Present
□愛しているとは言わないままで。
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『黄金姫』が討たれたことにより、兵士たちはその剣に嘆きと悲しみを込めて戦った。皮肉にもそれが力となり、敵兵を退けることとなった。だがしかし、人々の心には、戦が終わった喜びよりも、『黄金姫』の訃報による悲しみがなによりも勝った。なにが勝利か、なにが守ったか、そんな声が口々に平民から兵士から漏れ出ていた。
やがて、『黄金姫』が代々の王族が眠る地――<眠りの丘>へ向かうときがきた。王都から<眠りの丘>へは馬を飛ばして2日はかかる。姫の柩とともに向かうならば、道々亡骸を守るために休憩を挟み、柩にも気をつけなければならないために、早くとも七日はかかってしまう。
けれど。
けれど、『黄金姫』の眠りを見送らんと、国中の人々が王都から<眠りの丘>までの道に並び立ち、隊列が出発し帰ってくるまでの十四日間、<道>を作り続けた。それは圧巻とも言えるさまで、王の弔慰にきていた周辺諸国の王たちは目を疑いそして――恐怖した。もし、『黄金姫』のみならず、この国を――<『黄金姫』の眠る地>すらも、国民から取り上げようとすれば、いったいどうなってしまうのだろうかと。きっと国民全員が立ち上がり、敵国を滅ぼさんとするに違いない。それほどの人数に相対することのできるほどの兵数を、諸国は有してはいない。もしかすると、他国が仕掛けたことが原因でその周辺の国にも被害が及ぶ可能性だってある。故に、諸外国の王たちは互いに、この国を攻め入ることはせずにいようと協定を結んだ。
「『黄金姫』の加護を受けし国」。以降この国はそう呼ばれることになる。
『黄金姫』が最後にもたらしたのは、平和と、平穏。国民たちは『黄金姫』に報いるために、日々平和への努力を惜しまない。『黄金姫』が何度も望んだ平和を、捧げるために――。
そして歴史上類を見ない悲劇は、<『黄金姫』の奇跡>と名付けられた。
――それから十五年の月日が経った。
城の謁見の間で、玉座の左脇に置かれた椅子に座したまま、スクス・ヒビは憂鬱そうに眼前に立つ二人を見下ろした。二人のうち一人は、王宮付きの占術師であり幼馴染のフィルだ。
「お前が<謁見>するだなんて、珍しいこともあるものだな」
何故だかいつも窓から出入りするフィルは、扉と名のつくものから現れただけで城内を騒然とさせる。故に、正規の手順通りに<王>への謁見を求めたときには、スクスは驚きを隠せなかった。
いったい彼に何があったのだろう。好奇心と期待、心配と不安が心の中でせめぎあいつつも冷静に彼を迎えた。それが数分前のこと。
「今日はね、王にこの子を紹介したくて」
フィルが、この子と呼んだ人間に視線を映す。
肩までの菫色の髪に、伏せられた目の睫毛から垣間見える瞳は黄金。子供故の中性的な顔立ちのせいで、男女どちらかはわからない。服装――フィルの纏うローブと同じもの――から察するに、少年だろう。
(黄金……か)
今は亡き、主を思い出してスクスは大きな溜息を吐いた。
その理由を正確に理解して苦笑したフィルは、少年の背に添えた手のひらで、少年を一歩前へと押し出す。しかしたかが一歩近づいたくらいで、スクスとの距離感は変わりはしない。それでも少年にとっては、まるでその一歩がきっかけだったかのように――実際きっかけだったのだろう――伏せていた目を上げ、真っ直ぐにスクスを見つめた。
「スクス・ヒビ王」
透き通る鈴の音のように、謁見の間に響き渡る。
「どうぞ私と一つ勝負をしてください」
「……勝負?」
美しい音色に思わず耳を澄ましていたスクスは、あまりに不釣り合いで不穏な単語に目を丸くした。
「はい。この剣で、私と勝負してください」
ローブに隠れて見えなかったが、少年の腰元には確かに剣がぶら下がっている。ぶら下がっている、という表現はいささかおかしい気もするが、しかしぶら下がっているという言葉以外どう説明すればいいのかわからない。少年に、服装に、年頃に、全てが剣に不釣合いすぎて。
「意味のない勝負は受けない」
「『黄金姫』の遺志のため、でしょうか?」
ぴくり、とスクスの頬が動いた。それに気がつかなかったのか、玉座から遠いせいで見えなかったのか、少年はなおも続ける。
「貴方が王位についた今でも、玉座に座ることなく、隣に置いた小さな椅子で謁見をするのも、『黄金姫』の遺志なのですか?」
あれから十五年、この国を導いてきたのはスクスだ。しかし、自分は玉座にいるべき人間ではないからと、彼は一向に<玉座>に座りはしない。表向きは<王>として、しかし城内では<『黄金姫』の奇跡>以前から暮らしていた自室で<総隊長>として生活をしている。
「もし貴方が<それ>をかの姫の遺志と呼ぶのなら、どうぞ私と勝負してください」
少年の言っている意味がわからない。
何故自分が、今日初めて会ったばかりの少年と、あの人の存在した世界すら知らないだろう少年と、あの人の想いを巡って勝負しなければならないのか。
眉根を寄せてフィルを見るが、彼は笑顔のまま何も言わない。
(仕方ない……さっさと終わらせるか)
仕事は山ほど残っている。それは、この国の平和を保つための仕事だ。自分でなければならない、今となっては自分以外の誰も担えない仕事。本当ならば、あの人が背負うはずだった。
「ありがとう」
ニコリと笑う少年に、返事もせずに剣を抜く。きらりと光る刀身を見たのは、十年ぶりに近かった。
「さあ、行くぞ」
「どうぞ、いつでも」
「――はっ!」
自信ありげに言い放つものだから、さぞ腕に覚えがあるのだろうと、最初の一撃は様子見だった。それなのに、
「う……っ」
「……なんだ、そのザマは」
たった一撃。様子見の一撃で、少年の剣は飛んでいった。そして勝負を持ちかけた当の本人は、無様に尻餅をついてスクスを涙目で見上げている。
「少年、お前は何がしたかった」
手を差し出せば、予想外だとでも言うように瞠目する少年。
失礼なヤツだな、と呟いて力任せに引っ張る。
今度はスクスが驚いた。力を入れずとも振り回すことができるくらい、少年が軽かったからだ。
(……まさか、な)
頭をよぎった憶測に首を振り、痛そうに尻をさする少年に視線をやる。
「スクス……様、さすが護衛隊長だったことはありますね」
護衛隊長云々を抜きにしても、あの程度の腕ならば、勝敗は目に見えていた。誰かこの少年に、剣の腕前の正当な評価を突きつけてやってはくれないだろうか。
「スクス様。貴方が勝ちました」
鈴の音が、耳を擽る。それは面白そうな響きを有していたのに、スクスには怒りを孕んでいるように聞こえた。きっと、勝つと思っていた勝負に負けてしまったからだろう。
「『黄金姫』の遺志は、<今>になります」
ハッとして少年の、黄金色の瞳を見つめる。その奥に潜む真意は読み取れない。
一連の全てを繋ぐことのできる一つの事実は、スクス以外の誰も知らないことだ。ならば、この少年の言うことは、意味は、思いは、いったい誰から誰へと宛てられたものなのか。
「それでよろしいですか?」
確認するように。
承認するように。
同意するように。
受諾するように。
嘘偽りを、見逃してやるとでも、言うように。
「……わからない」
ぽろりと溢れた声に、スクスは出てしまった言葉を押し戻すかのごとく、強く口元を手で覆った。
「迷っているのですね」
少年の苦笑。
フィルを見れば、真剣な眼差しを少年に向けている。
今まで少年はフィルの弟子だろうと思っていたけれど、もしかして誤りだったのかもしれない。
「スクス様。『黄金姫』の遺志は、貴方の下にあります。けれど覚えていてください。『黄金姫』は貴方にこの国を託したことを。そして貴方はかの姫に生涯の忠誠を誓ったことを」
スクスは静かに拳を握った。
今も鮮やかに蘇る、悲しいシナリス姫の微笑みと、それを覆い隠す血の色を。
どうして引き止めなかったのか。
どうして先に行かなかったのか。
どうして刃を受け止められなかったのか。
どうして守ることができなかったのか。
どうして愛していると告げられなかったのか。
どうしようもない後悔と、どうしようもない浅ましさの螺旋が混じり合って、溶けて、そしてまたぐるぐると回りだす。繰り返し続けて、もう十五年。
「では、もう二度と会うこともないでしょう」
スクスが思考の海から浮上すると、少年はすでにこちらに背を向け、謁見の間を出て行こうとしていた。
「ま……っ」
追いかけたいと思う気持ちに、追いかけたところでという諦めがわずかに勝って、一歩を躊躇した。
「スクス」
ずっと黙っていたフィルが、スクスの脇を通り過ぎる間際、
「ブランカは、もうここにはこない」
ブランカとは、恐らく少年の名前だろう。もうこないのならば、知る必要もないし、覚えておくこともしなくていい。それなのに、
「ブランカ……」
呟いていた。
瞬間、ふわりと咲いた感情に戸惑う。
緩やかな開花は、あのころと同じだ。
「そんな……俺はまだ、あの人を」
続ける言葉はなく、光り輝く床に視線を落とす。
あの人の足元にも及ばない光だけれど、あの人を重ねてしまって。
「貴方は俺を笑っておられるだろうか……。それとも、泣いておられるか……。貴方に生涯の忠誠を誓ったくせに……と……?」
――今度は一瞬の躊躇いもなく、スクスは床を蹴った。