Present

□吹き抜ける風に、ただ別れを。
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 久々に真面目に訓練に参加しようかと思った。――それがいけなかったのかもしれない。
 久々にフォーンに指導してやろうかと思った。――それもいけなかったのかもしれない。
 久々にやる気を出していた。――そもそもそれがいけなかったのだろう。

「やっぱり俺と<やる気>は相性が悪いんだなー」

 うんうん、と一人納得していると、隣でごそごそと動く気配がした。それが何かは最初からわかっているので、大して気にも留めずどうやって<ここ>から出ようかと考える。しかし、

「……どうしてこの状況で、僕を無視できるんでしょうか」

 <気配>の声が、耳元のすぐ近くで響いた。

「うーん、そうだな。お前を無視してるつもりはないんだけど、お前がそう思うならそうなのかもね」

 <気配>の陰すら見えない暗闇の中だからこそ、<愛想笑いが聞こえた>。

「ふふ、貴方は本当に大物ですね」

「俺を庇って敵の前に飛び出したお前ほどじゃないよ」

 城から訓練場までは、一旦城外へ出なければならない。けれど大した距離ではないし、訓練生や教官など多少なりとも腕の立つ人間しか通らないため、どの道よりも安全なはずだった。だからこそ、帯刀せずに城を出たのだけれど。

「甘かったかー」

 なんとも間の悪いことに、恐らく知能指数が低すぎるであろう(低俗な敵でもこの道が危ないことを熟知しているというのに)敵に遭遇してしまった。

「体術でなんとかなると思ったんだけどな」

「相手が<低俗でなければ>勝てたでしょうね」

「まさか落とし穴しかけてるなんて思わないでしょー」

 低俗な敵は、落とし穴をしかけて、そこを誰かが通るのを待ち伏せしていたらしい。
 戦闘態勢に入るために、片足を一歩引いた刹那、身体の軸が定まらなくなった。地面が急になくなったのだ。

「そこに飛びかかってきたヤツと俺の間に咄嗟に入るなんて、大物じゃなければできないよ」

 目の前を灰色が覆ったと思ったら、敵の悲鳴が聞こえ、いつの間にか真っ暗な穴の中に落ち込んでいた。

「僕が大物なら、一緒に穴に落ちたりはしないはずです」

「それもそっかー」 

 あはは、と笑うと、一緒に<気配>は笑う。
 目の前にいるのが<誰>だか気づいていないわけではないだろうに、あえて<それ>を貫き通すその様に、複雑な想いで心が染まる。
 もう知っていることを、とっくに知っているはずだ。彼女が現れ、消え、そして現れたのだから、知っているはずなのに。

「それでもお前は笑うのか」

「なんの話ですか?」

 顔は見えない。<だからこそ見える>。

「いや、なんでもない。……ん?」

 見えもしないのに首を横に振った雑音に混じって、小さな響きが聞こえた。それは、誰かの足音だった。

「フォーンだ……」

 <気配>が呟く。

「これで助けてもらえるなー。よかったよかったー」

 しかし対照的に、<気配>からは緊張感が伝わった。

「駄目だよ」

 と小さく声が聞こえて、

「《育む者よ》」

 途端、地がぐらぐらと揺れ始め、圧倒的な重力が全身に伸し掛った。咄嗟のできごとに「うわ」と叫んでしまい、その分吐き出してしまった酸素に悔やんだ。
 それは刹那のできごとだった。
 気がつくと、穴があったはずの地面に、腰を落ち着けていた。

「魔の力を……使ったのか?」

 日に晒され顕になった<気配>に視線を送る。
 答えは返ってこなかった。

「少しは……頼ったっていいんじゃないの? むしろ頼ってやってよ」

「……彼が」

 返ってこないだろうと思っていたのに、ポツリと、それはまるで降り始めの雨のように、

「心配するのも、胸を痛めるのも、あの人のことだけでいいんです。僕のことなんか気にせずに、あの人を護ることだけ考えていれば」

「……お前は、どうなるの?」

 胃の辺りに、何か妙なものが入り込んだ気がした。

「お前は、それでいいの?」

 自己犠牲なんてくだらない。
 もっと欲張ればいい。もっと叫んで喚いて欲しがればいい。それだけならば、詰りはしても、誰もお前を責めたりはしないだろうに。
 ちょうど目の高さにあった拳が、わずかにピクリと動いた。それは、錯覚と見紛うほどの小さな動きで、きっと常人であれば気づかなかっただろう。だがしかし、<団長>の目は誤魔化せはしない。

「……団長」

「何?」

 見上げれば、そこにいたのは<人あたりのいい彼>だった。

「お怪我がないみたいでよかったです。フォーンが探しに来たみたいだから、僕はもう行きますね」

 微笑みを浮かべながら、ローブを風に乗せる。

「はいはーい、じゃあね〜」

 呆れなのか安堵なのか自嘲なのか、理由のよくわからない笑みを浮かべながらヒラヒラと手を振った。

「……団長」

 風は止まない。

「ごめんなさい」

 凪ぐことはない。

「それから、ありがとう」

 どこまでも吹き抜けていく。
 一度だけ、開いた拳を堅く握りしめて、また開いた。

「無茶は――……」

 言いかけた言葉は、思いにしなかった。

「フォーンによろしくね〜」

 そうしてまたヒラヒラと手を振って、去りゆくはためきを見送った。


End.

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