ミカン箱

□悪童話、マッ××売りの青年
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 その日もボクは、帰らないご主人さまを待っておうちの掃除をしていました。
「はぁ、いつになったら、帰ってくるのかな」
 ご主人さまは、それはもう優しくて、捨てられていたボクを拾って名前と心を与えてくれた大魔法使いさまです。
 つい数ヶ月前、ちょっと呼ばれたからと、ボクを置いてお仕事に出て行ったきり、まるで帰ってくる気配がありません。
 それでもボクは、今日もおうちの掃除を完璧にこなし、いつでもご主人さまが帰ってきても良いように、揺り椅子をみがきこむのです。
「ふぅ、こんなものかな」
 ピカピカに磨き上げた椅子を見つめていると、この上に座って、ボクをヒザの上へ招こうとするご主人さまの姿が一瞬見えたような気がしました。
「!!!」
 いけないいけない。こういう時は「魔」が入り込むと言っていたではないですか。心のスキマに付け込んで、悪い妄想が支配してしまうと言ったご主人さまは――今は居ないのですけど。
 ギュッと雑巾を握り締め、鼻をすすります。
 猫は孤独でなれ合いをしない生き物だと言う人が居ますが、ボクはまだ未熟なせいか、寂しくて寂しくて仕方ありません。
「早く帰ってこないかな」
 そんな泣き言を言っている時でした。ボクの大きな耳は、玄関の扉が優しく叩かれる音を捕らえてピクッと動いたのです。
 もしかして、ご主人さま!?
「はいはいはいっ、今あけます!!」
 涙を吸いすぎて、ヨレヨレによじれた雑巾を投げ捨てて、ボクは一目散に扉へと突進しました。ああ、ああ、やっと帰ってきて下さったんですね。
「ご主人さま――」
 ガチャリとカギを開けたボクは、一瞬のうちに冷水を浴びせられたかのように固まってしまいました。
 なぜなら、そこに居たのは優しくて綺麗なご主人さまではなく、大柄で目つきの怖い、緑のフードをかぶったお兄さんだったからです。
「あん? 猫……?」
 怖くて固まっているボクの前で、お兄さんはフードを脱ぎました。するとその中から鮮やかなオレンジ色の髪が現れました。
 お兄さんは、ガッ! と、足を扉にかけ、閉められなくしてしまいます。
「まぁいい、猫」
「は、はいい!?」
 思わずビクリと立ってしまう尻尾をなんとか隠すのですが、そんなことは気にも止めずに、お兄さんは下げていたカゴの中から何か小さな箱のようなものを取り出しました。
「マッチ買わないか? マッチ」
「……へ?」
 ボッと小さく音を立てて燃えるのは、確かに火をつけるマッチですが…… はっ! これがウワサに聞く「押し売り」でしょうか!?
「買え」
「けけけ結構です! マッチ売りだかマッチョ売りだか知りませんが、お引取りください!!」
 留守を預かる身として、精一杯追い返そうとするのですが、押し売りのお兄さんは余裕と言った感じで片足で扉を押さえています。とてもではありませんが、お引取りは願えなさそうです。
 さらにお兄さんは、とんでもないコトをぬかします。
「なら買わない詫びとして一晩泊めろ。邪魔するぞ」
「ぎにゃああああ!! 結構です結構です!!」
 押し留めようとするのですが、ズカズカと入り込まれてはボクには止めようがありません。そしてあろうことか、ご主人さまの揺り椅子にドッカと腰を降ろし、暖炉にあたり始めたではありませんか!
「そこはご主人さまの場所です! なんで勝手に座ってるんですか!」
 ふああ……とアクビをしたお兄さんは、眠たそうな目でボクを見つめてきます。その目はよく晴れた日の美しい海のようで、一瞬だけキレイだと思ってしまいました。チロチロと踊る炎を反射して、ふしぎにきらめいています。
「お前、使い魔か」
「……それが何か」
 武装のために取り出したホウキを胸の前で構えて、警戒しながら聞き返します。
 使い魔というのは、魔法使いや魔女が、身の回りの世話をさせるために、コウモリやヘビや猫などに、知識と人に変化するチカラを与える手だてで、世間一般には便利な魔法だと思われているようです。
 普通のヒトとは違い、親族や恋人がいないせいか、人さらいにさらわれて奴隷にされてしまったという話もよく聞きます。きっとこのお兄さんもそうに違いありません!
「ボクをさらおうとしたってムダですよ! ご主人さまがとびっきりの護符を残していってくれたんですから」
「これのことか?」
「にゃっ!?」
 お兄さんが気だるげに取り出した鈴の首飾りが、チリンと可愛らしい音をたてます。
「い、いつのま……」
「取るもなにも、最初っからこのテーブルの上に置いてあったが」
「にィ……」
 しまったぁ! お掃除で汚しちゃいけないからと、外して置いといたんだった!
「う、う、ご主人さまにいつも外しちゃいけないって言われてたのに……」
 もうダメです。きっと今にも袋につめられて奴隷市場へと出荷されてしまうのでしょう。
 ところがお兄さんは、興味深げに護符を見つめると、関心したようにこう呟きました。
「見事な護符だ。お前のご主人様は相当な魔法使いだったんだな」
「そ、それはもちろん! ご主人さまは世界一優しくて、世界一カッコいい魔法使いなんですっ」
 召使いだからといって虐げることは決してせず、ずっと独りで生きてきたボクに、あふれるほどの愛情をそそいでくれた、大切な人。
 そんなボクの熱弁を、ふぅんと話半分に聞き流していたお兄さんは、今までとは少し違った感じでこう聞いてきました。
「今はどこに居るんだ?」
「それは……」
 言いつまるボクの様子で察したのか、お兄さんはまた意地悪そうに笑いました。
「捨てられたな」
「違いますっ。ご主人さまはそんな事をするような人じゃありません! 絶対!」
「殊勝なことだ」
 フフンと鼻で笑いとばし、鈴の首飾りを投げ返してくれるのですが、その表情は完全にこちらをバカにしているようでした。
「まぁいい。お前のご主人さまに興味が湧いた。特徴を教えてくれ」
「……あなたがご主人さまに何の用があるって言うんですか」
 ムッツリしながらそう聞くと、お兄さんはさきほどのマッチを入れたカゴとはまた別に、背のうから何やらキラキラと光る水晶玉を取り出しました。
「オレの表向きの仕事は生活用品を売る行商人だが、本当の職はこういった曰く付きの物を取り扱う魔具商人でな」
「まぐしょうにん」
「これだけ良い護符を作る魔法使いならば、これからオレの取引先としてコネを作っておいて損はない。しかし行き先をしらないのなら仕方ない……自力で探すさ」
 段々と言葉尻が小さくなっていくお兄さんは、気づくと揺り椅子に揺られ静かな寝息を立てていました。
「…………」
 とうとう追い出すタイミングを見失ってしまったボクは、テーブルの傍らのイスに腰掛けてぼんやりと暖炉の火を見つめました。
 ご主人様は、自分が一月戻らなければ自由の身として好きなところへ行けば良いと言っていました。今の今まで、そんなことを言われたのを忘れていたのですが、捨てられたと言う言葉を聞いて唐突に思い出したのです。
 ――行き先をしらないのなら自力で探すさ。
 さきほどのお兄さんの言葉がぐるぐると頭の中を回ります。
「みゃあ」
 力なく一つ鳴いて、ボクはとりあえず今日は寝てしまおうと2階の寝室へ行こうとしました。ですがふと思い立ち、かけ布団を取ってきて、暖炉の前で眠り込む魔具商人さんにかけてあげました。
「おやすみなさい。壁の戸棚には触らないで下さいね」


 翌朝、ボクは目を覚ますと、一瞬昨日の事は全部夢だったんじゃないかと期待しました。ですが1階に降りると、火の消えた暖炉の前に、うつらうつらと船をこいでいるオレンジ頭が見えたので、一つため息をついてからキッチンへと向かいました。

「ふああ……なかなか熟睡できた」
「そうですか。それは良かったですね」
 できるだけ無愛想にそう言って、ボクは焼いたベーコンとトーストを2人前、テーブルの上に手早く並べました。
「お、なかなか気がきく使い魔だな」
「顔くらい洗ってきたらどうですか」
 すかさず食べようとする魔具商人さんの手をひっぱたいて、洗面所へのドアを指さします。彼はブツクサ言いながらもそちらへ向かいました。
 なんとも奇妙な朝食を食べながら、魔具商人さんはボクにこんなことを言いました。
「さて使い魔。一宿一飯のお礼をしないとな。何か望みはあるか?」
「…………」
「なんだよその眼は。こう見えてもオレ様は受けた恩はキチンと返す礼儀正しい性格なんだぞ」
「礼儀正しい人が、夜中に突然押し掛けてきたりしますかね」
 符に落ちないところはありましが、ボクはバターを塗ったパンを置いて、座り方をなおしました。
「魔具商人さん、昨日あなたはご主人様を探すと言いましたよね」
「まぁな、道すがら探すつもりではあるが」
「ならばボクも一緒に連れていって下さい」
 意を決して言ったのに、魔具商人さんはこちらに視線を向けたまま、もぐもぐとパンを食べることを止めません。
「ぼ、ボクは真剣なんですよぉ〜!!」
「いやぁ、無理だろ」
「へ?」
 あまりにもアッサリと言われ、思わずマヌケな声が出てしまいます。彼はパンの残りをひょいと口に放り込むと、腕を伸ばしてひょいとボクの頭をつかみました。
「……あの、何か?」
「お前今3回は死んだぞ」
「にゃっ!?」
 ど、どういうことでしょう?
 唖然とするボクは、顔のすぐ側で光るナイフに気がつきました。先ほどパンを切るために使った、机の上に置いていたはずの物です。
「いつの間に……」
「要は、決定的に警戒心が足りないんだよ。まぁそれを言うなら昨晩確かめもせずに家のドアを開けた時点で相当だったが」
 ナイフを上に投げた魔具商人さんは、上手くキャッチすると素早く投げました。ヒュッと音を立てるそれは、ボクの髪の毛を数本かすめ、後ろにあった壁へと突き刺さります。
「オレだってそこまで強いわけじゃない、お前みたいなお荷物抱えて旅ができるほど自分の力を過信しちゃいねーんだよ。悪いな、あきらめな」
「……いです」
 これは賭けかもしれない。御主人さまは明日にでも帰ってくるかもしれない。でも――
 ぎゅっと唇を噛みしめ、まっすぐに彼の青い瞳を見つめます。
「それでも良いです! 守ってくれなくて良いから……」
 ボクの中の野生のカンが告げていた。今探しにいかなければ、御主人さまには二度と会えないと。
 確信にも似た気持ちは、気づけば口から漏れていた。
「ボクを連れてって下さい」


 永遠にも感じられる時間が過ぎた頃(少なくともボクのミルクは冷めてしまった)彼はあっけなくこう言った。
「ま、良いか」
「本当ですか!?」
「小間使いができるっつーのは、オレにとっても悪い話じゃねーからな。それに」
「それに?」
「……うん、まぁ、気にすんな」
「なっ、何ですかそれは!」
 妙に気になる事はあったけど、それでもボクの機嫌は良かった。待つだけじゃない、これからは自分の足で探しにいけるんだ!
「昼にはここを発つ、悔いがないように支度しな。自作ポエムの処分とか」
「そっ、んなもの、あ、ありませ……」
「なんだ、本当にあるのか」
「あああアレはポエムじゃなくて、ご主人様に頼まれた自作呪文の延長っていうかっ」
 ホントにこの人、昨日の夜寝てたのかな。実は家捜ししてたとかだったらどうしよう。
 若干の不安を残しつつ、ボクは旅支度をするために朝食の残りをかき込んだのだった。


「うし、じゃあ行くか」
「はい……」
 お昼を軽く済ませてから、ボクたちは出発することにした。
 思い出深い家を見上げ、ちょっぴり鼻の奥がツーンとしてしまう。
(御主人さま、ボクは絶対絶対、あなたに会うまで諦めません!)
 そう思いながらドアにカギをかける。やや大げさな音をたて、魔法使いの家は完全に無人になった。
「いきましょう!」
「泣いても良いんだぜ」
「泣いてません!」
「ならこっち向いてみろよ、なぁ、なぁ」
 後ろから楽しそうにつついてくる彼――あ、そういえば
 袖で乱暴に顔をこすり、振り返る。
「お名前をまだ聞いてませんでした」
「オレ? マオ」
「マオさん。ボクは――」
「クロだろ?」
「にっ!?」
 ズバリあてられ、尻尾が立ち上がる。
「まままマオさん、実はエスパーなのでは……」
「護符に込められた意味くらい、オレなら朝飯前に読み解けるんだよ」
 慌てて返してもらった鈴に手をやる。ちりりと鳴るそれは懐かしい音。
「しかし黒猫のクロとは安易な名前……」
「ほっといて下さい! ご主人様からの大事なプレゼントなんですからっ」
「魔法使いってのはどいつもネーミングセンスが無いな、なんならオレが付けなおしてやろうか? ドドリゲス」
「マオさんも大概じゃないですかー!」
 こうしてボクの旅は、にぎやかに始まったのです。

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