「十六夜の月」

□下手人と訳アリ人
1ページ/2ページ


 直哉が龍馬と共に、夜の京都へと繰り出した頃。
 優美もまた、自分の身に振りかかった現実を受け止めていた。
 明朝、奉行所へ連行されることになった優美の、屯所内での居場所は前川邸の土蔵と決まり。藤堂によって連れられてやって来た真っ暗な蔵の中で、一晩を過ごすことになったのだった。
「うわ……マジ…?」
 思わず、正直な想いが口から零れ出る。藤堂から蝋燭行灯を受け取り、その場を去ろうとした彼を呼び止める。
「あ、ちょっと待って…下さい…」
「…………」
「あの、さっきも言ったけど、私はこんなところに入れられるような覚えはないんですけどねぇ」
「大概の輩は皆そう言う」
 冷やかな視線を残し、今度こそ踵を返す藤堂に、優美はまた何かを言おうとして諦めた。ぴしゃりと閉められた土蔵の扉を見つめながら、大きな溜息を零す。
「……こんな、ドラマみたいなことって本当にあるんだなぁ」
 仕方なく、蝋燭行灯を部屋の隅に置くと、上へと続く階段へ腰を下ろした。
(さっきの家が八木邸だとすると、ここは前川邸?というか、本当にここはあの新選組が誕生した幕末の京都なんだ…)
 ホテルの屋上から落ちたことが切っ掛けで、時空を超えてしまったのだろうか。それとも、あのまま即死して自分が思うままの時代を旅しているのだろうかと、半信半疑ながらいろいろな考えが頭の中を巡ったが、一つだけ分かっていることは、ここが現代ではないということだった。
 それでも、一晩過ごしたら長い悪夢から解放されているかもしれない。そんな想いで、優美は与えられた黴臭い紙衾(かみぶすま)を膝に掛け首元まで手繰り寄せた。
「…さぶいなぁ。どうして、私がこんな目に…あー、あったかいココアが飲みたいぃ。というか、夕飯食べてからで良かったぁ」
 改めて、拗ねたように唇を尖らせながら土蔵の中を見回してみる。そうしながらも、共に落ちた男性も自分と同じ境遇にあるとしたら、今どこで何をしているのだろう?今度、会ったら文句を言ってやろうなどと思った。途端、じわじわと込み上げて来る憤りを感じて、優美は紙衾を払い退けた。
「こんなところでうじうじしてる場合じゃなかった!ここが江戸時代だっていうなら、早いとこ現代へ戻る方法を見つけ出さないと」
 行灯を手に、蔵の中を見て回っているうちに、見覚えがあるような錯覚に陥った。
「もしかして、ここって…」
 優美の推察するとおり、今、彼女が立っているこの場所こそが、池田屋事件の発端となったと言われている古高俊太郎が拷問を受けたとされた場所であった。
(彼らが新選組になっていて、季節は冬。となると、池田屋事件前?それとも、それ以降か…)
 古高についての知識はほとんど無いものの、勤王志士の大元締めとされていた古高が、隊士らによって惨たらしい拷問を受ける、あるいは受けた場所であることを想像して、優美は更に体を強張らせた。
「ここで亡くなったんだっけ?」
 などと、独り言を呟きながら行灯を掲げて二階を照らす。
「当たり前だけど、真っ暗だよぉ……っていうか、さっきから独り言ばっか…」
 寒さと、怖さのせいで疲れ果てている優美の視界に、見慣れたものが映り込んだ。
(あれは、もしかして…)
 ゆっくりと近づき、行灯を近づける。それが竹刀だと確認して、優美はもう片方の手でそれを引き抜いた。
「体をあっためるにはこれに限る、か」
 近くにある棚の上に行灯を置き、少し離れて素振りを繰り返す。優美の手にした竹刀は、近藤や土方たちが愛用していたとされている太めの木刀で、刀と同じくらい重たい。男でも数回繰り返せばへろへろになってしまうだろうその重さを、物ともせずにいる。
 なぜなら、その木刀があるとされている場所で初めて本物を目にし、手に取ってからというもの、知り合いの職人に頼んで同じような木刀を造ってもらっていたからであった。
「んー、暑くなってきたぁ〜」
 そんな最中、気配を感じて手を止めた。微かに響き渡る自分の息遣いを聞きながら、扉の方を見遣る。と、開かれた扉の向こうから同じ蝋燭行灯を手に現れたのは、先程の月代の綺麗な青年だった。
「平助から聞いて来てみれば、随分と勇ましいですね」
「子供の頃からやってるもんですから」
 優美が息を弾ませながら答えると、青年は「泣いているかと思って、甘い物を持って来たんですけれど、要らないかな」と、言って踵を返した。すかさず、
「甘いもの?!な、なぁに?甘いものって💛」
 と、笑顔で食いついていく優美の順応性は称賛に価する。
 青年は楽しそうに微笑いながら扉を閉めると、優美が置いた行灯の隣に持参した行灯を置き、懐からくしゃりと皺の寄った真っ白な懐紙を取り出した。
「金華糖です」
「き、きんかとう?」
 優美は竹刀を戻し、青年から金華糖なるものを受け取ると、一粒口に頬張った。
 それは、現代にも伝えられている砂糖を固めたお菓子で、煮溶かした砂糖を型に流して冷やしたものである。小粒ながら、綺麗な花の形の金華糖を口に含んだ時のほんのりとした甘みにたちまち癒され始める。
「…美味しい」
「それにしても、あのような場所で何をしていたんです?」
「え、あ…」
 不意に尋ねられ、優美は改めて、気を引き締め直した。
「その、」
(なんて言えばいいのよぉぉ?)
 心の中で嘆きつつ、話せる範囲のこれまでの経緯を自分なりに構成し直して、たどたどしくも青年に伝える。
「出会ったばかりの男と口論になって、もみ合っているうちにいろいろあって。気が付いたら、あそこにいたというか…」
 と、視線を青年に向けた。呆れたような冷ややかな目に、優美はお得意の苦笑を返す。
「なんて、嘘っぽいですよね…あはは」
 何を言っているのだろうと、心の中でツッコミを入れながらも、優美は薄らとした笑みを浮かべている青年を目にしてほんの少しだけ胸を撫で下ろした。
「ちょっと、コケた拍子に記憶を失ってしまったのかもしれません…」
「よく分からないけれど、面白い人だなぁ」
 青年の柔和な笑顔を前に、優美は躊躇いながらもこれまで呑みこんできた疑問をぶつけてみた。それは、直哉が龍馬に尋ねたことと同じで、青年が口にした年号と日付。そして、青年自身の名前を聞いた時点で、確実にここが幕末時代であることを思い知らされるのであった。
「な、なるほどぉ。やっぱりそうだったんだ…」
「やっぱり、とは?」
「いえ、何でもないです…」
(しかも、この人が天才剣士と言われていた、あの沖田総司…)
 優美がイメージしていた二枚目沖田とは違っていたものの、奥二重の目ががきりっとした、長身で色黒な男らしい印象を受けた。
「お尋ねするつもりはありませんでしたが、貴女の名は?」
「……土方優美といいます」
 名乗った途端、沖田は片眉を上げた。
「土方…」
「はい。東京、じゃなかった。江戸で天然理心流の師範代を務めています…」
 と、優美がぎこちなく答えると、沖田はたちまち目を輝かせ始める。
「貴女が?」
「い、一応…」
 伏し目がちな視線を再び沖田に向けると、今度は澄ましたような瞳と目が合う。次いで、記憶を失っていたんじゃないのかと問われ、優美はまたぎこちない笑みを浮かべた。
「なんかこう、断片的になら思い出せるというか…」
(誤魔化してるの、バレバレかな??)
 沖田は、視線を泳がせ始めた優美を横目に、竹刀立てから一本引き抜いてそれを優美に差し出した。
「それならば、お手並み拝見と参りましょう」
「え、」
 竹刀を受け取るも、残りの金華糖を口に頬張りながら、もう一本竹刀を引き抜く沖田に躊躇いの息を零す。
「ここで?」
「いいえ。庭にて」
 自分の分の竹刀を優美に持たせ、棚の上に並ぶ行灯のうち一つだけ吹き消すと、沖田は点灯している方の行灯を持って唖然としたままの優美を見つめた。
「あの、私出ちゃってもいいのかな?」
「逃げ出すというのなら、抜かねばなりませんが」
 優美は、沖田の指先が二刀携えた刀の柄に伸びたのを確認して、慌てて両掌を向けた。
「に、逃げたりなんてしませんからっ」
(もしも、この人が本当に天才剣士だったら、命がいくつあっても足りないでしょ…)

 八木邸の庭先兼稽古場へとやって来ると、沖田は行灯と携えていた刀を縁側に置いた。次いで、優美から竹刀を受け取ってそれを脇に構え、向かい合わせの優美とほぼ同時にその場に腰を下ろす。
「あ、ちょっと待った!」
「?」
 すぐに立ち上がり、優美は沖田に竹刀を持たせた後、草履を脱ぎながら着物の裾を捲り上げた。おまけに、襦袢まで捲り上げて落ちないように固定させる。
「よーし、これで大丈夫かな」
 そう言って、乱雑に脱ぎ捨てられていた草履を遠くに置き、唖然としている沖田から竹刀を受け取ると、再度向かい合わせになって竹刀を構えた。「威勢もいいんですね」と、言う沖田に、優美も「腕はもっといいですよ」と、自慢げに返す。
 そして、互いの剣先をちょこんと合わせ、相手の動きを見遣りながら間合いを取り始める。
 月明かりだけが頼りの薄暗い庭。
(なに、あの余裕な笑みは…)
 まず、右手一本でその剣先を優美に見せつけるようにしている沖田の、美麗な微笑みを前に微かな動揺を覚えた。その様は、全身の力を抜き、余裕さえ感じられる。
(こっちこそ、沖田総司の剣がどれほどのものか、確かめてやろうじゃないの。)
 相手の動きを見定めつつ、先に剣を振るったのは優美の方だった。中段に構えていた剣を左から右へと振り上げる。沖田はそれを見抜いていたかのようにすんなりと交わし、続いた下段からの足払い攻撃さえも宙に舞うように軽やかに交わして見せた。
(さすが、沖田総司。全部読まれてる…)
 優美が素早く足払いを仕掛けたことによって生じた互いの距離を再び埋めるように、じりじりと歩み寄っていく。
 次いで、威勢のいい声を上げながら沖田の腹部へ突きを入れようとする優美の攻撃も、なんなく払われてしまう。
「くっ…っ…」
 幾度も剣を交え、何度目かの間合いを行うなか、額や頬に汗する優美に対して未だ沖田は涼し気な余裕の表情を浮かべている。息を弾ませながら攻め続けている優美と比べ、一切の無駄な動きが無いからだろう。
「もう根を上げるのですか?」
「まだまだっ!」
 弾む白い息。
 余裕過ぎるその眼差しに腹を立てた優美の、会心の一撃が沖田の鼻先を掠めた。
「油断しないで下さいね。一応、これでも天然理心流の師範代として認められてるんですからっ」
「それは失礼しました」
(どうやら誠のようだ。ならば…)
 言い終わらないうちに、今度は沖田からの本気の一撃が、避けようとした優美の前髪を攫って行く。
 竹刀を軋ませながら、何度か斬り結ぶも決着がつかないまま。竹刀のぶつかり合う音を聞いて様子を見に来たであろう藤堂に気付いた二人は、いったん剣を休めた。
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ