「十六夜の月」

□それぞれの今日
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 新選組屯所

 季節は春。
 優美と直哉が、幕末時代へタイムスリップして約二ヶ月の歳月が流れた。
 優美は新選組隊士として、山崎や島田らと同じ密偵の役目を担い。将軍警護や市中警護に尽力を尽くし。直哉は後の亀山社中となるべくメンバーと共に海軍操練所の塾生として、共に世直しの旅に同伴している。
 立場と境遇は違えど、二人はこの時代の生活に慣れ始めると同時に、互いの存在を忘れつつあった。

 優美が目覚めたのはまだ日が昇る暁七つ半(午前5時)頃。重たい布団を退け、少し離れた場所で寝息を立てている隊士たちを起こさぬよう枕元に置いておいた着物を纏う。次いで、枕元に置いておいた紐で長い髪を後ろに結い、静かに部屋を後にした。
 自らが発端となった当番制が確立してから、大概はこの時間帯に目が覚めるようになった。それでも、未だ寝ぼけ眼で縁側を歩きながら、優美は小声で悪態をつく。
「今日もくそ眠いぃ…」
 昨夜、新たに入隊した者への制裁が行われた為、寝不足はピークに達していた。
 これまで、自らも二度ほどその試練に耐えて来たが、その度に口から文句が零れ出るのを必死に堪えて来た。何のための門番なのだと、疑問が頭に浮かぶ。だが、藤堂曰く、“間者から身を守るため”という、言い分に納得するしかなく。これまでに、数名の間者を粛清してきたという話を聞き、この寝不足に慣れないと新選組隊士としては生きていけないのだという現実を受け止めるしかなかったのだった。
 そして、もう一つ。浅草の親戚の家が所謂ぼったん便所だったこともあり、厠などに関しては思っていたよりも順応出来ている。だが、同じ屋敷内に雅や女中たちがいるものの、男だらけの中で女隊士は優美のみ。特に入浴に関しては難を強いられ、化粧もそこそこに、髪の手入れもろくに出来ないことに関してもストレスとなっていた。
「はぁ」
 暗い台所に独り。思わず零れ出た自分の溜息に苦笑を漏らすと、背後から「おはようさん。早いな」と、いう山崎の声がして、優美はゆっくりと振り返った。
「…おはようございます」
「なんや、そのどんよりとした顔は…」
「昨夜、また例の“新人いじめ”があったでしょう?そのせいで寝不足なんですよ」
 そんなげんなりとした優美を見ながら、山崎が苦笑いを浮かべる。
「ま、しゃーないな。女は男よりも敏感に反応する生きもんやから」
「え、そうなんですか?」
 きょとんとした顔で尋ねて来る優美に、山崎はそんなことも知らなかったのかと言いたげに、ほんの少し眉を顰め言う。
「女には子を産み、育てる義務がある。あとは、言わずとも分かるな」
「そっか、赤ちゃんの夜泣きなんかにも付き合わなければならないから、男より敏感に働くようになってるんだ」
「そん通り」
 そう言いながら、山崎は手慣れた調子で傍に設置してある火鉢から竈の火を点してゆく。優美も、天井から吊るされている飯駕籠から保温しておいた昨夜の残り飯を確保した。
 白米は炊飯ジャーで、肉はフライパンで、魚は専用グリルで。そのほか、トースターや電子レンジなどで簡単に料理を作って来た現代っ子には、何もかもがアナログな調理のやり方に戸惑いしかなかった。だが、人というのは慣れ一つでどうとでもなるもので、徐々に順応し始めている。
「山崎さんって、本当に何でも知ってるんですね」
「あんさんが知らなさすぎるのや」
 少し咳込みながらも、火を大きくする為に筒で息を吹きかけながら藁を燃やしている山崎に優美はまた苦笑を返す。
「あはは、そうかも…」

 その後、同じ早番である松原忠司と馬越三郎、入隊して間もない松山幾之介とが合流した。そして、雅や女中たちと共に朝餉の準備を終えると、平隊士たちが次々と各部屋へ配膳していく。
 今朝の献立は、昨晩の残り物と沢庵のみ。ただし、冷や飯はお粥同然まで煮込み温めてある。部屋のそこここから「頂きます」との声がして、優美もまた自分の部屋にて箸に手を付けた。雑炊状態となった白米をトーストに、心ばかしの沢庵をベーコンエッグだと思いながら口にする。
 幼い頃から中の上くらいの生活を送りながらも、祖父の考えにより優美は厳しく躾けられて育った。どんな状況でも生きていけるだけの根性とその方法を学び、野草や草木は勿論、食用になる植物などの知識を教えて貰っていた。
(こりゃあ、痩せるだろうなぁ……)
 優美が少しうんざりとした表情で残りの沢庵に手を伸ばした。その時、沖田が咳込みながら縁側を歩いて行くのを見とめた。
(まただ)
 先日から軽く咳込み始めた沖田を心配し、何度か通院するように勧めて来た。だが、その度に沖田は頷くことなく「大丈夫」の一点張りであった。
 優美は残りわずかとなっていた雑炊をかっ込み、食後の挨拶をして自分の分の配膳を終えると、厠へ向かったであろう沖田の元へと急いだ。
 今度こそ、病院へ行って貰おうという決意のもと。向かった厠前で、大きく咳込んでいる沖田に歩み寄る。
「大丈夫ですか?」
(面倒な人と鉢合わせてしまったな…)
 沖田は心の中で呟くと、心配そうに顔を歪めている優美に微笑んだ。
「今度は胃に来てしまったようだけれど、大丈夫ですよ」
「沖田さん、やっぱりお医者さんに診て貰って来て下さい」
「またそれですか…」
「だって、大きな病気かもしれないでしょう?」
 優美が知っているのは、沖田総司が労咳で亡くなったと言うことだけだった。だが、それは後に第三者によって創作された可能性も考慮し、一概には判断しかねていた。
 ただ、史実通り労咳だったとしたら、早めに対処しておいたほうがいい。そんな思いから、自然と力説してしまう。
「風邪は万病のもとっていうし」
「そんな古臭い」
「ふ、古臭いって…」
(あんたに言われたくない!)
 そう、喉まで出かかった言葉を呑みこむ。
「こんなに心配しているのに、本当に沖田さんって頑固ですね」
 少し不貞腐れた顔で視線を逸らす優美。沖田は、そんな優美を見ながらくすくすと微笑った。
「そもそも、何故こんなにも心配してくれるんです?」
「それは…」
「もしかして、私に惚れてるとか」
「なっ!」
 今まで目にすることの無かった、嬉しそうに微笑みながらも熱を帯びたような瞳と目が合い、優美は慌てて視線を泳がせる。
「ったく、何を言っちゃってるんだかっ。そんなことある訳ないじゃないですか…」
「動揺しているということは、図星ですね」
「だ、だから違うって!あのですねぇ、」
 優美が真っ赤な顔で言い訳をしようとして、沖田の可笑しそうな笑いに遮られた。
「そうやってすぐ真に受ける。本当にからかいがいがあるなぁ」
「ぬぅ…」
(またやられた…)
 それでも、この新選組には必要不可欠な人物の一人であることから、再び説得しようと優美が口を開きかけた。刹那、沖田は厳かな表情で優美を見つめた。
「分かりましたよ。今日、これから行って来ます」
「本当に?!」
 もっと言い合うだろうと覚悟していた優美は、少し拍子抜けしながらその場を後にする沖田の後を追いかける。
「今日は素直なんですね」
「じつは、もう一人の土方くんからもしつこく言われていたので」
「副長からも…」
「事あるごとに、医者に診て貰って来いってうるさくて」
 そう言うと、沖田はふと足を止めた。
 その視線の先、小さ目の白い蝶がひらひらと飛んでいる。何故か、蝶は沖田の周りを華麗に舞うと、屋根の上へと消えていった。
「ずいぶんと愛想の良い蝶だったなぁ」
「でしたねぇ」
 優美は、空を仰ぐようにして呟く沖田に微笑んだ。次いで、それに付け足すように念を押す。
「さ、気が変わらないうちに行ってらっしゃい!」
「…はいはい」
 諦めたように溜息をつくと、沖田はすぐ傍の自分の部屋へ戻り、財布を胸元に忍ばせた。そして、優美に見送られながら屯所を後にしたのだった。


 優美が沖田を迎え入れたのは、昼八ツ(14時)を過ぎた頃。沖田の部屋へ行って診断の結果を尋ねると、風邪であったとの返事を貰う。
「やっぱり診て貰って良かったじゃないですか。これで安心ですね」
 沖田は微笑みながら安堵の息を漏らす優美から視線を逸らし、再び優美を見つめ微かな笑みを浮かべた。
「土方くんの言う通り、こんなことならもっと早めに受診しておけば良かった」
 この沖田の呟きが、どのような意味を含んでいるのか、気づかされるまでにそう時間はかからなかった。


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 一方、その頃。直哉たちは大阪から佐賀、野津原、久住を経由し長崎は福済寺を宿としながら、再びこれまでと同じような道程を経て、現在は京都にてそれぞれの責務を果たしていた。
 あの後、直哉は龍馬に連れられ、大阪のとある遊郭にて一夜を過ごした。
 まさしく暴れ馬の如く宴会を楽しむ龍馬を宥めるばかりというのもあり、遊郭初体験の直哉にとっては楽しむどころか戸惑いの方が強かったが、優美のことや海軍操練所などの話は勿論、互いの好きなタイプなどの話で盛り上がったのだった。

「もう、すっかり春じゃのう」
 龍馬が空を見上げながら眩しそうに目を細めた。
 春の京都は、おそ桜などによってまだまだ艶やかに彩られている。
 これから、土佐から亡命してきた同志たちに会いに行く為、龍馬と直哉は一路、三十三間堂の南側に位置する方広寺を訪れようとしていた。
「春は出会いの季節でもあるき。どこぞの別嬪さんと、えい出会いがしたいもんじゃ」
 同意を求められた直哉は、『またか』と苦笑しながらも笑顔で頷いた。女好きというよりも、現代で言うところの“たらし”に近いのではないかと、心の中で思った。その時、背後で女性の溜息を耳にして、二人は足を止め振り返った。
 そこにいたのは、今まさに龍馬が口にしたばかりの別嬪さんで、困惑したような表情で足元を気にしながらしゃがみ込んでいる。まるで女中が纏うような赤と黒の枡形の地味な着物は、艶めいた色気を漂わせているその女性には不似合いに思えた。
「おい、どないしたがじゃ?」
 直哉が口を開くより早く、声を掛けながら女性に歩み寄る龍馬。女性はそんな龍馬を上目遣いに、ゆっくりと立ち上がった。
「鼻緒が切れてしまいましたんや…」
「どれどれ、」
 更に近寄りしゃがみ込む龍馬の隣に追いつくと、直哉は龍馬と女性を交互に見た。
「こりゃあ、もう使いもんにならん」
 そう溜息交じりに呟くと、龍馬は立ち上がりながら自分の懐をまさぐりがっくりと首を垂れる。
「こうゆう時に限って忘れちゅう…」
「……俺も」
 直哉もそれを察して手拭い一枚持ち合わせていないことに気付く。女性は薄らと微笑を浮かべながら二人を交互に見つめた。
「お心遣い、おおきに」
「おまん、どこまで行くつもりやったが?」
「え…」
 龍馬の問いかけに、少し躊躇いの色を浮かべるも、「もう少し行ったところの、方広寺まで」と、言って微笑むと、龍馬はパッと顔を明るくさせた。
「おお〜、ほりゃあ奇遇じゃのう!わしらも、そこへ行くところやったがよ」
「そうなんどすか?」
 少し吃驚した表情の女性に、龍馬も直哉も笑顔で頷く。そして、女性に背を向け再びその場にしゃがみ込むと、前方を見つめたまま言う。
「わしがおぶっちゃるき。遠慮しな(するな)」
「せやけど…」
 女性からすれば、龍馬の親切心が嬉しい反面、初対面であることから戸惑いの方が強かった。けれど、再び促され女性は何度も謝りながらおもむろに龍馬の背に身を預ける。龍馬は、背中に受け止めると声を掛けながらゆっくりと立ち上がった。
「重いやろ…」
 女性の吐息が龍馬の耳元を掠めた。その羞恥心が籠められた声に、龍馬もまた照れながら答える。
「なんちゃーない、こんくらい朝飯前じゃ。それより、」
 龍馬は女性の下駄を手に隣を歩き始める直哉を気に掛けながら、ほんの少し後方を振り返りながら言った。
「わしゃー、坂本龍馬じゃ。ほんで、友人の五十嵐直哉」
 龍馬と女性の柔和な視線を受け、直哉は薄らと微笑みながら女性に会釈する。と、女性は自らを楢崎龍と名乗った。
「りょう。お龍さんかえ」
 似ちょるな。と、楽し気に笑う龍馬につられてお龍も控えめだが声を出して微笑う。
 後に、直哉にもしたように龍馬はお龍にも自分の名前を書いてみせた。続いて、お龍にも書いて貰ったことにより、二人の名前に同じ【龍】の字が含まれていたことを知る。
(二人はこんなふうに出会っていたのか…)
 坂本龍馬役を獲得してから調べようとしていた二人の出会い。シリーズものゆえ、まだ台本も二話分しか目を通せていなかったが、ここまではほぼ史実通りに事が運んでいることに改めて驚きと期待を感じた。
 あの歴史的大事件まで、あと一ヶ月。
 安穏とした日々が音を立てて崩れ去って行くことになるなど、この頃の直哉は知る由もなかった。
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