僕はオトコに生まれたかった。
□僕はコウカイなんてしていない。
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何故僕は、あんなにもあんなにも会いたかったアイツに出会うことができたのに、跳び蹴りをくらわせた上に名前すら聞くことができなかったのか。
そんなに覚えてくれていないことがショックだったのか。
ショックだった。
きっと自分が自覚しているよりも、ずっとショックを受けているのだと思う。
学校の始業ベルが鳴り、朝のホームルームが始まったことにすら、気がついていなかったのだから。
「――と」
後悔で不貞寝を決め込んでいた僕の上から、担任の声が聞こえる。
「――ざと!」
五月蠅い。
「新里!」
五月蠅いよ。
僕のことなんか放っておいてくれ。
僕が寝ていようがどうしようが、僕が教師でない限り、授業に支障など出ないはずだ。
とびぬけて成績がいいわけでもない、模範解答だって示すこともできない、精神的ダメージをくらっている生徒を起こさないでくれ。学校に来ただけ褒めてもらいたいくらいなのに。
「に! い! ざ! と!」
「――ッ、なんです……って近ッ!」
あまりのしつこさに顔を上げれば、至近距離に担任の顔があった。
「新里、何度呼んだら起きるんだ」
「何度呼びましたか?」
「五回」
「じゃあ五回で起きるんですよ」
ふぁあ、とあくびをしつつ何の気なく視線を黒板に向ける。
大きく、心臓が、跳ねた。
「新里のせいで紹介が遅れちゃったじゃないかー」
僕に背を向ける担任が、<彼>に近づく。黒板の前に立つ、ジャージ姿の、<彼>に。
僕は、<彼>が何故、ジャージ姿なのかを、知っている。
「えー、では。改めて紹介します。明日っから育児休暇をもらう俺の代わりに、このクラスの担任代理をしてくださる、大和斉先生だ」
だいわ、いつき。
それは、朝、僕が水溜りの中に蹴り落とした男の名だった。
「……できすぎだ。こんなの」
新しい教師の登場にざわつく教室の中、僕の呟きは雑音にまぎれて消える。
大和斉と紹介された男は、教卓に手をついて僕たち生徒を見回した。
「大和斉です。ヤマト、じゃなくてダイワです。皆さん、新入りと仲良くしてください」
ちらり、と僕を見た気がした。
「それと、初対面でいきなり、鳩尾を蹴りつけたりしないでください」
気のせいではなかった。
あのオトコは僕がこの教室にいると知った上で、そんな通常ではあり得ないことを自己紹介に用いたのだ。
コイツ。
「えー何それセンセー!」
一人の女子生徒が笑い声を上げて、発言のおかしさを指摘する。それにつられるように、周りの生徒も笑いだした。
「ねえ、センセー、彼女いますかー?」
空気が和んだ瞬間、お決まりの質問を繰り出すクラスメイト達。
「いくつですかー?」
「食べ物は何が好きですかー?」
「なんでジャージなんですかー?」
恋人の有無、年齢、ジャージの理由なら、僕は確信を持ってアイツの代わりに答えられる。
その証拠に、アイツは僕を見ている。
一番前の窓際に座っているにもかかわらず、横目で僕を見ている。
僕は目をそらして、窓の外の電線にとまっている、鳥の数を数えることにした。
アイツの声が、飛んだ質問の答えを形作って、耳に届く。
「彼女は、いません」
きゃー、という数人の女生徒の声が、右耳から。
ああ、アイツは、モテる男の部類なのか。
「歳は、二十六です。好きな食べ物は」
チーズ。