も何も無かったけれど、裏森の方へと向かう。懐の隠し袋から小さな竹笛を取り出した。体育委員会の、本来は下級生の内に与えられるものらしいけれど、「新入委員って事で、一応な」と、七松先輩から頂いたのだった。
 口に加えて吹けば、チチチチチ……と、雀が囀ずるみたいな音が出る。これは、ひとつひとつ音が違うらしい。

 しばらく、そこでじっと待ってみる。
 木立の間から、かなりの早さで気配が近付いてくる。
 右側から、かな。と、そちらを見てみれば、案の定、七松先輩が飛び出してきた。相も変わらず、体格に対して極端に物音が少ないのは怖いというか、流石というか。

「葵。何の用だ?」
「お呼び立てしてすみません。今朝は、食堂に来られていないご様子だったので、よろしければ」

 食堂のおばちゃんから預かってきた風呂敷包みを掲げる。

「握り飯です。たくさんありますので、他の先輩方にも」
「おっ! ありがとうな!」

 にかっと笑えば皺の寄る鼻も、風呂敷包みを受け取る手も、爪の間も、いたるところが真っ黒に泥だらけ、細かい傷だらけだ。

「鍛練。ですよね?」
「ああ。五年生との対戦があるかもと言ったから、六年生は皆張り切っているな。ほぼ全員、夜通しやってる」

 七松先輩が梢を仰ぎ見る。私も見上げる。特に、他の気配は無い。
 七松先輩は、此方に顔を戻した。丸い眼なのに、眼差しは鋭い。

「で、何の用だ?」

 また聞いてきた。握り飯はあくまで口実というのか、きっかけというか、渡してはいさよならだったならばそれでも良いと思ってたけど、射抜くような七松先輩の目にはお見通しだった様で、喉元をふさぐまだ少しぐずついた後悔を私は呑み込み、軽く息を吐く。

「七松先輩に頼みがあります」
「うん、なんだ。言ってみろ」
「件の対戦が実施されるまでの間だけでも構いません、私に個人的に鍛練を着けては頂けませんか」

 はた。と、七松先輩が固まった。

「……対戦するだろう相手に鍛練を頼むか。葵も中々酔狂だな」

 咎められている訳ではない。その証拠に私を見る顔は面白そうな笑みを口許に浮かびだしている。

「ええ、ですから、七松先輩でないと受け入れてはもらえないかと思いました」
「ちなみに聞くが、それは五年生の奴らじゃ駄目なのか?」

 私は、また軽く息を吐く。
 どう言ったら、一番うまく伝わるか……でも、この人ならば、どんな言い方でも受け止めてくれる様な、甘えだけれど、そう思っている。

「……馬鹿げた話を、しても良いですか」
「おう。してみろ」
「私の、今の技量というか、戦闘力って言ったら良いのか。それの半分以上は……私の努力や鍛練とかは関係なくよそからポンと与えられたものなんです」
「ふぅん。天狗に神通力でも授かったか?」

 七松先輩のその返しは、冗談の様だったが、声色と表情は大真面目だ。私の話を『馬鹿な話』として聞きながら、聞き流すという訳でもない。

「まあ、そんなとこにしておきます。……なので、私にはまだ扱いづらいと思うところもありまして。吉田村でも個人的に鍛練をしてたんですが、対人はまだ不充分です」
「それで、私に対人の相手を乞うわけか? しかし、まだ五年生だと駄目だという理由の説明にはなってないぞ」

 理由。は、分かっていらっしゃる様なのだけれど、私に言わせることに、私が自分から言うことに意味があるんだろうなと思う。あくまで現状は互いに今度の対戦相手だ。こちらの手の内をある程度見せろ。と、そういう事だ。

「五年生だと、互いに手心を加えると思ったので。七松先輩とでしたら、限界までやれそうだと」
「それは、葵があいつらが相手だと全力を出せないという意味か?」

 まあ、そういう解釈にはなるよな。と、私は苦笑する。

「そういう驕りは無いつもりなんですが……先輩の目から見てどう思います?」

 七松先輩は、またも射抜くような目で私を見た。頭の先から、足の先、手の先、肩、そして、私の目に視線が戻る。

「まあ、色々な意味で、あいつらにはつとまらないだろうな。強いて言うなら尾浜か久々知あたりならまだ良いか。鉢屋は、駄目だな」

 私は、頷く。
 七松先輩は、ゆっくりと微笑んだ。

「牙も爪もちゃんとあるのに、それを持て余しているといったところだな。葵は」
「よそからもらったものです」
「だとお前が解釈していたとして、それらは今はお前のところにあるんだろう。だったらお前のものだ。責任は持たなくてはならないし、正しい御しかたを知らねばならん。……お前が言いたいのはそういう話なんじゃないのか?」

 私はまた、頷いた。

「だとしたら、今回の対戦に向けて……という範囲を越えた頼みということになるな」
「無理にとは言いません、がっ!?」
「何を言う」

 半歩、近づいた七松先輩は、ガシッと乱暴な手付きで私の頭を撫でた。私は、首ががくんとなるのを堪える。七松先輩はますます笑みを深くする。

「葵は、私の後輩だ。加えて、お前を体育委員会にと望んだのも私だ。聞き入れない筈が無い。私にとっても、良い鍛練になる」

 七松先輩の手が離れる。ぐしゃぐしゃにされた髪から、パラパラと土や砂が溢れた。

「ただし、泣き言は吐くな。吐いたとしても私は決して聞き入れないと思え。胃の腑の中身ならいくらでも吐いて良いがな」
「はい。御指南の程、よろしくお願いいたします」
「それと、鉢屋と綾部にはうまく言っておけよ。細かい面倒事はごめんだ」

 私はそれに、苦笑を返した。

.
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ