彩加のひとしずく(更新中)
□壱
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吹き抜ける風の涼しさに夏の終わりを感じる。明かりの消えた劇場の前で、ナツはずっと彼の人が出てくるのを待っていた。
閉館時間から随分時間が経っているのに、一向に役者が出てこない。時間を確認すると夜の十時を回っており、高校生には少々遅い時間だ。
暇つぶしに劇場前を通る車を数え始め、十五台目が音を立てて過ぎて行った時。ようやく一人目の役者が劇場の裏の方から出てきた。彼はまっすぐにナツの方を目指して歩いてくる。
夜闇の中でも浮き上がる銀髪に、きりりと吊り上った鋭い炯眼。全体的に色素の薄い美丈夫は、従者役だった青年だ。随分雰囲気の違う彼は、氷つくような眼差しでナツを一瞥した。
「閉館時間はとうの昔に過ぎていますが、どうなさいましたか」
慇懃な敬語からナツを追い出そうとする意思を感じる。彼がグレイの唇に触れた光景が脳裏に浮かび、ナツの頭に血が上る。
だが珍しく総動員した理性が、ナツをぐっと押しとどめた。あれは劇の中の話だ、うまく観客席からはキスしているように見えたが、ああいうのはフリだけだという話を聞いたこともある。
なにより、役の特性上グレイが王女役をやることになったのだろうが、彼らは男同士だ。抵抗だってあるに決まっている。
「グレイが来んのをまってたんだよ」
唸りそうになりながらも、なんとか平静に返すことができた。
青年はナツの制服を一瞥して、ふんと小さく鼻を鳴らした。さっきから思っていたが、従者のやわらかな物腰と本来の性格が離れすぎていないか。
「他の役者や裏方はもう帰った。常識的に考えて、こんな時間に出待ちをする一般客に会わせる訳がないだろうが」
もしや、役者用の裏口でもあったのか。グレイが表口から入っていたので、その可能性をすっかり失念していた。
最早敵意を隠しもしないナツに、青年はさらに冷たい視線で言い募った。
「奴は演技中に誰かを気にしている節があった。徹頭徹尾役に入り込む奴が珍しいとは思っていたが……貴様が表にいることを知っていながらここにはいない。それが答えだろう」
「なんでてめぇにんなことがわかんだよ」
「鍵締めのオレに、貴様のことを知らせたのは奴だ。危険性はないが相手にする必要はないとな」
グレイはナツが待っているのを知っていたのか。演技中に観ているのを気づかれたとは思っていたが、その上で無視をされたのなら少し堪える。
それでもこの青年の前で、大人しく踵を返したくはない。
退く様子の無いナツに、青年は鋭く目を眇めた。こちらが向ける以上の敵意が突き刺さってきて、気圧されぬよう睨み返す。
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