咄、彼女について

□高天、翔行き・其の一
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 戸の向こうの気配は二人分あった。
三木ヱ門と、あと、一人。

「三木ヱ門」

「まだ、消えてないか」

 戸の向こう側の三木ヱ門からの問いに、消えてないと答えれば、何事かをごにょごにょと話す声がして、戸がそろりと開く。

「やあ、守一郎」

 三木ヱ門の後ろから顔を覗かした、白い顔。
 重たげな髪の下の胡乱(うろん)な、然し柔和そうにも見える目。垂れ目の猫がいるならこんな感じだろう。

「お、おはようございます」

「こんにちは、かもねぇ」

「こんにちは」

「律儀な男だね」

 下坂部鏡子先輩はへにゃりと目を細める。
 彼女は、用具委員会に良く顔を出す。食満先輩のご友人で、それで、

「ふーん。三木ヱ門が綺麗な顔を真っ青にして来てくれなんて言いやがるから何事かと思えば、」

 細めた目をすうっと開いて、俺の回りを飛ぶ光るものを見る。

 『歩けば怪』、『怪あるところにその影あり』といった鏡子先輩の不審な通り名を俺が知ったのは最近の事だ。

夜這(よば)い星に夜這(よば)われるなんざあ、そんじょそこらの色男にも敵うまいよ」

 鏡子先輩はゆったりとした笑みを浮かべて、部屋に入って来た。

「夜這、い……?」

 情けない事に俺の耳にかあっと熱が昇る。
 気付かれないように顔を傾けるが、鏡子先輩のからからとした笑い声が俺の頭に注いだ。

「あや、初な子だぁ。清小納言抄(せいしょうなごんしょう)は読んだことはないか」

 どかりと、俺の前に座り、未だ可笑しげにくつくつと笑う。
 見返せばふんわりと優しげに、糸のように細くなる目。穏やかだが、やはり掴み所が無い人だ。

「鏡子先輩、分かりやすい様に言ってはくれませんか」

 三木ヱ門が咎める様な声色で言えば、鏡子先輩は肩を竦めて、俺と三木ヱ門を交互に見る。

「夜這い星、抜け星、星下り、星の走り、まあ、呼び名はいろいろさね」

 俺ははっと顔を上げる。三木ヱ門と目が合えば、同じ様な顔をした。

「昨日、見ました」

 慌てて言えば、うんとひとつ頷いた鏡子先輩は徐に光るものに指を伸ばす。

 ヂリンッ、と、突如大きな音が鳴り、ほんの一瞬だけ光るものが燃え上がる様に大きくなった。

「鏡子先輩っ!」

 ぱっと指を離した鏡子先輩は少し顔をしかめてその指を見下ろす。

「んな怒るなよぅ」

「だ、大丈夫ですか?」

「大事ない。ちょいと噛みつかれちまっただけさ」

「噛み……!?」

「生き物なんですか!?これ!!」

 三木ヱ門が光るものを指差せば、チリンと鳴く。ひっと小さく叫んだ三木ヱ門は指を退いた。

「危険は無いよ三木ヱ門。私はこういう手合いには嫌われがちに出来てんだ。」

 鏡子先輩は指先をちろりと嘗めながら事も無げに言った。

「ゆ、指、大丈夫ですか?」

 俺が聞けば、鏡子先輩はきょとんと目を瞬かせてそれから静かに、ふっと、多分笑った。

「お前は、優しいね」

 光るものは俺の周りをゆっくりと旋回しながらチリチリチリと鳴いている。

「失礼な。私程優しい女はいませんよ」

「鏡子先輩?」

 見間違いや勘違いじゃなかったら鏡子先輩はその光るものに話しているように見えた。ふっと、目線が俺に戻る。

「これ、いや、この方はね、星だけど星ではな。」

「はあ」

「まあ、星だと言った方が便宜的だしねえ、って、なんです?」

「え?」

 鏡子先輩の目線はまた旋回する光るものに向けられる。

 チリチリチリと光るものが鳴けば、鏡子先輩は、はあ、と溜め息を吐いた。

「んなもん言われましても」

 ヂリンッ

「あ、そりゃ困る。でも、あなた見たとこそれが出来る程の位じゃあ、」

 ヂリリリッ

「ああ、分かりました。分かりましたよぅ」

 鈴虫の様にチリチリヂリヂリとしか言わない光るものと会話をしている鏡子先輩。

 もう、何がなにやらだ。
 三木ヱ門を見れば、何とも言えない曖昧な苦笑が返ってきた。

 ふう、とまた鏡子先輩の溜め息。

「守一郎」

「は、はい!」

 飛び上がった僕に鏡子先輩は珍しくぎょっとした顔をして、それから少しの間の後、今晩は空いてるかと、首を傾げるのだった。

※:清少納言抄……枕草子の古い呼び方。一節に『星はすばる』という書き出しで流れ星を『よばひぼし』と書き、男性の夜這いに掛けた洒落が綴られてます


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