理不尽に爛漫に/道理に叶って絢爛で
□風が通る日
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ハチと待ち合わせていたのは、演習場の近く、低木がちらほらと植わった場所の楓の木の近くだった。
青葉が影を落とす木の下には、ちょうど腰掛けたりものを広げたりするのにお誂え向きの岩があって、ハチは既にそこに座って待っていた。
「お待たせ」
「いや、俺も今さっき来たばっかし」
今日は良く晴れた、少し暑いくらいの陽気だ。木陰に入れば思いの外涼しくてふっと息が洩れた。
「今日暑いよな」
と、ハチが小さく笑う。
「これから暑くなる一方なんだろうけどね」
ハチが少し横にずれてくれた岩の上に昨日採集した薬草を置く。
湿した紙に包んでたとはいえ、へたりとしてしまっていた。
「えっと、これなんだけど」
「蝿毒草か」
「が、ギボウシとどう違うのかが分かりません……」
「あー、なるほど……ぱっと見た感じじゃ分かりにくいよな」
楕円形に近い形をした葉っぱ。どちらも葉脈は縦向きだし、良く見たら少し違う気もするんだけど、正直どっちがどっちなのかさっぱりだ。
因みに蝿毒草は名の通り毒草。ギボウシは若芽の内なら食べられる薬草だ。
ハチはひょいっと手を伸ばして、その六枚ある葉っぱを取り分ける。
「こっちの四枚が蝿毒草」
「ほう」
ハチがその内の一つの根本を示した。
「葉脈の始まり方を見れば分かりやすいぞ。蝿毒草は根本から平行に……それでこっち、ギボウシは」
今度は残った二枚の葉っぱの真ん中を指差した。
「中心から広がっていく様な感じ」
「成る程。あ、ごめん、ちょっと今の書き留めとく」
「おう」
懐に入れてある帳面に二つの見分け方を書いておく。
「ついでにって言ったらあれだけど、ハチって本草帳どんな風に着けてある?」
「ん、俺の?見るか」
「うん。参考にしたい」
「俺ので参考になるかなあ」
苦笑しながらもハチが差し出してくれた本草帳は私のよりも少し厚みがある。
開いてみれば、所々のページに畳まれた紙が貼り付けられている。それを更に開くと地図になっていた。裏々山だったり、西の峠だったり、今までの採集場所や群生地がそれを見れば分かる様になっている。
「凄いね。これ、分かりやすい」
感心すれば、ハチは照れ臭そうに頭を掻く。
「そうか、や、それ善法寺先輩に教えて貰ったやり方なんだよな」
「へえ……でもそれ以外の纏め方や写生も綺麗だし読みやすいよこれ」
「う、うん、そうか」
ハチはますます照れ臭そうに落ち着き無さげに身体を揺らしている。
「そんな、大した事でも」
「あるってば」
今度は私が苦笑する番だった。
「少なくとも、私は、凄いと思ったから」
ハチはぱちぱちと目を瞬かせて、それから、ぼそりと小さく、「あんがとな」と呟くのだった。
「此方こそ。良かったらこれ貰って。くのたまの子にお土産で貰ったやつだけど」
「良いのか?」
「うん、お礼」
豆菓子の小さな包みをハチの手に握らせる。ハチの口の端がもごもごと動いた。
「えっと、俺、」
「大した事してない。とか言わないように」
「う……」
罰の悪そうな、少し赤い顔がなんだか可笑しくて笑ってしまえば、ハチも苦笑混じりながらも顔を緩ませた。
「あ、良い風」
強すぎず弱すぎず、まだ柔らかい楓の青葉を優しく揺らす風が頬を撫でる。岩の高さも腰掛けるのにちょうど良くて、木漏れ日に照らされて程好く暖かい。
「……良い場所だねぇ、ここ。分かりやすいところにあるのに今まで気付かなかった」
「だろ!三治郎と虎若が教えてくれたんだ」
後輩の事になると途端に自信ありげというか、嬉しげになる。
ハチは分かりやすい。けれど、かといって、別にそれは軽んじてしまう様なものでもなく、その明るい伸びやかな雰囲気が此方の気持ちも明るく軽くしてくれるのだ。
少なくとも、今の私は、シナ先生の言う「無いよりはまし」の笑顔よりも自然に笑えてる気がする。
「ハチは良い奴だね」
ハチはまたも目を瞬かせて、それからちょんと唇を尖らせた。少しだけ眉根が寄っている。
「なんだよ、いきなり」
声も、少し不機嫌に聞こえた。
「ん……思ったままを言っただけ、気を悪くしたなら」
「いや、別に良いけど」
食いぎみに遮られてしまった。なんだか全く『別に良い』感じではないのだけれど、何と返したら良いのかも分からなくて、ハチの横顔をただ見る。
やがて、ハチは小さく息を吐いてくしゃりと崩れるみたいな笑みを此方に向けてきた。
「良く言われんだ。良い奴っての」
「だから、飽き飽きしてるとか?」
「うーん……そういう訳でもねぇんだけど」
ハチが頭を曖昧に揺らす。風がボサボサの垂れ髪を通り、枯れ草みたいにさわさわと浮き上がった。
「俺、皆が言うほど良い奴でもないよ。卑屈になってるとかそんなんじゃくて」
困った様にそう笑うハチに、私は何か返してやりたいと思いながら、なのに、良い言葉が思い付かない。結局出てきたのは「そうなんだ」というあまりに適当でお粗末な相槌だった。
これではさっきのシナ先生とのやり取りと一緒じゃないか。真剣に話してくれているのに、なんでこうなんだろうか私は。
「あー……変な話してごめんな。葵」
「え。ううん、違うよ。ごめん」
「なんで葵が謝るんだよ」
私の『ごめん』は、ちゃんと聞いてあげれなくて申し訳無いという様な気持ちだった。だけど、それすら上手く説明できなさそうだから、「変な話じゃないよ。聞きたいと思っている」と返す。ぎくしゃくとしてはいたが、さっきよりはまだマシに響いた。
ハチは軽く目を見開いて、それから、また、くしゃりと笑った。
「……俺はさ。全部俺が好きな様に、勝手にやってんだ。皆が言う良い奴ってのが何をさしてんのか分からん。ってまあ、そんな話」
そのまま苦笑を浮かべながら続けた言葉の最後は随分早口に言い捨てで、赤い顔を見るだに照れ臭くなってきたのかもしれない。
私はまたもそっぽを向いてしまったハチの、その赤い頬を見て、言葉を探して、漸く一番良いものが浮かんで、それを口に出す。
「そんなハチを、皆好きだから、だから、ハチは皆の良い奴なんだと思うよ」
ハチは背中を丸くして俯いてしまった。
「…………そういうの、照れるから止めろよ」
「私も、私で好き勝手言ってるだけだから」
人ってのは、皆勝手なんだよ。
と、昔、私に言った人がいる。
ふと思い出したその光景はあまりに昔になっていて、自分がとても遠いところまで独りで来てしまった様な気分で何とも言えず寂しくなる。それでも、「でも、あんがとな」とぼそりと呟いたハチを見て浮かぶ気持ちは今日の陽気みたいに穏やかだ。
だから、悪くない。
そう思えたのは、随分久し振りな気がした。
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