理不尽に爛漫に/道理に叶って絢爛で

□一歩の踏み出し
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「なーんか、言いたそうだね、お前」

 少しくぐもり間延びしたその声に、私は多少のわざとらしさをつけて眉を潜めながら顔を上げた。
 向かいの文机では、だらしなく片肘をついた勘右衛門が、饅頭をむしゃむしゃとほおばっている。
 午後の学級委員長委員会の部屋には、私と勘右衛門のみ。一年生の二人は、今日はいろは合同の校外学習に出ている。私達がここに控えているのは、件の六年生と五年生の対抗実習についての何時れあるであろう学園長先生からのお言い付けに備えた待機だ。

「何の話だ」

 私が聞き返せば、勘右衛門は大袈裟に顔をしかめる。

「三郎、お前な。お前の悪いところはそうやって内に内に籠る事だと思うぜ?」
「なんじゃそりゃ。仮にも忍のたまごが、そう胸の内を晒すはずも無いだろうが」
「そうだとしてもだよ。今のところは同学年の仲間として結託してんだから、不平不満を変に溜め込むな。さっきからお前の雰囲気ピリピリしてんだよ。自覚ある?」
「へぇ。大した観察眼だ」
「お褒めに預り光栄だよ、天才君」

 勘右衛門の口調は軽やかで、表情は笑みさえも浮かべている。私も私で世間話に興じるそれの様な表情で勘右衛門を見返した。

「何か言いたいのは、お前の方なんじゃ無いのか、相棒?」
「…………三郎って、本当に良い性格してるよね」

 勘右衛門の表情が微かに崩れた。昔からこいつは、私から『相棒』と呼ばれるのに弱い。幼く素直な下級生の頃は、そう呼ばれるのを喜んでいた伏があった。そう呼べば、「三郎は仕方無いなぁ」などと言って、折れる事すらある。

「そうだな。そうかもしれん」

 だが、今においては、私の方が失策だったかもしれない。勘右衛門の目付きがふと真面目なものに変わった。矛を納めるどころかこれから突くつもりらしい。

「三郎はさ。結局のところ葵をどうしておきたいわけ?」
「どういう意味だ?」
「大事に大事になに一つ傷を着けない様にしたいなら、他にやりようがあんだろ。少なくとも学園に置くのは得策とはいいにくい。さっさと娶るなりなんなりして自分の家におさめる方が安心できるんじゃないのか?」

 大きな饅頭の一欠片を、一口に突っ込み白湯で飲み下した勘右衛門は、自分の湯飲みにも、私の湯飲みにも白湯を注ぐ。

「まあ、あれがそう単純に、大人しく落ちつく様な質じゃ無いってのは良く分かるけどね。野武士との一件もあるし、何よりあの七松先輩が直々に体育委員会に欲しいといった人材だ。お飾りで置かれてる訳じゃないだろ。葵本人もその辺は自覚あるみたいだし。野放しにするくらいなら自分の目の届く範囲に置く方がマシかもしれない」
「だから、何が言いたいんだ」

 いや、言っている意味は良く分かる。だが、勘右衛門が言わんとしている意図が見えない。いや、それも本当のところは分かってる。

「……考えが甘いと、そう言いたいのか?」
「そこまでは言ってない」
「そこまで。という事は多少はそう思ってるんだな」
「まあ、そうだけどさ。どうしてそう後ろ向きに取るんだよ」
「お前もなんでそう馬鹿正直なんだ」
「食わせ者の様で実は素直な好青年。そこが俺の売りだと思っている」
「なんじゃそりゃ……」

 キリッとした顔でアホな事を宣う勘右衛門に、脱力すると共に、毒気を抜かれた。こういうところは敵わないなと思う。

「……助けてやれる保証もなけりゃ、守りきれる約束もできないのに、側にいろと無理矢理、連れ戻したんだ。ただただ穏やかに過ごせる筈もないと覚悟すべきだと分かっているし、何時かあいつから恨まれる事だってあるかもしれない。側にいてくれるだけで充分なのだから、あいつの意思までにこれ以上口は出せない」

 白湯を口に含む。すっかり冷めきっていた。

「でもな。気を揉まざるを得ないんだよ。出来る限り、傷ついて欲しくは無いんだ。矛盾してんだよな。分かってるさ」
「ま、自覚があるんなら良いんだよ。俺は別にああしろこうしろって事を言いたいわけじゃ無い。こういうのって、多分、正解とかは無いんだろうし」

 追加の菓子を箱から取り出して、懐紙に並べた勘右衛門はニヤリと笑う。

「三郎を見てると、忍にとって、如何に色が厄介なものか良く分かる。本当、心頭滅却とはかけ離れてるものな」
「人の事言えんのか女タラシが」
「俺のあれそれは人心掌握の鍛練かつ情報収集のツテだから。女の人は皆優しいし、皆好きだけど、それだけだ」

 あっさりとそう言った勘右衛門は、廊下に目を向ける。
 私も、同じく、近付いてくる気配に目を向けた。

「……あ。二人だけ?」

 やがて開け放した戸から此方を覗いたのは、噂をすれば陰。だった。

「葵、どうした?」

 勘右衛門に聞かれた葵は、私達の顔を互いに見比べて「お邪魔しても良い?」と聞いてきた。

「どうぞどうぞ、ちょうど饅頭もある」

 促されて部屋に入って来た葵は勘右衛門が差し出した饅頭を受け取る。「美味しそ」と、小さく笑って、私に目を向けた。

「えっと、報告というか、お知りおき頂きたい事があります」
「俺、席外した方が良いかな?」
「いや、勘ちゃんも聞いといて。一応、関係ある話になるから」

 席を立ちかけた勘右衛門が、再び腰を下ろすのを待ってから、葵は再び口を開く。
 本日二回目の、葵からの『報告』。ただ、今は、今朝の憔悴した様子と違い、静かに落ち着いていた。何か、決心している様にも見える。

「私、今日の晩から、七松先輩に個人的に鍛練を着けて貰うことにした」
「なっ!?」
「ええっ!?」

 耳を疑った私と、前のめりになった勘右衛門を、葵はどうどうと手を振って宥める素振りをする。

「言っておくけど、これは成り行きでも七松先輩からの強制でもないよ。私が自分から七松先輩に頼んだからね」
「葵さぁ……。命知らずって言葉知ってる?」

 勘右衛門は冗談めかして言ったが、顔はそれなりに引き釣っている。あながちそれは冗談とも言いきれないのだ。だというのに、葵はにっと笑みを返した。

「近接戦を中心に徹底的に鍛えてもらう。七松先輩からは、ゲロ吐いても良いけど、泣き言は吐くなって言われてる」
「お前……なんで、そんな……」

 私は口を開くも、上手く言いたいことが出てこない。なんでそう勝手に決めてしまうんだ。とか、なんでそう無茶な事ばかりするんだ。とか、そんな事を言いたいのだが、狼狽している私を見返す葵の苦笑混じりの表情は穏やかで、曇りが無く、言葉が勝手に萎んでしまう。

「それなりに無茶しようとしてるなってのは分かってる。でも、一応、自分で考えて決めたつもり。それに、三郎。全部信じてくれるんでしょう。だったらこれも信じて欲しい」

 葵は、私の目を真っ直ぐ見て、そう静かに話す。

「三郎が、信じていてくれるなら、私はいくらでも頑張れる。ちゃんと三郎のところへ戻って来れるから」

 私は、沸き上がる言葉を押し込めて、代わりに深々と溜め息を吐いた。

「…………分かった」

 私の絞り出す様な答えに、葵は頷いて、今度は勘右衛門を見る。

「という訳で、七松先輩攻略までは期待しないで欲しいけど、実習開始までにはそれなりの戦力になると思うよ。あと、六年生の手の内とかも分かったら随時報告するから」
「……了解。俺達が言っても無駄だろうけど、あまり無理すんなよ」

 葵はへらっと力を抜くような笑みをひとつ、「じゃあね」と部屋から出ていった。

 足音が完全に遠ざかるのを待ってから、私はまたも深々と溜め息を吐く。勘右衛門のくつくつと笑う声が被さってきた。

「とんでもない、予想不可能にじゃじゃ馬だなぁ……本格的に三郎に同情するよ」
「言うな」
「納得したの?」
「してねぇよ。してねぇし、腹立つ程心配だけど、ああ言われたら信じるしかないだろうが」

 文机に突っ伏した私の肩を、勘右衛門が笑いながら荒っぽく叩くのだった。

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