彩加のひとしずく(更新中)

□壱
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「エルザもいねーし、今日こそ逃がさねーぞ」

「いつも逃げてねぇだろ、断ってんだ」

「うるせえ、いいから一回オレとやんぞ!」

「ナニを?」

黒い瞳がすうと細まり、薄い唇がほんの僅かに上がった。その声に孕んだ痺れを感じて、ナツは思わず言葉に詰まる。

 目の前にいる同い年の男が、やけに大人びて見えた。

 唐突に見せられた色に呆けていると、グレイは鼻を鳴らして歩き出してしまった。その背中が校門から離れた後で我に返り、すぐに追いかけようとして思い留まる。

 これはチャンスではないのか? 自分の奥まった部分を一切見せようとしない、彼の本当の姿を見るための。

 気になったら突き詰める。その気になったらすぐに実行する。

 単純明快な自分ルールを思い出し、ナツはにひりと笑った。

 追跡、開始。





 何度かひやりとすることもあったが、グレイは尾行者に気づかず商店街の喧噪を抜けてある建物の前で立ち止まった。

 彫刻がなされた白い外壁から品が感じられ、敷き詰められた赤茶のレンガが靴底を心地よく打ち返す。玄関アプローチに噴水まであるのを見て、一瞬で自分が場違いな場所に来てしまったと気づく。

 だがそれで怯むような神経はしていない。

 グレイは当然のように鞄から鍵を取り出して、その重厚なドアを押し開く。ちょっとした豪邸の中に消えたグレイを確認し、こそこそとナツもドアの前に立った。

 玄関のアーチはガラス素材でできているらしく、氷の結晶と薔薇が模されている。そのアーチに掲げられた長い英文字に、ナツの眉間にシワが寄った。英語2の理解力をなめるな。

「ざ、ザ、ア、……カンパニー? アイス?」

 だめだ、アイスとカンパニーしか読めない。しかもカンパニーの方はうっすらとしか覚えていない。外観から会社ではないような気がするが、それ以外の意味などさっぱりだ。

 さすがに雰囲気から個人住宅ではないだろうが、今まであまり縁のなかったタイプの建物にどうしたものかと腕を組む。

 強行突破するか、今日はこれで良しとして帰るか。二択が頭に浮かんだが後者はすぐに却下した。だって気になる。

 そうこうしているうちに、街は宵の蒼さに包まれていた。目の前で急に豪邸がライトアップされ、思わず状況も忘れて見惚れる。

 これは確実になにかの店だ。

「ならいーか」

 特に抵抗もなく伸ばした手が触れる前に、ドアは自ずと開かれた。急に飛び込んできた華やかな光に、目が眩んで薄目になる。

 高級ホテルのようなエントランスを背後に、ナツを迎え入れた女性はにこやかに笑った。

「ようこそ、今夜一番のお客様。開演までまだ時間があるから中で待ってな」

 スレンダーな黒髪の美女の瞳は、どこかグレイと似ていた。





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