「十六夜の月」

□進むべき道
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 新選組屯所

 翌朝。
「いつまで寝とるつもりや」
 少し鼻にかかっているが、低めの美声を耳にして優美はゆっくりと重たい目蓋を開けた。
「うぅ、目覚め悪ぅ…」
 片肘をついて上体だけを起こすと、布団脇にしゃがみ込んでいる男の、呆れたような瞳と目が合う。
 監察方の山崎丞。主に密偵を熟す、新選組にとって無くてはならない人物の一人である。元々は、針医師の息子で入隊前に棒術を取得しており、入隊後は医師としてもその腕を振るっている。
 口は悪いが、気を許した者には惜しみない愛情で接することが出来る人の良い性格である。
 隊士達の監視の下、絶対に眠ることは出来ないだろうと思っていた優美だったが、日頃の疲れと思いがけない事態に直面していたせいか、布団に包まれて間もなく深い眠りに誘われていた。
 幕末時代へタイムスリップし、憧れの新選組と出逢った夢を見た。そう思いたかった優美だったが、辺りを見回して改めて溜息をつく。
「……っ…」
(やっぱ、受け入れるしかないんだなぁ…この現実を…)
 夢であって欲しかった。と、いう優美の気持ちも分からないでもない。
 よく見れば、自分以外の布団が片づけられようとしており、部屋にいた者たちが次々と着替えを済ませている。と、山崎は掛布団を剥ぎ取りながら溜息交じりに言った。
「はよう、それに着替えや」
「ぬぅあー、すみません!すぐ起きますッ」
 山崎の視線の先、枕元に新しい着物が用意されているのを見つけ、優美は乱れた肌襦袢の襟と裾を正しながら素早く立ち上がった。布団はそのままに、昨晩着替えを済ませた部屋へ移動し、衝立の裏で同様に着替え始める。
(今、何時くらいなんだろ?というか、これから奉行所だかに連れて行かれちゃうのかなぁ…)


 着替えを済ませた優美が、山崎に連れられて向かった先は、昨晩と同じ部屋だった。
 そこには、近藤勇と土方歳三は勿論、井上源三郎、沖田総司、山南敬助の姿もあり。優美には未だ山南と井上の区別はついていないが、近藤一派のほぼ全員を前にして、ドキドキと高鳴る鼓動を抑えながら彼らの前に腰を下ろした。
「では、私はこれで」
「ご苦労だった」
 部屋を後にする山崎に、近藤が労いの言葉を掛ける。山崎によって閉められる障子。一瞬の沈黙を破ったのは、井上だった。
「思ったより顔色がいいな」
「あ、その…自分でも眠れないだろうと思ってたんですけど、横になったら知らない間に熟睡しちゃってて…」
 答えながらも、優美は柔和な微笑を浮かべているこの男が誰なのかを気に掛けていた。
(山南さんかな…?それとも、源さんこと井上源三郎さんかな…)
 優美がそんなことを思いながら視線を落とした。その時、井上の隣で胡坐をかいている沖田が楽し気にいう。
「あんな状況でも熟睡出来るなんて、女の人にしては随分と図太い性根をお持ちのようだ」
「あはは、よく言われます…」
 沖田の余裕の笑みとは裏腹に、優美はぎこちない笑いを返した。と、今度は厳めしい表情で優美を見つめていた近藤が静かに口を開く。
「総司から聞いたのですが、随分と腕が立つようですね」
「え、あ…東京で、じゃなかった。江戸で天然理心流の師範代を務めているんですけど、昨夜は京都に来たばかりで、連れとはぐれて…気が付けばここへ連れて来られていたっていうか…」
 優美が躊躇いながら答える。すると、近藤の隣にいる土方も厳かに瞳を細めた。
「そのようだが、」
(…っ…)
 目が合った。刹那、優美は思わず視線を逸らした。
(あの切れ長の鋭い眼……すごい威圧感なんですけど…)
「誰に習った」
「そ、それは…」
 土方からの問いかけに、優美は全身から汗が噴き出る思いで顔を強張らせた。
(なんて答えればいいのよぉぉ!?)
 現代にも根強く息づいている天然理心流は、近藤内蔵之助によって開かれた流派であり。二代目を近藤三助が、三代目に近藤周助、四代目を近藤勇が引き継いでいる。それは、代々受け継がれ、優美も嫌っていうほど聞かされて来たことだが、頭を働かせた結果、近藤内蔵之助の高弟である、小幡万兵衛に指導を受けて免許皆伝となった増田蔵六の弟子にあたる山本満次郎から教わったと、苦しい嘘をついた。
「山本と、いうことは山本満次郎先生のことか」
 井上がポツリと呟き、近藤と土方を交互に見る。
(良かった。どうやら、山本満次郎で当たってたみたい…)
 心臓が飛び出そうなほど緊張していたが、優美はなるべく平静を装いながら、不審な眼差しで自分を見つめている近藤たちに言い聞かせるように伝える。
「10歳から習い始めて、現在は師範代としても認められています…」
「俄(にわ)かには信じられんが…」
 優美を見ながら呟く山南に、沖田が大きく頷く。
「山南さんがそう言いたくなる気持ちも分かりますが、これで何度目かな。誠のようですよ」
(あの人が山南さん。ということは、あっちが井上源三郎さんかな…)
 優美が思い描いていた山南像よりも男らしく、背筋の伸びた髷の綺麗な色男で。このような状況だからだろうが、眉を顰める様は真面目で気難しさを醸し出している。
「そこで、考えていたんですが」
 と、言って座り直す沖田に皆の視線が集まる。
「土方くんにその意思があればの話だけれど、もし行く宛てが無いのなら、新選組(ここ)に残り我らと共に戦って頂くというのはどうですか?」
「え…」
「なんせ、この私を本気にさせた方ですからね」
 沖田の一言に、優美は息を呑み大きく目を見開いた。無論、近藤らも愕然とした表情で沖田を見つめている。井上から批難されるも、沖田だけはそれらをものともしない様子で続けた。
「間者と判れば、斬れば良いだけの話。女の人だし、少々可笑しな発言もしますが、腕の良い撃剣師範は何人いても困らないでしょう」
 いけませんか?と、真っ直ぐ近藤を見る沖田。近藤は、土方や山南と目配せを交わすと、大きな溜息を漏らした。次いで、改めて優美に京都にいた意図と、はぐれたという人物が何者なのかを尋ねる。
 優美は、昨晩同様、これまでの経緯を話せるだけ伝えながらも、半ば沖田の言葉に心を動かされていた。
(どのみち、奉行所へ連れて行かれるのも困るし、その後に行く宛ても無い。何より、本物の新選組がどんな人達だったのか、この目で確かめることが出来るかもしれないんだよね…)
 考えに考えた結果、優美はその場に両手をついてしおらしく頭を下げた。
「し、新選組の噂は江戸でも聞いていました!その、出来たら私も隊士に加えて頂けないでしょうか?!」
 行く宛ても無いが、お金も無い。あるのは剣術一筋で鍛えて来た腕だけ。それらを全て考慮した結果、明日を生きる為に必要な衣食住が揃ったここでならば、という安易な考えしか浮かばなかったのだろう。
 沖田から昨晩の続きを促された優美は、近藤たちの見守るなか、入隊試験なるものを受け入れたのだった。


 ***************


 一方、その頃直哉は、龍馬と勝海舟らと共に京都を後にしようとしていた。
 軍艦奉行の勝が提案し、建立した「海軍操練所」には、少なからず塾生がおり。去年十月某日、塾頭となった龍馬の他にも、陸奥宗光(陽之助)、北添佶摩、望月亀弥太など、龍馬と親しい者たちも腕を磨いている。
 直哉も塾生になるという面目のもと、勝に許しを得たうえで、今回の旅に同伴することになったのだった。
「すまんなぁ、直(なお)」
 前を歩く勝と、その付き人たちを見遣りながら龍馬がいった。直哉が謝って来た理由を尋ねると、龍馬は申し訳なさそうに口を開く。
「探しちゅう女子がおるゆうちょったじゃろ」
「あ、そのことなら気にしないで下さい。いつかどこかで出会えるかもしれないから…」
「わしも手伝うき、どない女子ながじゃ?」
「そう言われても…」
(俺もあまり覚えていない。それに、幕末時代(こっち)へ来ているかどうかも分からない…)
 それでも、直哉は一生懸命優美の容姿を思い出そうとしていた。思い出せたのは、綺麗な二重目蓋と長い黒髪と、自分のことを「あんた」と、口走っていたことくらいだった。
 直哉がそれらを伝えると、龍馬はニンマリと頬を緩めた。
「えろう別嬪さんのようじゃな」
「だったかな。本当に一瞬だったんで、自分でもあまり覚えていないんですけど」
「ほんまかえ?わしゃー、一度見れば忘れんがのう」
 坂本龍馬は女好きだったという史実も見かけたが、あながち嘘じゃなさそうだ。直哉は心の中でのみ呟いて、足を速める龍馬の少し後ろを歩く。
「ま、今はほがなことゆうちゅう場合じゃないけんど」
 真っ直ぐ前を見つめながらいう龍馬の、勇ましい横顔を見ながら直哉はこれまで聞いて来た坂本龍馬に関わる話を思い出していた。
 龍馬は物心ついた頃から、常に「みんなが幸せになれる世を作る」という概念を強く持ち、脱藩したり土佐勤王党などに属したりするなか、刺客として押し入った勝海舟の元、逆に諭され、感化させられて弟子入りする。勝の、海軍の必要性を訴えるスケールのでかい話に魅せられ、誰よりもその想いを熱く胸に抱くようになっていった。
「ほいでの、京にはびこる不逞浪士らをまとめて北海道(えぞち)へ移住させたいゆう計画もあるがよ」
「不逞浪士らを?」
「おう、そんで幕府を中心に各藩が手を握り合うてこの日本国を変えてゆく。それこそが、わしらの夢でもあるがじゃ」
「…………」
 真っ先に浮かんだのは、敵対していた薩摩と長州に手を結ばせた“薩長同盟”と、260年も続いた徳川幕府を終焉へとおいやることになった“大政奉還”である。
 この、何の変哲もない男が、周りの援助を受けながらもこれらを成し遂げてしまうのだ。
 直哉は思った。自分はとんでもなく誤った選択をしてしまったのではないかと…。
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