10/25の日記

09:29
小話その2
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タナトスの話2つめ。
次で終わります。

◇◆◇◆◇◆

昔々、ひとつの約束をねだった。

私が死ぬときは迎えに来てほしいと。あなたの手でこの命を刈り取ってほしいと。

約束の相手はタナトス。
ギリシャ神話に登場する死を司る神様で、私の愛したひとだ。



神々と手を取り合った、あの夢のような日々から半世紀以上の歳月が流れてしまった。
時間の流れは残酷なもので、あの頃艶やかだった私の自慢の黒髪は白くパサパサになってしまったし、顔にだって無数の皺が刻まれた。実際の年より若く見えるとみんなに言われるし、綺麗な年の取り方は出来たと思うけど、今の私は正真正銘80のおばあちゃんだ。
あの頃のような冒険は逆立ちしたって(そもそももう逆立ちなんて出来ない)無理に決まっていて、冒険に出るようなことはもう無いとはいえ、少し寂しい。



幸せな人生だった。
優しい両親の元に生まれて、のびのびと成長した。一生付き合える友達と青春を過ごした。大学へ行って、就職して、夫と出会って結婚して子供を生んで、今は孫に囲まれて暮らしている。

長い人生の比較的初めの方で神様たちと一緒に冒険をするなんて素敵なハプニングもあったけど、それを除けば平和で平穏な、少々退屈なくらいよい一生だった。

平和なことは良いことだと分かってはいる。
でも、あの神々との冒険の日々はちょっと私には刺激が強すぎたみたいで、その後の人生本番がおまけの様に感じられてしまった。
その余暇のような人生の終幕で、私はこのまま平穏に人生が終わってしまうことに怯えていた。

彼は、タナトスは苦痛をもたらす死神だ。今私に近づいている、自宅のベッドの上の静かな死はあの人の管轄ではない。
それでは駄目なのだ。いつかの約束は守られないまま私は消えてしまう。

彼に会えない。


「嫌よ。そんなの」

「お祖母ちゃん、どうしたの?」

ふと口から零れた拒否の言葉に側で本を読んでいた孫娘が顔を上げた。
本のタイトルはアーサー王と円卓の騎士。
あの頃の私と同じ年頃に育った孫娘は、世界中の神話に妙に詳しい祖母の影響を受けて、神話や伝説について良く本を読むようになっていた。

「なんか嫌なことあった?寒いなら窓閉めようか?」

「大丈夫よ。ちょっと昔のことを思い出しただけ。
心配しないで。」

心配そうに尋ねてくる優しい孫に笑って返す。
どうやったら死神に会えるか考えていたなんて言ったら、この子は怒るだろうか。

「昔のね、お祖母ちゃんがあなたくらいの年のときに、好きだった人にもう一度会いたいと思ったの。
それだけよ。」


お願いタナトス。
私を迎えに来て。

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