僕はオトコに生まれたかった。

□僕はシアワセを追いかけられない。
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「お前朝飯食ってきたか?」

「食べたよ」

 余程ギリギリに起きなければ、家から十五分程度の場所が待ち合わせなのに、食べないわけがない。

「メニューは?」

「卵焼き、味噌汁、おにぎり」

 朝ご飯はしっかり摂る派だ。そしてガッツリいく派だ。

「和食か」

「今日はね。君は食べたの?」

「食った」

 じゃあ何故聞いた。

 訝しさを視線に乗せて大和斉を見る。

「ツカミ、みたいなもんだ」

「芸人みたいだな」

「まあとにかく、お前が飯食ったならメインに行くか」

「決まってるの?」

「なーんにも」

 な、ん、に、も?

「君は…………、本当、馬鹿だな」

 こころなしか、頭が痛くなってきた。無計画にもほどがありすぎる。

「まあ気にすんな。とりあえず、デートスポットが載ってる雑誌でも買いに本屋にでも行くか」

「僕は、まさかそこから始められるとは思わなかったよ」

 言うと、大和斉は心底楽しそうに、俺もだ、と笑った。

 そうやって楽しそうに笑うアイツの、大和斉の横顔を見ながら歩くのはどの位ぶりだろう。

 大和斉とアイツのルックスは、似ている部分など一つもないけれど、大和斉が醸し出す雰囲気はアイツのものと同じで、だからこそ僕の胸は痛むし、だからこそ今泣きたいくらいシアワセだ。

 けれど、ショーウインドーに映る自分を見て、その気分はすぐに萎える。

 そこにいるのは、<僕>ではない。

 そこにいるのは、オンナだ。

 それは、僕がアルトという人物でないことを嘆いているのではなくて、ただ大和斉が僕が隣を歩くことを許容しているのは僕がオンナだという前提があるからこそなのではないか、という猜疑心と被虐的思考が僕のシアワセを包みこんで隠すのだ。

 はあ、と溜息をついて、もう一度大和斉の横顔を見上げる。

 大和斉は相変わらず楽しそうに何かを話している。たぶん独り言ではないと思うけれど、僕の耳には入ってこない。

 緊張しているわけではない。今はただ静かに、この空気に浸っていたいから。

「――……おい、お前、人の話聞いてるか?」

 耳のすぐ近くから届いた大和斉の声に、僕は我に返った。

 その声が、その唇が、あまりに近かったものだから、動揺して思わず首を縦に振ってしまう。

「き、聞いてたよ!」

「じゃあ、何の話してたよ」

 言葉に詰まった。

 大和斉が何か話していたのは知っているけど。それが独り言ではなかったことは理解していたけれど。内容ははっきりと思い出せないどころか、聞く気すらなかった。

 でもなんか、ちょくなんとかとか言ってた気がする。

「えー……っと。と、等速直線運動の、話?」

 理科教師だし。

「馬鹿かお前。俺の担当科目は生物だ。んで、誰がデート中に等速直線運動の話なんかするかよ。馬鹿かお前」

 二回も、大和斉に、馬鹿と、言われた。

「き、君に、君に馬鹿って言われたくないよ!」

「おい、そんな本気で怒んな。俺が凹む」

 僕も本気で凹んだ、と言ってみようかと思ったけれど、大和斉の眉が面白いくらいに八の字になっていたから、やめておいた。

「お、着いた。ほら、早く行くぞ。時間なくなっちまう」

「あ、待……っ」

 僕を置いて書店へ駆け込んで行く大和斉の後姿に、既視感を覚え、戸惑いに足を止めた。

 これは、一体、なんだ。

 いや、きっと、僕はこの意味を知っている。

 だからあえて、大和斉が店内に入ってから、止めていた足を動かした。

 音も無く開いた自動ドアの先。ガイドブックコーナーに立つ大和斉を見つめる。

「ここに来たのは、やっぱり、間違いだったのかもしれないね」

 書店へ駆け込む大和斉の後姿を、追いかけたいのに、追いかけられなかったのは、ついさっきまで感じていたはずのシアワセを見失いそうだったからだ。かつて置き去りにされた僕の愛のように、僕の得たばかりのシアワセすら置き去りにされてしまう気がしたからだ。

 追いかけなければ、置き去りにはならない。

 自分の意思で留まれば、置き去りにはならない。

 だから僕は、立ち止まったのだ。

 それは言うまでも無く、僕の現在(いま)を表していた。


   to be continued...
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