彩加のひとしずく(更新中)

□壱
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 一旦暗くなった舞台に、ナツはようやく詰めていた息を吐き出した。

 普段劇など見ないくせに、らしくもなく見入ってしまった。

 冒険譚かと思ってしまうほど様々な困難に立ち向かう王子と従者の二人を見ていると、それがグレイ演じる役だということを忘れそうになる。

 時折胸が突かれそうな表情を浮かべるグレイを見ていると、あの教室での凪いだ様子が嘘のようだった。高鳴る心臓を制服の上から押さえ、ナツは光の戻った舞台へ視線を戻す。

 いよいよ、物語はクライマックスへと向かっていた。



 王子の帰還を祝う宴の準備が進められる中、謁見の間で父王が我が子との対面をいかまと待ちわびていた。

 そして見張り兵の声の後に現れたのは、美しいドレスを身に纏い、艶やかな長い髪を揺らす王子の姿だった。

 観客のかすかなざわめきは、王子が顔を上げたことですっと静けさを取り戻す。

 目元の凛々しい精悍な王子が、雰囲気はそのままに瑞々しい美女となって父王を見つめていた。緊張に引き結ばれた唇が、そっと開かれる。

「ただ今帰還いたしました、長らく城を空けましたことをお詫びいたします」

「謝辞は良い。それよりもお前の答えを聞かせてもらおうか」

 父王の問いに、王子はしばし瞑目した。やがて開かれた双眸は、青い輝きを秘めている。

「どんな美貌も、どんな知恵も、私の胸に響くものはありませんでした。私には女の美しさがわからない、それはこの先もそうでありましょう」

「では、なぜその姿を」

「……美しいと、言われたからです」

 王子は――、王女は自分の後ろに視線を向けた。そこには重厚なドアの目の前で跪いている銀髪の従者がおり、王も彼を一瞥する。

「どんな美しさにも焦がれなかった私に、彼は言いました。本当の女の美しさは、想う殿方のために美しくあろうとするその姿なのだと。……なれば、私は変わりましょう。この姿こそが、“私だけの麗しの貴婦人”です」

「それは、あの従者のためにか」

「それ以外に、私は私の美しさを見出せませんでした。大勢に媚びる美ならば私はいらない」

 毅然とした王女の宣言に、謁見の間は静けさに包まれた。


 その後王が従者になにやら問いかけていたが、ナツの頭上でその言葉は流れていく。人よりも良く見える目が、光を浴びるグレイの横顔を食い入るように見つめる。

 緊張からかうっすらと首筋に光る汗。きつく結ばれた口端から伺える意志は、彼女が“美しい”と称した男の強さに似ている。

 彼女はきっと憧れていたのだ。女である己の身を厭い、従者のような男の美しさに焦がれた。強く、硬く、女を守ろうとするその性を手に入れたかったのだ。

 女でありながら、男であった王女。愛する者のために貴婦人であろうと決意した彼女の美しさは、確かに並の女のそれではなかった。

 男のグレイだからこそ出せる、女の美しさ。そのまつ毛が影を落とす頬を見つめ、ナツは自分の胸元を握る。

 心臓が痛い。


 ナツの目の前で、銀髪の従者がグレイの手を取る。

 彼がほほ笑みグレイの手袋をはずし、その素肌に唇を寄せるのを見て悲鳴を上げそうになった。

 彼女に、彼に触るな。自分の知らない顔をしたその唇に触れるな。

「貴女は昔からずっと美しかったですよ。初めてお傍に侍った日から、私だけの麗しの貴婦人だ」

 湧く拍手が耳に障る。

 舞台の上から、ちらりと視線を感じた。

 深い黒瞳の奥で、青い光が揺れている。細められたそれは、確かに歯を食いしばるナツを見つめていた。






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