「十六夜の月」

□真実の愛しさ
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一方、優美のほうはというと、いつものように女中らと廊下などの雑巾がけに奮闘していた。
 そうしながらも、戦死した奥沢のことは勿論、負傷した者たちのことを考えてはつい手を休めてしまう。なかでも、風邪をこじらせたという沖田の容体が気になって仕方がなかった。
「優美はん、そこはもうさっきやったやろ」
「え?あ、そうだった…」
 だからか、女中から指摘されるまで、繰り返し同じ場所に手をつけていたことにも気付かず。「早く終わらせまひょ」と、言って優美にお尻を向けたまま、勢いよく遠ざかって行く彼女に続いた。
 土方からは、駆け付けた軍医にも診て貰うことになったとの報告を得ていたが、やはり労咳説を考えずにはいられない。
(なんか、引っかかるんだよなぁ。)
 そんなことを考えながらまた足を止めた。その時、真正面の廊下を足早に歩みゆく山崎の姿を見とめ、優美は声をかけた。
「どうかしたんですか?」
 山崎は振り返ると、優美に歩み寄り、「会津藩の奴らが…いや、お方らがいらっしゃった」と、ぶっきらぼうに言い放った。
 日頃の鬱憤が言葉となって零れ出たのだろう、優美は言い直す山崎に苦笑を漏らした。聞けば、古高の確保に来たとのこと。古高をどこへ連れて行こうとしているのかは分からないが、優美は雑巾をその場に残したまま、素早く踵を返し足早に歩み去る山崎に続いた。


 前川邸の土蔵前、既に数名の隊士と会津藩らによって半ば引き摺り出されて来た古高を、ただ見守ることしか出来ずにいる。
 どうにもならないことだと優美にも分かっていた。それでも両腕を支えられ、ぐったりと項垂れている古高を見つめながら、必死に思い出そうとした。
(奉行所へ連れて行かれて、その後どこへ行くんだったっけ??)
「あの、」
 躊躇いながらも口を開く優美に、そこにいる誰もが厳かな視線を向ける。それぞれの、冷めきったような眼差しと目が合い、一瞬瞳を泳がせたが、優美は会津藩らを睨み付けるようにしていった。
「最終的に、どこへ連れて行くつもりですか?」
 そう尋ねてすぐに、隣にいる山崎に厳しく制される。
「そないなこと聞いてどないするんや」
「……そうだけど」
 古高の想いを知ってしまった今、どうにかしてあげたいと思うのは人として当然の倫理である。
 眩しそうにほんの少し視線を上げる古高の、うつろな視線が優美へと向けられた。次の瞬間、「参る」と、か細い声で呟いた古高の、穏やかな表情を優美は見逃さなかった。
 同時に、古高の言葉が脳裏によみがえる。

『とうに捨てました。故郷も、想い人も。とうに捨てたんや…』

 結局、誰からも答えて貰えず、屯所を後にする古高に何も言えないまま。優美は山崎と共に、市中警護に赴くことになったのだった。


「まずは、三条小橋付近へ行って、伏見方面へ」
 屯所前、山崎が周りを見回しながらいった。
 優美は歩き出す山崎の少し後ろを行きながら、いつものように「承知っ」と、返答する。
 女が男装している。しかも、刀まで携えている。四カ月前までは好奇な目で見られていた優美であったが、現在は「女隊士」として、徐々に確立されて来たようである。
「優美はん、まぁた綺麗にならはったんちゃう?」
 偶然、居合わせた和菓子屋の若旦那からすれ違いざまに声を掛けられ、優美は素直に照れ笑いを返した。
「それほどでも、あるけどぉぉ〜」
「ははは、相変わらずやね。見廻りどすか?」
「はい」
「気いつけてな」
「ありがとう!」
 笑顔で去って行く若旦那を見送って、ふと見上げた先にある山崎の、少し呆れたような瞳と目が合う。
「な、なんですかその目は…」
「あんさん、ほんまにええ性格してはるなぁ」
「よく言われますぅぅ」
「褒めとるわけやないんやで…」
 嬉しそうに答える優美に、山崎は更に呆れたように眉を顰めた。次いで、何かを思い出したかのような声を発した後、優美の腕を掴み路地裏へと身を潜めいった。
「さっきは古高の連行される場所なんぞ聞いて、どないするつもりやったんや?」
「それは、何となく気になったんで…」
 視線を泳がせ始める優美に、山崎はなおも辺りを見回しながら続ける。
「それに、以前(まえ)から気になっとったことがあるんやけど」
 この時代にも剣術を習っている女性は存在していた為、剣の腕に関しては絶大な信頼を得ている。が、他者からは得られなかった何かを、優美から感じ取っていたようだ。
「隊の一大事にも関わらず冷静やったやろ。しかも、池田屋での一件もあんさんのゆう通りになった」
「たまたま予感が的中しただけですよ。それに、絶対に負けるわけがないって思ったから…」
 優美は動揺しながらも、ぎこちない笑みを浮かべた。
 この先のことを知っていたからか、いまいちピンと来なかったのだろう。探索の為、祇園会所へと向かう近藤らを見送る時も、一人だけ冷静だったことを指摘されていた。その際、多少の被害はあるかもしれないが、近藤たちは必ず無事に帰還すると、予言めいた言葉を発してしまっていたのだった。
(うーん、これが面倒なんだよね…)
 山南に話した時のように、山崎にも同様に伝える。と、山崎は納得したように薄らと微笑んだ。
「ま、最近は誠の剣客集団として定着しつつあるさかい。せやけど、ほんまに大した女子やね。ええ度胸してはるわ」
(どこかで受け流したりしていかないと、身がもたないから…)
 優美は心の中でのみ呟いて、まだ何か言いたげな山崎に微笑みながら尋ねる。
「ん?他にも何か?」
「いや、なんも…」
「?」
(この目ぇや…)
 山崎を見つめる優美のあどけない眼差し。じつは、優美だけが見せるこの、きょとんとした可愛らしい表情が、山崎の弱みとなっていたのである。所謂、萌え系な表情というものは、いつの世も男の心を擽るようだ。
 と、その時だった。
 不意に、山崎の動きが止まり、優美もまた息を潜めた。
 殺気を感じながら素早く踵を返した先、刺客らしき笠を被った浪士が刀を抜き払っているのを見とめ、山崎は咄嗟に優美の前へ歩み出ると、不敵な笑みを浮かべながら刀を抜き払った。
「ええ度胸やな」
「新選組隊士とお見受けした」
「………」
 山崎は男の動向を窺いながらも、思わず苦笑いを漏らした。
(俺としたことが。屯所を出た時には誰もおらへんかったが…)
 尾行されていたことを反省する間もなく、引き続き男に集中する。
「先生の仇、討たせて貰う」
(この訛りは、長州か…)
 山崎の推察通り、男は長州藩士で、池田屋事件で亡くなった宮部鼎蔵の小姓であった。
 まさに近藤らが乗り込んで間もなく、集合場所である池田屋へと向かった彼は宮部から命じられ、長州藩邸へ助けを求めに向かった。だが、健闘虚しく逆にその場に引き留められ、宮部らを助けられずにいたのだ。
 佇む姿や、あどけない声からして、十五くらいだろうか。刀を持つ手が震えていることから、未だ戦慣れしていないと思われる。
(まだガキやないか…)
 山崎は刀を鞘へ戻すと、男を怒鳴りつけた。
「やめや、やめぇ。どうせやるんなら、もっと力つけてから来(き)いや。そいたら、相手してやるさかい」
 優美にもこの場を立ち去るように促し、男に背を向けた。刹那、優美の悲鳴にも似た声とほぼ同時に、振り向きざま、山崎の一太刀が男の胸元へと振り下ろされた。
 それは、ほんの一瞬の出来事だった。
「…ぁ……」
 堪えきれずに漏れ出る微かな吐息。優美は息が乱れて行くのを感じながら、刀を落とし、その場に膝から頽れる男の苦しむ声を遠くに聞く。
「ちょ、大丈夫?!ね、これってガチなの??」
 またもや、彼らには意味不明な現代語を口走りながら、慌てふためいてしまう優美の気持ちも分からなくはない。そんな優美に、山崎は刀を鞘へ納めながら余裕の表情で峰内であることを伝える。次いで、その辺に放られていた刀を拾い上げ、未だ倒れ込んだままの男から笠と鞘を奪うと、その場にしゃがみこみ、男の鼻っ面に切先を向けながら諭すようにいった。
「ええか、これだけはよう覚えとき。新選組には名うての剣士しかおらへんさかい、次は無いで。お仲間さんたちにも伝えといて」
 男は悔しそうに唇を噛み締め、胸元を押さえこんだまま足早にその場を立ち去って行く。優美は男が角を曲がるのを確認してから、すっくと立ち上がり、男の刀も鞘へと納める山崎を尊敬の眼差しで見つめた。
「超ぉカッコイイ…」
「な、なんや急に…」
「いや、マジで恰好良かったです!私、今まで山崎さんのことを誤解していました」
 ただの口うるさい先輩。一言で山崎を表すならば、その言葉が的確であったが、山崎なりの強さと優しさを目の当たりにしたことで、少なからず優美の心が揺れ動いたことは言うまでもない。
「そないに思うとったんか…」
 不貞腐れたような顔で明後日の方向を見遣る山崎に、優美はお得意の苦笑いを浮かべながら必死に弁解する。
「あはは、ごめんなさぁぁい。いや、でも別に変な意味はなくて…」
「もうええ。道草を食いすぎてしもたから先を急ぐで」
「あ、はい」
 頷くと、優美は改めて周りを見渡しながら歩みを進める山崎の後に続いた。
 山崎の意外な一面を知った優美と、優美の女らしい一面を目にした山崎。
(意外と博識だし、思っていたより剣術の腕もあるし、おまけに男らしくて粋な人だったんだなぁ…山崎さんって)
(さっきの眼ぇもあかん。なんや、あの色気は…)
 お互いに、相手の“意外性”を垣間見ることが出来たとでもいうか、心の片隅で燻っていた真実(ほんとう)の想いに気付かされた瞬間であった。



【次回へ続く】
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