いしゃたま!
□各々に本懐
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「な、何事ですか?」
慌ただしく人が走る音に、廊下へと顔を出せば、真っ青な顔をした女中さん達と目が合った。
「えっ、あ、その……厨で」
「こらっ、駄目だよ!その、何でも御座いませんから、」
涙目で何かを言い掛けた若い女中さんをもう一方が嗜める、異様な雰囲気。
「あっ!いけません!!ちどり様!!」
女中さん達の制止も聞かず、私は胸騒ぎを抱えたまま、御厨へと走り出す。
後ろを慌てた様に着いてくる気配。
「ちどり様、」
「大丈夫です」
咎める声に答えを返せば、呆れた様な微かな溜め息が隣から聞こえる。 責めて、私の側からは離れませんよう、と、貞明さんが溜め息の後に小さく呟いた。
厨の近くには軽い人だかりが出来ていて、泣き叫ぶ声と、怒声が耳を刺した。
「お許しください!どうか、どうか、御慈悲を……!」
「ならぬ!即刻、それを連れて出ていくんじゃ!!」
人垣の向こう側には、怒声の主である肩を此処に勤めている家老様の一人が肩を怒らせている様と、その家老様に泣いて懇願する若い女中さん、その女中さんが胸に抱き寄せているのは、
「出ていかぬと言うならば、今そこでその娘を斬り捨てるしかあるまい!!」
「止めなさい!!!」
「止めるんだ!!!」
刀を構えた家老様の前に思わず飛び出した。
私だけでは無い、隣に肩を並べている彼女、いや、彼。
「いさ、子ちゃん」
いさ子ちゃん、もとい、伊作君は私に頷き、女中さんが胸に抱いている女の子の方に目を移しながら私より僅かに前に出た。
私もまた、女中さんの方を振り替える。年の頃は十二三といった雰囲気のその女の子は、ぐったりと身体を弛緩させながらも荒い呼吸を繰り返していた。
「失礼」
「ちどりの方様っ!」
周りのどよめきに構わず、私はその子の首筋に手を当てる。火の着いた様な熱さだ。そして、
「いさ子ちゃん、発疹があります」
此方に向けられた背中がひくりと震えた。
私はその子の額に手を触れ、汗で張り付いた髪をそっと外しながら歯噛みする。
赤斑瘡だ。成る程、だから、出ていけ、と。
「ちどりの方様、早くお離れ下され!その娘は恐ろしい移り病に掛かっておるのですぞ!!」
家老様が真っ青な顔で叫んでいる。貞明さんが近付いてきて私の肩を掴んだ。
「ちどり様」
「貞、光さん……」
私はその咎める様な表情に向かって小さく謝る。
「すみません」
化けの皮って程でもなかったけど、「お姫様」然としているわけにもいかなくなってしまった。
後先考えてなかろうがなんだろうが、
「いさ子ちゃん、女中さん達の長屋に空き部屋はありますか」
「三部屋程あります」
「上々」
そして、正しいのかどうかも……否、状況としては間違っている。
それでも、私は、私自身として、医者の見習いとして、今此処で何もしないまま退くわけにはいかない。
それは、伊作君も同じなのだろう。
一瞬、迷いのあった目は、然し、次の瞬間に強く真っ直ぐに私を見る。
「後の事は任せてください」
そう言った彼に、私の口許に笑みが浮かぶ。
心強い事この上なかった。
「ありがとう」
私は立ち上がり唖然としている城勤めの人達を見渡す。
「……この中で、赤斑瘡にかかった事のある方はいますか?」
おずおずと数名の手が上がる。
「いさ子ちゃんは?」
「四歳の頃に」
「そう」
それを聞いて少し安心する。
ちどりさんは?と小さな声に私は軽く頷いた。
七つの頃に、母様、父様がつきっきりで看病して下さったのを、今でも良く覚えている。
「赤斑瘡は一度罹患した者には再びかかっても強く症状は出ません。先程手を上げた方、それといさ子ちゃん、どうか手を貸してください。あと、何方か久里野様にお伝えを願います」
私がそう言えば、皆は相変わらずぽかんとした顔をしている。
「今は症状が出ていない方もその内に出るかもしれませんから、身体に異変を感じたら直ぐに言う様に」
いさ子ちゃんが私に続いて伝える。
まだ城勤めの人達は戸惑った様にざわついている。
「「皆さん、早く動きましょう」」
いさ子ちゃんと声が被った。
顔を見合わせる私達。そして、漸く我に返ったように動き始めるのはさっき手を揚げた女中さんや城勤めの人達。
「貴女は、大丈夫ですか?」
女の子を抱き締めている女中さんにそう声を掛ければ、まじまじと私の顔を見て、ゆっくり、一つ頷く。
「……妹なのでございます」
私も一つ、しっかりと頷き返したのだった。
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