彩加のひとしずく(更新中)

□壱
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◇◆◇



「お前だけの麗しの貴婦人を探し出せ!」


 突然鼓膜に飛び込んできた厳しい一喝に、ナツは夢の世界から引きずり戻された。大声こそ出さなかったが、シートから何センチか浮いた気がする。

 まだ寝ぼけている頭で周囲を見回すと、いつの間にか観客席は全て埋まっていた。薄暗い観客席と対比して、眩しい程の照明がステージを照らしている。

 一瞬なぜ自分がこんな所にいるのかわからなかったが、すぐに冴えた頭で眠る前のことを思い出す。予想外の目覚めだったが、幸い舞台はまだ序盤のようだった。

 玉座の前に立つ老人に杖で打ち据えられ、一人の青年が地に伏している。その豪奢な身なりから彼の立場が推し量れるが、震える体は見ているだけで痛々しい。

 苦しげな息を吐きながら、王子がようやく顔を上げる。その横顔はここ最近ですっかり見慣れた男のもので、ナツの顎が外れかけた。

「グレ……ッ!?」

 思わず上ずった声が出かけるが、隣の立派な体躯をした女性に睨まれ口を塞ぐ。

 油断するとなにやら意味のない言葉が出そうだったので、手で口を押えたままナツは混乱を極めた。

(おまえそっちかよ! 掃除とか裏方じゃねえのか!?)

 まさかの主役。受付をしてくれた女性のしたり顔が見えた気がして、ナツはぶんぶんと首を振る。また隣から鋭い視線が突き刺さったのですぐに大人しくなったが。

 落ち着け。落ち着け。ここで目立てばグレイに観ていることがバレかねない。それでどうこうはしないだろうが、真剣な彼の横顔を邪魔するのは憚れた。

 父王に折檻を受けた王子は、毅然とした態度で濃紺の外套を翻し舞台の袖へと消えていった。

――父王から命を受けた王子は、一人の従者と共に麗しの貴婦人を探す旅に出ました――

 語り部の朗々とした声が響き、それに合わせて場面が切り替わる。

 噂を頼りに広大な地を駆け、まず彼が出会ったのは塔の上に閉じ込められた少女だった。豊かな黄金の髪が美しい彼女は、突然訪れた王子の高貴さに膝をついて項垂れる。

「貴女は、おのれの美しさをなんだと思う」

「わたくしの美しさは、この塔の神秘性そのものでございます。誰もわたくしの髪以外を知らない、誰もわたくしの人となりを知らない。謎が存在感を持つように、神秘性は女を美しく見せるものです。塔から髪だけを垂らす様が美しいのに、あなた様はご自分の力で登りつめてしまわれた」

 少女の言葉に、王子は少しの間考え込んだ。

 だがやがて憂い気な眼差しを、顔すら上げない彼女から逸らす。

「時間をとらせた。貴女は僕だけの貴婦人ではないようだ」


 塔を去った王子は、次に水底の魔女を砂浜に喚び出した。

 魔女は噂通り、黒い鱗を持つ艶めかしい美女だった。多くの知を持つ彼女ならばと期待し、王子は再び同じ問いを投げかける。

 急に引き摺り出されたものの、王子の美貌に上機嫌になった魔女は妖しく微笑んで答えた。

「そりゃあ、やっぱり身を捧げることさ。愛する男のために声を失った姫が美しいように、献身と犠牲は殊の外美しい」

 それは貴女の美しさなのか。重ねて問われた魔女は、不遜に片目を眇めてみせた。

「馬鹿言っちゃあいけない。アタシ程他人の不幸に身を捧げている魔女が、他にいるもんかい」

 王子は塔の少女にそうしたように、魔女からも視線を逸らした。


 王子にはわからなかった。生まれてからこれまで女の美しさがわからなかった。それが父王からの命に関係しているのだとは、薄々理解してはいた。

 



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