「十六夜の月」

□プロローグ
1ページ/1ページ

 ━━平成27年2月9日

 京都は今にも雪が降り出しそうな雲行きで、道行く人の数もまばらであった。
「…やっぱいいなぁ。京都って」
 優美は、窓辺から京都市内の夜景を見遣りながらポツリと呟いた。
 ブルーデニムに白のV字Tシャツ。その上からグレーのパーカーを羽織っただけという、じつにラフで洒落っ気の無いこの女性は、土方優美。
 日野で生まれ育ち、天然理心流を守り続けて来た家の一人娘で、優美自身も師範代としての腕を上げつつある。
 普段はなかなか見かけない苗字ではあるが、日野近辺には数軒存在し。新選組の鬼副長で有名な“土方歳三”と同じ姓を持つ。だからという訳ではないが、家族そろって新選組のファンであり、その影響力は計り知れない。
 モデルや女優にスカウトされるほどの端整な顔立ち、さらりとした長い髪や脚線美豊かな鍛えられた肉体が彼女の魅力を際立たせている。しかも、幼い頃からの勉強好きが功を奏して、希望の大学に進学。その間、外国語を学びながら剣の道を究め、卒業後は家業を継ぐようになって二年の歳月が流れた。
 何不自由なく過ごして来たかのように見える優美だったが、たった一つだけ頭を捻ってしまうことがあった。それは、異性との交際に関してだった。言い寄る者は数知れなかったが、男勝りな性格ゆえ、優美の本性を知って逃げ出さない男はいなかった。
 半ば恋愛や結婚を諦め、代々引き継いで来た流派を守る為に、日々、精進している。
 そんななか、年に何度か行われる京都での稽古に赴いたことにより、優美は久しぶりに贔屓にしていたホテルへとやって来ていたのだった。

「うぅ、屋上はさぶぃ。上着持って来れば良かったかな…」
 夜だから誰もいないだろうと思っていたプライベートガーデンだったが、先客がいた。長身でスタイルの良い二十代後半くらいの男性が独り、ウッディな手摺りの前で佇んでいる。
 所々に設置されたムーディーな照明に照らされた後ろ姿。それだけでもイケメンだと思えた男性の容姿が気になって、さりげなく距離を置きながらも男性同様、手摺りに凭れ掛かりながらその横顔を見遣る。ブルーデニムに薄手の黒いダウンジャケットを羽織ったその姿は、モデル並みの恰好良さを醸し出していた。
(うわぁ、超イケメンじゃん…)
 そう思うと同時に、どこかで見たことがある顔だと考えながら視線を逸らしかけた。刹那、
「え…」
 男性が手摺りへ凭れ掛かりながら、それを乗り越えてゆくのを見とめる。
「ちょ、マジ?!」
 自殺?!そう思い、無我夢中で駆け寄ると、男性は驚愕したように優美を見ながら手摺りにしがみ付いた。
「あんた、何やってんの?!死ぬ気?」
「く、来るな!」
 フェンスの反対側、端整な顔を引き攣らせる男性の胸ぐらを掴んで、今にも飛び降りようとしているのを引きとめるのが精一杯で。
「この手を……離してくれないか…」
 男性の声は微かに震えている。
「飛び降りないって言うんだったら……は、離してもいいけどッ」
「………」
 と、真剣な眼差しを受け止めた。その時、バキッという鈍い音と共に凭れ掛かっていた真新しい手摺りが折れ、勢い余った優美のパーカーの裾を引っ張る男性の、逆に助けようとした行為も空しく。
「嘘っ…」
「…だろッ」
 先に足を踏み外す優美の後を追うように男性も態勢を崩した。
 そして、二人は真っ逆さまに、まるで何かに吸い込まれるかのように暗闇の中へと落ちて行ったのだった。



 

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ