僕はオトコに生まれたかった。

□僕はアイを持っていないらしかった。
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 熱はない。

 咳もない。

 眠たくもない。

 体調など、一つも悪くない。

 だから僕が保健室のベッドを占領する権利も、義務も、理由もない。

 強いてもいいのならば、気遣い、もしくは優しさと呼んで欲しい。

 それでも納得できないのならば、僕は言おう。

 精神的ダメージなど、保健室では治らないし、眠ったところで悪夢を見るに違いない。故に、保健室ではなく、応急処置として一番効果的であろうこの場にいるのだ。この場――立ち入り禁止の屋上に。

「だから決して、サボりではない」

 柵にもたれかかりながら、途中で買ったジュースに口をつける。

 『新発売! おいしいよ!』という宣伝文句に魅かれて買ってしまったのだけれど、僕個人の感想を述べさせてもらうのならば、美味しくない。不味いとまではいかないが、おいしいよ! と人に勧められるほど、美味しくはない。

 まさかジュース――この場合自動販売機というべきか、宣伝ポップというべきか――にまで裏切られるとは、思いもしていなかった。

 悪いことは、続くものらしい。

「……僕は馬鹿だ」

 青い空を見上げて、思い出すのは最期に見上げた空だ。

 歪みきった視界に広がる、不確かな形の空。

 あれはきっと、空に形があったのではなく、形があるものから見ていたからそう見えたのだろう。

 けれどあのときの僕の心には、そんなくだらないことを考える隙間などなかった。

 アイツへの失望と、哀しみと、決意と、誓いと、愛と、希望で埋め尽くされていた。

 僕の心には、アイツしかなかった。

 だから、アイツしかなかったから、アイツに<会ってどうするか>、など考えていなかった。いや、考えていなかったわけではない。ただ、期待していたのだ。

 アイツは僕を覚えていてくれる。

 アイツはすぐにわかってくれる。

 アイツは僕を愛してくれる。

 甘かった。

 甘かった。

 甘かった。甘かった。甘かった。甘かった。

「甘かった……」

 アイツがそんなに僕を愛していてくれたならば、オンナと結婚なんてしなかっただろうに。

 都合の悪いことは頭から排除して、都合のいいことで埋め尽くした。

 あんなに会いたかったアイツから、逃げるという矛盾した行動の理由は、きっとそれ。

 これ以上、傷つきたくないのだ。

 それでも、

「それでも」

 それでも、心のどこかで、その傷すらも愛しいと思ってしまっている。

「僕は馬鹿だ」

 やけ酒でもするように、美味しくないジュースをあおる。

 そういえば、僕はお酒を口にしたことがなかった。

 僕が死んだのは二十四のとき。

 当時は十代でも公で酒を口にすることができたが、僕は一滴も口にしたことはなかった。

 飲まないのではなく、飲めないのだ。

「ふざけた時代だったな……」

 貴族という階級、社交界なんてものがある時代。

 思い出すのも嫌だが、僕とアイツは結構イイトコの生まれだった。そのせいで、男同士の恋愛はより受け入れられなかった。

 そういう嗜好を公言しているお偉い様もいたが、それはお偉い様であるからこそ許されることであったし、当のお偉い様もそれはただの嗜好であって<恋愛>ではないとかいう、ふざけたことをぬかし――仰っていたから、結局タブーはタブーのままだった。
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