「十六夜の月」

□下手人と訳アリ人
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「何やってるんですか、沖田さん」
「何って、見れば分かるだろう?」
 沖田は、厳かな面持ちで声を掛けて来た藤堂に答えると、縁側に竹刀を置いてその場に腰を下ろした。そんなのほほんとした沖田に、藤堂は呆れたような顔で面倒臭そうに言う。
「俺が聞きたいのは、どうしてあの女を土蔵から出したのかということです」
「江戸で、天然理心流の師範代を務めていると言うので、その腕を拝見したいと思ってね」
「あの女が…」
「もう一つ言うと、あの女ではなく、“土方”というらしいよ」
 呆気に取られた様子の藤堂を横目に、沖田が楽し気に呟いた。そして、沖田がこれまでの優美との経緯を話すと、藤堂は納得した様子で沖田から竹刀を受け取った。
「それにしても、大罪人かもしれぬというのに…」
「そうかもしれないね。あんな奇抜な着物を纏っていたんだから」
「ならば何故(なにゆえ)、」
 間髪入れずに問いかけて来る藤堂に、沖田は腰元に二刀携えながら、またもや余裕の笑みを浮かべる。
「平助にはあの人が悪人に見えるんだ?」
「見える」
 優美は即答する藤堂を見つめながら、心の中でのみ呟いた。
(あんなの着てるの見たら、誰だって変な奴だと思うよね…普通は。)
 けれど、沖田にだけは例外に見えたようで、裸足のまま竹刀を手に突っ立っている優美の元へ歩み寄り、その手から竹刀を奪う代わりに、沖田は懐から取り出した紺色の手拭いを優美に手渡した。
「この続きは、また明日にでも」
「え、あ…はい」
 頷く優美に、沖田はにっこりと微笑んで縁側に立ち尽くしている藤堂に優美の分の竹刀も預けると、草履を脱ぎながら言った。
「免許皆伝というだけあって、相当な使い手と見た。あちらの土方さんも」
「戯言はやめて下さいよ」
「誠の話だよ。平助も立ち会ってみれば分かる」
 そう言うと、沖田は未だに戸惑ったままの藤堂に耳打ちをしてその場を去って行った。残された藤堂は、ゆっくりと歩み寄っていた優美に、沖田からの言伝をそっくりそのまま伝える。と、優美は縁側に腰かけながら手にしていた手拭いで足の裏の汚れを払った。
「それは助かります」
「副長からの許可が下りなければ認められぬが」
 そう言うと、藤堂は優美を気に掛けながらも、縁側を速足で通り過ぎていこうとする斎藤一を呼び止めた。
「どうした?」
「三条小橋付近の古寺に長州藩士(やつら)がいるとの報せが入った」
「桂か?」
「それは分からないが、原田隊が準備を終え向かったところだ」
 斎藤はそれだけ言い残し、足早に駆け去って行く。と、それを見送った藤堂は、悔しそうに舌打ちをした。
「くそっ。先を越されたか…」
 その呟きを耳にして、優美は藤堂に気付かれないように苦笑いを浮かべた。何故なら、あだ名とでもいうか、藤堂は“魁先生”と、呼ばれるくらい武士であることに誇りを持っていたという話を聞いたことがあったからだった。
 優美が本気で剣術の道を目指そうとし始めた、小学5年の夏。
 いつものように、父親から新選組の話を聞いていた時のこと。なかでも、魁先生と呼ばれるくらいプライドの高かったと言われている藤堂平助のことを気に掛けていた。
 江戸は武蔵の国で産声を上げ、なんと伊勢津幡主である、藤堂高猷(とうどうたかゆき)の落胤(らくいん)とも、伊勢久居藩家老藤堂八座の子との説もある。しかも、通称の「平助」は藤堂家功臣の名乗りを嗣いだものとも伝えられ、藤堂の佩刀「上総介兼重」が藤堂家お抱え刀工の作であったためと言われている。
 史実通り、小柄ながら端整な顔立ち、江戸弁口調が男らしさを際立たせるなか、どこか品の良さを感じさせる。
「お前のせいで、捕物を逃してしまった」
「私のせいじゃ!…っ…」
 独り言のように呟いた藤堂に食ってかかるように口にしてしまってから、優美はハッとしてすぐに口を噤んだ。
「私のせい…ですね」
「平助」
 落ち込んだように俯く優美を睨み付けていた藤堂の、鋭い目が再びやって来た沖田へと向けられる。
「どうしたんだ?そんな怖い顔をして」
「どうもこうもない。この女のせいで手柄を逃した…」
「あっはは。そんなことで怒ってたの?」
 笑顔の沖田を前に、更に腹が立ったのか。藤堂は優美を沖田に預け、縁側を後にした。沖田は、その背中を見送りながら笑いを堪えるようにして優美の隣に腰を下ろす。
「面白いでしょう?常に先陣を切っていないと気が済まないらしんです」
「みたいですねぇ…」
「ところで、土方さんから特例ということで許しが出ました」
 沖田の、柔和な視線を間近に、優美は少し狼狽えながら尋ねた。
「ということは、誰かに見張られながら寝ろと?」
「寒い土蔵の中で独り震えながら朝を待つか、監視の下、暖かい布団の中で就寝するか。どちらか選んで下さい」
「……うーん。究極の選択かも」
 いずれにせよ、彼らからすれば素性の知れない下手人であることは変わりなく。優美にとっては酷な選択といえるが、今にも雪が降り出してきそうなほどの冷え込みに堪えられなくなることを見越して、仕方なく部屋での就寝を選んだのだった。


 沖田と共にやって来た部屋には、監察方の島田魁、会計方の安富才助や勘定方の河合喜三郎がおり、今は不在だが、同じく監察方の山崎丞や川島勝司らも戻ってくるとのこと。
「こ、今夜だけ…お邪魔します…」
 優美は障子を背に胡坐をかいて座り込んでいる沖田の隣に腰かけ、ぎこちなく微笑みながら小さく頭を下げた。
 二人の目前。将棋を嗜む者、晩酌を楽しむ者など、それぞれが思い思いに過ごしている。
「副長命令とあらば、仕方がないな」
 と、島田が将棋の駒を打ちながら言う。すると、相手をしていた河合も顔を歪めながら頷いた。
「どのみち、私は遅くまで起きていますので、島田さんと交代で見張ることは可能ですが…」
 そんな河合の隣、手酌で酒を飲みながら二人の勝負の行方を見守っていた安富が、沖田を見つめながら言う。
「女と同室となれば保証はできん。と、山崎さんが戻って来たらきっとそう仰るでしょうね」
 そんな安富の言葉に、島田と河合が手を休めながら頷くのを目にして、沖田は更に満面の笑顔を浮かべた。
「いや、それは無いと思うよ。土方というだけあって、あの鬼副長と同じくらいの腕前だから」
 ね。と、優美に微笑みかける沖田の、その何気ない一言に島田たちは一瞬、顔を見合わせた。
「それは、どういう意味です?」
 島田が、沖田と優美を交互に見ながら尋ねる。と、沖田はまるで自分のことのように自慢げに言った。
「先程、手合せして頂いたのだけれど、決着がつかなかった」
「えっ!?」
 沖田の一言に、三人の驚愕の声が重なった。
 あの沖田と張り合える、彼らにはそんな優美の存在が脅威に思えたのだろう。その後、いつもの冗談だろうと踏んだ島田がニンマリとした顔で沖田にツッコミを入れるも、「誠の話」と、真顔で返される始末。彼らは、今度こそ優美に厳かな視線を向けた。
「逃がすようなことがあれば武士の名折れ。くれぐれも、そのようなことの無いよう」
「承知」
 それぞれを見ながら言う沖田に、島田が緊張の面持ちで返答する。と、他の二人も同様に頷いた。
 優美は、買いかぶりすぎだと思いながらも、何気にあの沖田総司から称賛されていることに優越感を覚えていた。


 ****************


 一方、その頃。
 直哉の方はというと、小料理屋にて、龍馬から質問攻めにされていた。
 屋根の上で何をしていたのか?と、いうものから出身や現在の仕事、家族のことまで事細かく尋ねて来る龍馬に、直哉は冷や汗をかきながら答え続けている。
 全ての質問に答えることが出来ないということで、直哉も優美と同様に“記憶喪失”を装い、屋根の上にいたのは、生きて行くことに落胆したからだと正直に話した。
「なんじゃー。ほいじゃあ、屋根の上で落ち込んじょったがか?」
「……はい。そうこうしているうちに、足を滑らせて」
「おまん、見かけによらず間抜けなようじゃな」
 小さな四人掛けのテーブルに向かい合わせの二人。
 龍馬は、通りかかった女将におでんを注文すると、空になっていた直哉のお猪口に徳利を傾けた。直哉は、それを飲み干すと、「本気で死ぬつもりなんてなかったんだけどなぁ」と、呟く。
 あの時、ホテルの屋上で“死んだら楽になる”と、思っていたことは確かである。これまで演じて来た犯人役で、何度か飛び降りる演技を熱演して来たことから、今回も真似事で終わらせるつもりでいた。
 すぐに戻ろうとした。その時、優美と出逢ってしまった。
「ある女性と口論になって。でも、その人がどうなったのかも分からなくて…」
「やはり、事情(わけ)ありじゃったか」
「俺のせいで、その人を巻き込んでしまったかもしれない」
「よう分からんけんど、こうして出逢うたのも何かの縁じゃ。斯くなるうえは、わしで良けりゃあ力になるぜよ」
 そう言って、手酌で酒を飲もうとする龍馬から徳利を奪うと、直哉は龍馬の手にしているお猪口に注ぎ始める。
「お、すまんのう」
「いえ……俺の方こそ、いろいろありがとうございます」
 薄らと微笑む直哉に、龍馬は満面の笑顔を見せた。
 そこへ届いたおでんだねを摘みながら、「ほうじゃ」と、龍馬の真剣な眼差しが直哉に向けられる。
「おまん、丸腰じゃったが、剣術にゃ興味ないが?」
「……剣術」
 大根を頬張り、口の中を火傷して半べそをかいている龍馬の何気ない一言に、直哉はまたもや固まってしまう。剣術に興味が無いわけでは無かった。むしろ、誰よりも上達したいと願っていた。だが、北辰一刀流という格式高い流派を習得することはとても難しく、完璧を求める直哉にとって剣術とは、悩みの種である以上の何物でもなかった。
「やってみんかえ?しょうえい(面白い)ぞ」
「やってみるって…」
 躊躇う直哉に、龍馬は身を乗り出すようにしてニカッと微笑う。
「わしが教えちゃるき。どうじゃ?」
(マジかよ…)
 戸惑う心が龍馬に伝わったのか、
「なんじゃあ、おまんは男のくせに剣を握ったこともないゆうがか?」
 今度は、訝し気な眼差しで直哉を見ると、またすぐに悪戯っ子のような無邪気な笑顔を浮かべた。
「そ、そういうわけじゃ…」
「つべこべ言わんと、わしに習っとけばえいがじゃ。必ずおまんの役に立つはずじゃからのう」
 龍馬が言うと、妙に説得力がある。そう思いながら、直哉は楽し気に話し続けている龍馬に半ば無理やり頷いた。

 こうして、新選組に捕えられた優美と、坂本龍馬に助けられた直哉の、人生を掛けた激動の幕末ライフが始まってしまったのだった。



【次回に続く】



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