進撃の巨人
□Remedy
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――それは酷く雨が降る日の出来事だった。
エレン・イェーガーは思わず溜め息をついた。
リヴァイ率いる特別作戦班に身柄を引き渡されたエレンは毎日地下室で眠っていた。
ここ最近は監視されるのが日課で、正直、エレンの本能は疲れつつあった。
だからほんの出来心で脱走とまではいかないが、外への逃亡をはかった――ところ、思いの外、あっさりと外へ出れてしまい、エレンは戸惑っていた。
昼間なら勝手に外への出入りは許されない。でも夜はそれなりに警戒しつつも、昼間よりは見張る人数が少ない。
だから出るならその時だと思っていた。そして今夜、ついに作戦を決行した。そこまでは良かったのだが、こうも簡単に作戦成功してしまうと今度は罪悪感のようなものが心の奥底からわいてきて、溜め息へと変わる。
エレンは再び溜め息をつくと、雄々しく立っている木の根元へと腰をおろした。
「勝手に出たら叱られるよな。いや、バレないうち帰ったら……。ムリか。雨降ってるし、濡れて帰ったら証拠が残るよな」
雨の水滴が地下室まで続けば明らかに気付かれる。
地下室で着替えたあと雑巾で雨の水滴をすべて拭き取る工作をするにしても、すべてを拭き取る前に気付かれる可能性がある。
そもそも、こんな暗い時間にあの潔癖症のリヴァイを騙せるほどの掃除など出来っこない。
朝方に大怒りを買うのがオチだ。
「……出なきゃ良かったな」
「どこに?」
「どこって、外にだろ」
「外? 貴方、外が嫌いなの?」
「嫌いじゃないけど、勝手に出たら――」
そこまで言って、エレンははっとした。
エレンはここまで一人できたはず。だから誰かと話をするという状態はあり得ない。
恐る恐るエレンが顔を上げると、そこには軍服に身を包んだ女が立っていた。
「まさか、……憲兵団!」
エレンが大きな声を上げると、女は「失敬な」と眉間に皺を寄せる。
「私をあの腰抜けたちと一緒にしないで。私は泣く子も黙る調査兵団よ」
「……何ですか、その謳い文句」
「なによー、その顔! 新人のくせに生意気よ、もっと先輩を敬え」
「しかも先輩って……」
「何か文句ある? あるなら削ぐよ?」
「……削ぐって」
リヴァイ兵長かよ。そう言いそうになった口をエレンは止めて、女へと一つの質問を投げかける。
「こんなところで何してるんですか?」
「え、ダメなの? 私が見回りしてたら不快なの? 文句ある?」
「いや、誰もそんなこと言ってないですけど」
ちょっと面倒臭い人に会ってしまった。
エレンは女に気付かれないように溜め息を吐き出そうとしたが、その前に唇へと女の指が触れた。
雨で冷えているのであろう女の指は冷たくて、エレンの溜め息も止まる。
「すげぇ冷たいけど、いつから外にいるんですか? 今日朝から雨降ってたけど、まさかずっと外にいたんですか?」
「そんなわけないでしょ。室内にもいたわよ、失敬な。ただ昼間から今までは外にいたけどね」
「アンタ、馬鹿ですか? 風邪、ひきますよ」
「貴方ね! 先輩に向けて馬鹿って何よ、馬鹿って」
いや、馬鹿に馬鹿以外の言葉はないだろ。
エレンはそう思いつつも立ち上がった。
「どこ行くの?」
「帰ります。まだ帰ってからもやることあるんで。アンタも基地に帰った方がいいですよ」
「私はまだかえらないわよ。この世の平和のために頑張るんだから」
「頑張るのはいいけど、風邪をひいたら元も子もないっていうか……」
「なに? 貴方は平和を望まないの?」
「いや、望みますよ。だからこそ俺たちは巨人と戦う。平和のために」
格好よく決めた言葉。しかしそれは叶わず、エレンの語尾に「あ……」という間抜けな声が加わる。
女は「どうしたの?」とエレンの側へと寄る。
「俺、どっちから来たっけ? てか、暗くて方向が分からないし」
誤算だった。こんな雨降りでは月も星もわずかにしか見えてなくて、正直、どちらを向いて帰ればいいのか分からない。
エレンは今日一番の溜め息をついた。
勝手に出た上に帰り道が分からなくなって、朝帰りになりましたなんて言えない。口がさけても言えない。
そんなことを口にすればリヴァイに殴られる――だけではすまないだろう。
「送ってあげようか?」
「え?」
「旧調査兵団本部でしょ?」
「……何で知ってるんですか?」
「だって、この辺りの建物ってそれしかないし」
「ほら、手」と女は語尾に付け足すと、エレンの手を握って歩き出した。