劣等感

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「はぁぁ、疲れた」
「毎度毎度、拙者を巻き込むのは辞めてほしいでござる」
「だって兄上を止められるの万斉君くらいだし」

拙者の隣を歩く女、ねちねちと兄に対する愚痴を俺に零すこの女が何の躊躇いも無く人を殺すのだと知った時、今通りすがった若い男や年配の女性は何を思うだろうか。それはまず、“有り得ない”だろう。

「ねえ、万斉君、聞いてる?」
「拙者はとても疲れている、姫仍の戯言を聞いている暇はない」
「うわあ酷いなー」

ちらりと彼女を見遣る。口元を手で隠しクスクスと笑う彼女は、いつもは面で隠している顔を晒し、いつもは血を思わせる真紅の着物を纏っている身体には淡い桃色の着物を身に纏っている。顔にはうっすら化粧を施し、艶やかな長い髪の毛は綺麗に結い上げている。ふわりと香る香水は百合の香りだろうか、それも彼女を一層美しく魅せている。

「…どうしたの、万斉君」
「そうしていると、ただの町娘みたいでござる」
「でしょう?この格好気に入ってるのよ」

そう笑う彼女は、やはりどこから見ても、虫一匹も殺せぬような姿だ。




「逃げられた、だと?」
「ええ。真選組の監察が優秀だというのは本当の様ですね」

姫仍のその言葉に晋助の機嫌が至上最悪な程に悪くなったのは1週間前の夜中のことだ。その日我ら鬼兵隊の船に犬が一匹紛れ込んだようで、それをきいた晋助は姫仍にその犬を始末するよう言いつけたらしいのだが。彼女はそいつを殺し損ない、その上仲間を1人殺されたと平気な顔をして晋助に言ったのだ。その上晋助の前で他人を褒めたりするから……、晋助の機嫌は拙者も手の施しようがない程に悪くなったわけで。

「姫仍、お前は暫く任務に行かせない。暫く部屋から一歩も外へ出るな。」
「……はい、わかりました」

姫仍は晋助の言う事に一切刃向わない。こうしろ、と言われればこうするし、そうするな、と言われればそうしない。彼女にとって晋助の言う事は絶対だ、それは拙者が彼らに出会った時から変わらない。

「、」
「っひゃ!」
「!晋助!!」

しかし晋助はそれが昔から酷く気に入らない。晋助は大人しく言う事を聞いた姫仍を容赦なく叩き、彼女は部屋の真ん中にいたにも関わらず隅まで吹き飛んだ。思わず咎めるように彼の名を呼んだ拙者を、それだけで殺せるかの様な目で睨み、下がれと低く呟いたので、拙者は蹲る姫仍を連れて晋助の部屋を出たのだ。

その翌日から、姫仍は晋助の言いつけ通り部屋から一歩も外へ出ることは無く。また子が部屋に運んだ食事を受け取ること以外は、誰とも言葉を交わさず、1人きりで部屋ですごしていた。

そして1週間経った今日、晋助の部屋に呼び出され、本人から外へ出ることを許可された姫仍は、あの日の喧嘩なんか無かったかのように「ありがとうございます。では出かけて参りますね」と笑って見せたのだった。




「でも兄上だって、殴ることないと思わない?」

晋助の前でなければ、姫仍はこんなにも彼の悪口を言う。

「私はちゃんと命令を聞いたのよ?確かに犬一匹殺し損なったし仲間1人失ったけど」
「晋助が怒ったのはそこではなかろう」
「…じゃあ何だって言うの?」

そもそも晋助と姫仍は幼い頃からこんな兄妹だったのか。兄は妹を時に道具の様に扱い、妹はそれを文句ひとつ言わず熟す。しかし兄は時に哀しげな顔をして妹を見つめ、妹は酷く憎しみを込めた瞳で兄を見詰めるのだ。

「あ、万斉君、着いた!」
「ああ、そのようであるな」

姫仍が船を降りてまで訪れたかったのは呉服屋。着物なら晋助がいくらでも買い与えているのだが、彼女は彼が贈るものを身に着けるのを酷く嫌がった。なんでも「派手すぎるから嫌。また子みたいに短い丈は論外」らしい。

「では拙者は仕事をしてくるでござる」
「はーい、じゃあまた後でねっ万斉君」

姫仍は拙者の腕を掴み、背伸びをして拙者の頬に唇を押し付けた。これは彼女が兄に教えてもらった“お礼”であり、それをしなければならないと兄に教え込まれている為、男女関係なく“ありがとう”をこめてキスをするのは彼女にとって日常だった。

姫仍は周りに見られていることにも気付かず、満足そうな顔をして呉服屋に入っていった。

……ちなみに拙者の事を“万斉君”だなんて呼ぶのは姫仍だけの特権であり、本当は寒気がするがそう呼ぶ彼女が可愛いから許しているのはここだけの秘密でござる。





「はぁ?鬼兵隊の女隊員についてぇ?」
「はい、どうしても知りたいんですけど」
「ええっと…来島また子、っつったかな?」
「いえ、その人以外で」
「そんな奴いるのか?知らねぇな」

今まで当たった人は、全員同じ答えを口にした。鬼兵隊に来島以外の女なんていない、みな口を揃えてそう言うのだ。じゃあ俺が見た彼女は、高杉の妹だ言った女は、なんだったのだろうか。

今日はこれ以上あたっても無駄だろう。一度屯所に戻って副長に報告しよう。

「あなたですか」

その言葉が自分に言われている気がして振り返ってみると、そこに立っているのは一人の青年だった。

「あなたですよね。あのひとについて嗅ぎまわっているのは」

この人はあの女について知っている?思わず緊張に体が強張り冷や汗が噴き出る。

「貴方は?」
「その前に、あなたは何故“彼女”を知っている?」

青年は厳しい顔つきでそう言った。

「“彼女”を知っているのは、現在鬼兵隊の隊員であるか、過去に鬼兵隊の隊員であった奴だけです。ちなみにぼくはその後者だけど。見たところあなたからは攘夷志士の臭いがしませんね」

彼のその見透かした様な言葉に心臓が変な音をたてるが、俺はわざとらしくヘラッとした笑みを浮かべる。

「俺ドジした時に鬼兵隊の一員だっていう女の子に助けてもらったんすよ、だからお礼を言いたくて」

俺のその言葉が嘘だということもわかっていただろう彼は、溜息を吐いて真剣な眼差しで俺を見据えた。

「“彼女”を探ることで、死ぬことになっても悔いはないですか?」
「は、?」
「“彼女”は危険なんだよ、敵にまわすとね」

彼のその言葉に疑問は無かった。あの夜の様子だけでも、敵にまわすと厄介であり恐怖の対象であることは十分に伺えた。それでも俺は彼女について調べなければならない。

「なんでもいい、教えてください」

俺のその言葉に、青年は小さく頷き彼女についての情報をくれたのだった。

そして別れる最後に彼は言った、「彼女には攘夷より、穏やかな生活が似合っているはずなんだ」と。


 

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