「十六夜の月」

□夢現
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 短い一生だった。
 しかも、恋愛らしい恋愛が出来ないまま自ら24年間という人生にピリオドを打ってしまった。優美は気を失うまでの、ほんの数秒間にそんなことを考えていた。
 何らかの意識が戻ったら、そこは黄泉の国なのだと覚悟を決めた。次の瞬間、両腕に激痛を伴いながら芝生の生い茂った柔らかい地面に横たわっていた。
「痛ったぁぁ。って、ここは…?」
 ここはきっとあの世に違いない。優美はそう思いながら、恐る恐る辺りを見回した。
「あれ、生きてる?」
 頬をつねり、思いっきり痛みを感じて先程までの出来事が夢ではないことに気付かされる。目の前には川が流れ、少し離れた場所には大きな橋が見えた。
「でも、待てよ…さっき、知らない男とホテルの屋上から落ちたのに…」
 訝し気に眉を顰めながら呟く優美。次いで、その男性の姿が無いことにも気づいて、腕の痛みを堪えながらゆっくりと立ち上がる。
(あの人、どこに行っちゃったんだろ?というか、どうして私生きてるの?でもってここはどこ?)
 暗くて視界は悪いが、優美は腰を手の平で支えながら一生懸命頭の中を整理し始めた。街灯一つ無い場所に立ち止まっているのも怖くなり、まずは灯りのある方を目指し歩き始める。
「地獄だったりして。普段の行いが悪いからなぁ…」
 舗装されていない道、近代的なビルなどが一切見当たらない。しかも、凍てつく寒さも手伝って、つい背中を丸めて歩いてしまう。しばらくして、当たり前のように装った和装と日本髪姿で歩いて来る女性を目にして、優美は安堵の息を零した。
「芸者さんがいるってことは、ここは京都だよね」
 安心したのもつかの間、すれ違いざま自分に冷やかな視線を向けたまま避けるように立ち去って行く女性に、優美は振り向きながら小首を傾げた。
 遠くでは、髷を結った男性が藍色の着流し姿で颯爽と歩いている。
 時代劇の撮影でもしているのだろうと、この時はそれほど気に留めていなかった優美であったが、道行く人がみんな和装であることに疑問を抱き始めた。
 まず、ホテルの屋上から落ちて生きていること自体が有り得ない。それに、あの男性はどこへ行ってしまったのか。
 と、微かな不安に駆られた。途端、あれよあれよという間に侍らしき者たちに取り囲まれてしまっていた。総勢5名、優美に殺気立ったような視線を向けている。
「な、なに?なんなの??」
「この女か」
 先頭にいる恰幅の良い端整な顔立ちの男が、後方から下駄を鳴らして駆け寄って来た先程の女性に声を掛ける。すると、女性は震えた唇を噛み締めながら頷いた。
「そうどす。見ぃひん着物やったさかい、異国人や思うて…」
「見た限りは日本人の様ですが。確かに、奇抜な装いが怪しいですね」
 言いながら、その女性の前に歩み出てきたのは、優美と同い年くらいの青年だった。皆、総髪のなかで、彼だけは月代(さかやき)を剃っている。
「左之助さん、さっさと捕えて飲みに行きましょうよ」
「さのすけ…さん?」
 優美が声にしながら、「左之助さん」と、呼んだ青年と、「左之助さん」と呼ばれたであろう先頭にいる男性を交互に見つめる。
 いまだこの状況が掴めきれていない優美だったが、彼らは後に京一の剣客集団となる新選組隊士で、原田左之助を筆頭に、沖田総司、斎藤一、篠原泰之進、奥沢栄助という顔ぶれが揃っていたのだ。
「あ、あのですねぇ。私はその、さっきまで市内のホテルにいて…」
(…っ…!)
 なんとか弁解しようとするも、彼らが難しい顔で刀の鞘に手を置くのを目にして、優美は体を硬直させた。
「す、すみませんでした!撮影中だとは知らずに邪魔しちゃって」
 などと、彼らには意味不明な言葉を捲し立てている。
「で、もう一人連れを探してるんですけど…見つからなくて。あ、連れっていってもさっき会ったばかりなんで、名前も住所も分からない赤の他人なんですけど。ちなみに、ここってどこですか?」
(あー、もう。私ってば何を言ってるんだろう…)
「京だが」
 と、斎藤が少し呆れ気味に答える。
「で、ですよねぇ。ここは京都ですよね…」
 未だ、自分が江戸時代末期へとタイムスリップしたことを自覚できていない優美だったが、その現実を受け止めることが出来たのは、下手人という身に覚えのない罪で捕えられ、新選組屯所へと連れて来られてからだった。
「し、新選組…屯所って…?」
 後ろ手に両腕を縄で縛られた状態で連行されてやって来たのは、ドラマなどで見慣れた看板と「誠」と、書かれた提灯がぶら下がっている立派な門前で、すぐに屋敷内へと連行されてからようやくここが現代でも足を運んだことのある八木邸だと理解した。
(夜は、撮影場所として提供していたんだ…)
 そんなことはある訳が無い。どこまでお気楽でいられるのか、玄関で靴を脱ぐように言われた優美は、新たに同伴する隊士から冷やかな視線を受けたまま奥の部屋へと通された。
 行燈が一つあるだけの薄暗い部屋。そこへやって来た四十代半ばくらいの女性により、女物の着物一式が用意される。
「ほんに、毎度毎度厄介な…」
「………」
 優美が気付くまでには今しばらく時間が掛かるのだが、この苦虫を噛み潰したような表情で去って行く女性が、八木源之丞の妻、雅である。
 優美は、呆れたような顔で部屋を後にする雅を見遣り、解かれた腕に触れながらここまで同伴していた男性を見つめた。小柄ながらも、品のある端整な顔立ちのこの男性から衝立を利用して着替えるように命令され、仕方なくそれに従う。
「着替え終わったら声をかけろ」
「…はい」
(っていうか、なんで着物に着替えないといけないわけ?)
 綺麗な紫色の風呂敷包を受け取り、大きな衝立の裏側で着物に着替えると、優美は着ていた服を風呂敷包で包み、また男性に連れられながら別の部屋へと連れて行かれた。そこで優美を待っていたのは、強面の男性と切れ長な眼が涼し気な男性だった。
「え…」
 彼らを目にした途端、優美は思わずその場に立ち尽くし目を見開いた。
 何故なら、毎日のように拝んでいた顔が二つ、そこにあったからだった。尊敬する近藤勇と、土方歳三のそっくりさんだと思い込み、弥が上にも興奮度が上昇していく。
「うわ、近藤勇と土方歳三にそっくり…」
「そっくりもなにも、お前の目の前におられる方が近藤局長であり、その隣におられるのが副長の土方さんだ」
「まったまたぁ、どこのモノマネ芸人さんを…」
 彼らの傍に腰を下ろしながら、感嘆の息を零していた優美の笑顔が同伴していた男性の一言と、その場の張りつめたような雰囲気によって脆くも崩れ去ったことは言うまでも無い。
「そんなこと…あるわけないよね…」
(マジで本物なわけないでしょう。だって、もしもそうだとしたら…ううん、そんな非現実的なことあるわけない。)
 自問自答したくなる気持ちも分かる。誰でもこのような状況に追い込まれたら彼女と同じ反応をするだろう。そんな優美の挙動不審な態度を前に、近藤は土方と顔を見合わせ、同伴していた男性に厳かな視線を遣った。
「平助、これはどういうことだ」
「じつは…」
 平助と呼ばれた先程の小柄な男性は、後の八番隊組長となる藤堂平助で。藤堂は優美から風呂敷包を奪い取ると、近藤らの手前に開いて見せながらこれまでの経緯を簡潔に説明した。
「これは、」
 呟く近藤の隣、土方は優美の洋服を目にして軽く驚愕している近藤を横目に、パーカーを手に取り優美に説明を促す。
「どこで手に入れた」
「それは、渋谷で…」
「しぶや?それはどこだ」
「渋谷は渋谷ですけど…」
(うーん、やっぱりおかしい。渋谷を知らないはずがないんだけどな…)
 そんなふうに思いながらも、優美はもう一つの可能性を疑い始めていた。それは、今目の前にいる二人が本物なのではないかということ。そして、ここがあの憧れの新選組が生まれた幕末時代なのではないかということだった。
「あ、えっとぉ。それは江戸で買いました!渋谷という店には、そういった珍しい服があってですね…」
 半ばしどろもどろになりながら弁解する優美を、彼らは尚も訝し気な眼差しで見つめている。
(こりゃあ、もしかしてどえらいことになってる?)
 夢なら覚めろ。
 優美は、心の中で呟きながら両手で自分の頬をつねりまくっていた。



 一方、その頃。
 優美と共にホテルの屋上から落ちた彼の方はというと、とある宿の二階で意識を取り戻していた。
「しっかし、いきなり空から降って来た時にゃあどないなっちゅうんかと思うたが。無事で何よりぜよ」
「………」
「そん着物も似合っちゅうぞ。わしので丁度えいとはのう」
 そう言って、長身で恰幅の良い男性が着物に着替え終えた彼の帯を正しながら笑う。
 彼は、自らを坂本龍馬だと名乗る男性を前に愕然とするほかなかった。何故なら、坂本家の遠い親戚にあたり、幼い頃から坂本龍馬の影響を受けて育っていたからだ。
 ホテルの屋上から、見知らぬ女性と共に落ちたところまでの記憶はある。本来ならば死を迎えているはずの自分が、まるで時代劇のセットのような場所にいることに違和感を覚えた。
 龍馬の話では、三条大橋の辺りを歩いていた時、目の前に自分が降って来たというのだが、夢でも見ているに違いない。そう思い、彼も自分の頬を思いっきり平手打ちにしてみる。
「おい、何をしゆう!」
「痛ぇ…」
「顔を叩いたら痛いに決まっちゅうろう…」
 少し困ったように笑いながら慌てて自分の腕を押さえ込む龍馬の、手の平の熱を感じて、彼もまた現実と向き合うしかなくなっていた。
(どこをどう見ても、この人はあの……坂本龍馬だ。)
 思っていたよりも温和そうで、それでいて、時折見せる眼差しが雄々しく。身なりからして、大雑把な性格のようだが、知っている史実通りの人見知りしない明るい笑顔が魅力的だと思えた。
 そう思えば思うほど、龍馬と会話すればするほど、ここが現代ではないのだと思い知らされる。そして、渡された大きな風呂敷包で洋服一式を包みながら恐る恐る尋ねた日付は、元治元年二月九日で、
「がんじ…がんねん…」
 茫然としたまま呟く彼に、龍馬は小首を傾げた。
「ほうじゃけんど、それがどういたがぜ?」
「いや、何でも…」
「まぁ、ちっくと座れや」
 言いながら、その場に胡座をかく龍馬の隣、彼も戸惑いながら腰を下ろす。
「にしても、その“ようふく”なるもんは、どこで手に入れたがじゃ?おまん、名は何ていいゆう?」
 龍馬から質問攻めにされ、彼は少し躊躇いながらも重たい口を静かに開いた。
「五十嵐直哉…と、いいます」
「いがらし、なおや。『なおや』ゆうんはどない字を書くがじゃ?」
 龍馬から、近くに散らばっていた懐紙と筆を受け取った直哉は、慣れない手つきで自分の名前を書き綴った。綴り終えると、龍馬は墨が足りずに掠れた“直哉”と、いう文字を見下ろしながら満面の笑顔で微笑む。
「おおー!初めて見る名じゃけんど、かっこえいのう。わしゃーのう、」
 直哉から筆を奪い、すぐに自分の名を認めた後、改めてニカッと満面の笑みを浮かべ言った。
「えい名じゃろう?」
 どうだと言わんばかりにでかでかと書かれた『龍馬』という字を目前に、直哉は思わず微笑を零した。
「そうですね」
「わしも気にいっちゅう」
 と、今度は自分で書いた達筆な字を見て、まんざらでもなさそうな表情を浮かべる龍馬。
(この人がもしも、本物だとしたら。やっぱり俺は…あの坂本龍馬のいる幕末時代にいるということになる。しかも、自分が演じる予定の人物に会えるとはな…)
 実を言うと、直哉は芸歴8年の実績を持つ若手役者である。
 幕末時代を題材にしたドラマの出演オファーが届いたところまでは良かったが、どうしてもコツがつかめない殺陣型に自信が持てずにいた。
 龍馬役はモノにしたいと思うものの、北辰一刀流という流派を習い、立ち合い稽古を熟しながらも完璧に出来ないというプライドが付きまとった結果、このような結末を自ら招いてしまったのだった。
 直哉がそんなことを考えている間、龍馬もまた明るく振る舞いながらも、“事情(わけ)あり”と、睨んでいた。それでも縁を感じた龍馬は、まだ素性も知れない直哉に惜しげも無く自らの野望を説き始めた。
 そんな龍馬の、とてつもない大きな夢物語を聞いて、直哉はますます自分の置かれている境遇に戸惑いを隠せずにいる。
 しかも、面識がないとはいえ、巻き添えを食らわせてしまった彼女のことも気に掛けずにはいられなかった。
「こん続きは、飯でも食いながらってのはどうじゃ。近所に美味い小料理屋があるんじゃが、そこへ行かんかえ?」
「…はい」
「よっしゃー、今宵はわしが奢っちゃる。そこで、おまんのこともじっくり聞こうかのう」
 そう言って、豪快に笑う龍馬を横目に、自分が寝ていた布団を適当に畳んで隅にやると、直哉は龍馬と共に宿を後にしたのだった。



【次回に続く】


パッと浮かんで、忘れないうちに書いてしまいました…
(*ノωノ)


 

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