いしゃたま!
□各々に本懐
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日吉貞光もとい日ノ村貞明は、ドクタケ支城が主、久里野半次郎にいたく気に入られた事により、早い段階でその支城に馴染み、それなりに多忙な日々を送っていた。
潜入先に溶け込むことは忍の基本技術であり、また己が溶け込むことにより、第一に守るべきあの少女の身元に不審を覚えるものもいなくなる。
この状況は日ノ村とて望んだものであった。
だからこそ、普段はあまり感情が表に出ない日ノ村は、今、非常に困惑した顔で自分の腕を掴む少女を見下ろしているのである。
本当に、あの方に似ている。
そんな思いが胸中に沸き上がった日ノ村は、固い動きで視線を逸らすのだった。
「厨で、お菓子を頂いたんです」
宜しければ一緒に食べませんか、と、言う私から目を逸らすように貞明さんは首をぎぎっと横に向ける。
やはり少々強引だったか、と、思っていたが、やがて、戻ってきた顔は笑顔だった。
「有り難い申し出です、茶を淹れてまいりましょう」
貞明さんが動き出せば、掴んでいた腕はするりと抜けていき、私は、彼が静かに廊下を歩き去っていくのを眺めていた。
自然と、小さい溜め息が出る。それを合図に、私も踵を返して、部屋に戻るのだった。
「どうぞ、熱いのでお気をつけて」
「有難うございます」
お茶と、干菓子を挟んで対峙する。
勧めれば、では、と、湯飲みに口を着ける貞明さん。
そのまま、暫く、沈黙が流れる。
ここから先の事はあまり考えてなかったんだった。どうしたものか、と盗み見る貞明さんの表情は、障子から透ける日の光に静かで穏やかなものだった。
目が合えば、気の抜けた笑みが返ってくる。
「……タソガレドキは、」
沈黙を破ったのは私だった。
でも、後が続かない。
じんわりと熱い湯飲みを握りながら、続くべき言葉を探る。
「動きがあれば、此方に伝令が届く手筈となっております」
貞明さんが、先を読んで答えてくれた。
私はまた小さく溜め息を吐いて、茶を一口飲む。
「貞明さん」
「はい」
「無粋を承知で、言います」
此方から先は、私が、渦中にいるとは謂え何も出来ないおなごの身である私が口に出して良いものかは分からない。
分からないが、貞明さんは、静かに、どうぞと促した。
私は湯飲みを置いて姿勢を正す。
「……私憤と、私怨しかない戦いに、実はあるというのですか」
貞明さんは答えない。
静かに私を見ている。
「東堂を迎え撃つ為の意図的な内乱、その為に出る犠牲は省みられないのでしょうか」
「……無粋ついでにお言葉をお返しします」
真っ直ぐに私を見る目に迷いはなかった。
「正論が正しき事だとは限らない事もあるのですよ」
その言葉は私と貞明さんの間に、重く、沈み込む様に落ちていった。
「貴女は正しい、正しいが故に我々の事は理解できないのかもしれません。ですが、私と雑渡は……少なくとも私は、あの日、アケガラスの滅びたあの時からこうなる事は決まっていたのだと感じています」
部屋の中も、障子の向こう側も静かだ。
けれど、こうしている今も確実にタソガレドキでは血が流されようとしている。
私は、私には、何も出来ない。私がいる意味は、いったい何処にあるというのだろう。
「犠牲が少ないのに越したことはない。それは私もそう思っております。私はタソガレドキにいれば、恐らくは、雑渡の行く末に、その流れに棹を指すと、私怨に火を投じるだろうと、そう思ったのです。ですから私はちどり様のお側で、ちどり様を御守りする事を選んだ」
私を見て、微笑む。その笑みには、まだ悲しい色が乗っていた。
「あの方も、貴女の様に真っ直ぐなお方でした。きっと今の我々を見たら、貴女と同じ様に馬鹿な事を、と、憤慨するかもしれませんね」
『あの方』。
それは私の知らない、私を産んだ母。
彼女もまた、何も出来ない事に苦しんでいたのかもしれない。そう、思った。
「そんなに、似ていますか」
「ええ、眩しい程に、瓜二つです」
やにわに、障子の向こう側、廊下が騒がしくなった。
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