Present
□待てば海路の日和あり。
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晴天。今日の天気を表すとしたならば、文字通りその二文字だ。アウトドア派の人間ならば、衣食住を差し置いてでも外へ出かけたい陽気である。
そんな中、窓の桟に頬杖をついて、何事にも興味がなさそうに二階から見下ろす陰ひとつ。
つい二か月ほど前から見かけるようになったその人影は、いつも変わりなく、しかし時折物憂げな表情で、雨の日も、風の日も、何の変哲もない道路を見下ろしていた。
いつからかふと、その人影の動いたところを見たいと思った。そんな馬鹿な考えが脳内をよぎったのは恐らく、会社でのストレスと恋人との不仲が原因だろう。言うなれば、八つ当たりだ。
心の片隅では、大人げないなと思いつつ、不言実行。
その日から、無意味で愚かな挑戦が始まった。
一日目。道路の真ん中で、その人影をじっと見つめてみる――反応はない。
二日目。ボードを持って「ばーか」と小学生みたいな文句を掲げてみる――反応はない。
三日目。最近テレビで見るようになった芸人の扮装をして、真似事をしてみる――反応はない。
四日目にはネタが尽きてしまって、いけないこととは思いつつも小石を窓に投げつけてみた――反応はなかった。
まったくもって反応を示さないその人影に、もしかしたら人形ではないか、自分が見た表情の変化はただの影のイタズラなのではないのかと思い始めたときだ。人影が動き、その表情が――、
変わった。
慈愛に満ちた。それでいて少し悲しげな。なにか大きなものを抱えつつ、小さなことに翻弄されているような表情。いったい何が原因かとあたりを見回すと、一人の男がこちらへ歩いてきていた。
誰だ、と眉根を寄せてみても、わかるわけがない。
男は、人影の住む家の前で立ち止まると、躊躇いなくインターホンを押した。
窓へと視線を上げれば、人影はない。
応答なく、扉が開く音がした。
「――今日もきたの?」
驚きに胸が跳ねる。
自分に向けられた言葉ではないとわかっていながら、それでも半分はもしかしたらという期待にも似た憶測に、隠れもせずに扉から現れた人物を見た。
間違いなくそれは、二ヶ月間見続けていた人影の主であった。
「当たり前だろ。暇があればお前の顔を見たいんだよ俺は」
「仕事中ならすぐに追い出すよ」
「残念だな、今日は早めに終わったんだ」
ニヤニヤとした表情が目に見えるような声色で男が言うと、人影の主――少女は呆れたように溜息をついて、扉から身体を少しずらした。それが入室許可の合図なのだろう、男が心なしか弾むようにして入っていく。
そうして、初めて、少女と視線が合った。
そこで自分が何をしていて、何をしてきて、何を見ているのかを思い出し、慌てて隠れようとしたものの、もちろんそれは悪あがきという他表現のしようのない行為だ。
「あ、あの、道に、まよ……」
「待てば海路の日和あり。待ちすぎるのもどうかと思うけどね」
その言葉だけをよこして、少女は扉を閉めた。
まてばかいろのひよりあり。
ことわざだろうか。
とりあえず携帯を鞄から取り出して、意味を調べてみた。
「参ったな……」
まさか恋人と喧嘩したまましばらく連絡がとれていないことを少女が知るわけがない。どういう意味でその言葉を自分に寄越したのかは皆目見当もつかないが、とりあえずはと携帯の電話帳を立ち上げ、恋人の連絡先を開いた。
「暇があればお前の顔が見たい」
と、堂々と言い放った男のようにはいかないと思うけれど、これがもしかしたら自分にとって最初で最後の良い機会なのかもしれない。
恐る恐る、通話ボタンを押した。
3コールで恋人の声。
もうだめかと思った、という相手の声に焦りと安堵を感じ、大きなため息がでた。そして――、
「あ」
安堵して余裕ができたからか、ようやく気が付いた。
――彼女は、自分の存在にちゃんと気が付いていたのだ。
〜〜おわり〜〜
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