novel 2

□※愛しいあなたと愛しい夜を
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「ん…っ」

昔からの習慣で、朝早く起きるのはもはや特技の領域と言って差し支えないだろう。
フランはすっかり身体に馴染んだ目覚めに、ふぁ、と小さく欠伸をして眠気を逃すと自分を抱き締める温かい腕に想いを寄せて、すり、と身体ごとその胸に飛び込み寝巻代わりにしているスウェットを握りこんだ。

「あっ良かった、ちゃんと寝てくれたんですねー…」

そっと見上げると、規則正しい寝息を立てて眠る恋人の、テレビや雑誌だけでしか彼を知らない人は絶対に見た事がない少しあどけない寝顔があって、自分だけの特権にきゅうん、と胸が幸せな痛みに締め付けられた。
昨夜はクリスマスのショーの前日リハーサルで遅くなるから、先に眠っているようにと、その前夜二年越しに愛を確かめ合った恋人からお達しがあり、翌日に予定も無いから起きていると駄々をこねたら、朝食を作って、起こして欲しいから早く眠れと、見送る為に立った玄関で朝からとろけてしまいそうな深い口づけを受け、こくりと大人しく頷いてしまった。
遅く眠っても、朝はきちんと起きるつもりでいたし、新聞配達を止めてから夜更かしも出来る体質になっていたので、口づけ一つであっさりと陥落してしまった自分が悔しく、日付変更を過ぎても粘っていたが、そこから二時間程経過した頃には記憶が一瞬ふつりと途切れる間が何度かあって両手を上げて降参して、大人しくベッドに潜り込んだ。
どうやらそれから、帰って来てきちんとベッドに入ってくれたのだと、ほっとする。
頭の中では分かっていても、もしかしたら昔の様に玄関先で蹲っていないかとどこか、危惧している部分があった。
ベルフェゴール自身の事は信じているけれど、心に巣食う心配もまた、深いところで根ざされた本当の気持ちなのだ。 
ちゅ、と起きている時にはまだ自分からは出来ない口づけを、少し緊張しながらベルフェゴールに送り、温かい布団に名残惜しさを感じながらベッドを降りてスリッパに足を通す。
ふかふかと柔らかい素材の物を選んだので然程冷え切ってはおらず、そのままベルフェゴールから借りているシャツを脱ぎ捨てると、すかさず身体に朝の冷気が集まってくる。

「う…さむ…っ」

そそくさと着替えて再び二人揃ってつけるようになったネックレスを慣れた手つきで首に通すと冷え切った金属の感触が一瞬項に走りすぐに体温と同化した。
歯を磨き、顔を洗ってドライヤーで簡単に寝癖を直す。
ベルフェゴールの様に沢山の整髪料を使いこなすどころか、何がどういった用途の物なのかも分からないが、水で整える位なら出来る。せっかくベルフェゴールに綺麗に切りそろえてもらったのだから、なるべく形は維持したい。
リビングに暖房を入れて、カーテンを引けば薄縹の空が広がり、今日もよく晴れそうだと目を細めた。
階下に一旦降りて、新聞を回収して部屋に戻ると、中学時代を思い出して何となく笑ってしまう。
今だから、笑って思い出せるのだという事は、ちゃんと分かっている。
時計を確認して、ベルフェゴールを起こすまでまだたっぷりと時間があるのを確認し、腕まくりをしてキッチンに向かう。
朝食作りに時間をかけるつもりでいたので、早すぎる位でちょうどいい。
フランは材料を冷蔵庫から取り出し、米を洗ってざるに上げると、野菜と鶏肉を手際よく切り分けていく。
トントンと包丁が楽しそうに歌いだせば、あっという間に丸々の野菜が一口大へと変身して小さな山を作った。
土鍋に細かく切った鶏肉と鶏皮、しょうがとねぎを入れて強火にかけ、沸騰させて灰汁を丁寧に掬い取った。
洗っておいた米を鍋に入れ、再び沸騰させて混ぜながら米の花が咲くように一時間様子を見ながら煮込み、塩で味付けをした。
そこで再び、時計を確認するとベルフェゴールを起こす時間まであと少しあったが、ゆっくり朝食が摂れた方がいいだろうと、寝室へ向かえば、やはり恋人は未だ夢の奥深くで遊んでいるらしい。
自分が起きた時よりも、布団にもぐりこみ隙間から月映えのする金色の髪がちらりと流れて、かくれんぼなら間違いなく見つかってしまうだろうと思いながら、床に膝を突き、ベッドに肘を預けた。

「せんぱい、ベルせんぱい、起きて下さーい。朝ですー」

膨らむ羽根布団をぽんぽんと叩いてみたが、反応は返る事なく小さく息をついたあと、少し布団をずらして先程よりも大きな声で覚醒を促す。
夜遅くまで仕事をしていたのだから、思う存分寝かせてやりたいが、今日が肝心の本番なのだからそうはいかない。
ごそごそと、布団の中で音がしたと思ったら、寝起き独特の掠れた声がして、フランが下げた布団を再び引き上げてしまった。

「フランがキスしてくれたら…起きる…」

自分が、朝一番にこっそりと口づけていた事は気付かれていないようだが、起きている状態での口づけなんて恥ずかしさが先だって、出来る訳がない。
フランは何をいきなり言い出すのかとベッドに突いた肘がずるりと滑りそうになってしまった。

「何言ってるんですかー…起きないとー会場入り、早いんでしょう?朝ごはん、もう出来ますからー」
「…じゃあキスして」

あなたは天照大神ですか。
呆れて言うと、なら裸で踊ってくれても構わない、と手を伸ばす事はまずない選択肢が増えた。
羽根布団製の天岩戸を引きはがそうと試みるが、単純な力関係ではまず敵わない。
そうこうしている内に本来の起床時刻がやって来て、フランは宥めすかしてみたが、一向に聞き入れられる事はなく、キスが欲しいの一点張り。
仮病で学校を休もうとする子どもと大差ない意地の強さを発揮するこの人が、近頃海外にも進出を始めたヘアメイクアーティストだとは思えない。
こほん、と小さく咳払いをしてフランはベルフェゴールの頭があるであろう位置に布団越しに囁いた。

「いっかい…だけですからねー…」
「ししっ。分かってるって」

ようやく顔を出したベルフェゴールは疾うに覚醒していたのだろう、小憎たらしい程綺麗な笑顔を浮かべ、ん、とフランが口づけしやすい様に、顔を向けた。
フランはえいやぁ、と思いきって身を乗り出すと、白磁の肌が覆う頬に唇を押し当てて、ちゅ、と可愛らしいリップ音を立て一気に身体を離す。

「こ、これでいいですよねー…」
「えぇ…そこじゃなくて、キスったら口だろ」
「場所の指定はされてませんから、これでクリアですー。ほら、約束通り起きて下さいね。もう朝ごはん出来ますから」

愛くるしい笑顔での勝利宣言に、ベルフェゴールは布団に引き込もうとしなやかな動きで腕を伸ばしたが、するりとかわされ、フランはキッチンへと戻って行った。
仕方なしに、前日に決めておいた服に着替え、顔を洗って髪を整えていく。

フランはベルフェゴールが準備をしている間にトッピング用のねぎや生姜、ザーサイや高菜を切ってから、揚げをかりかりに焼いて、醤油でさっと味付けをした。
テーブルを拭いている時、身支度を終えたベルフェゴールがやってきて、くるりと長い腕でフランを抱き寄せ、自分の腕の中に収めてしまった。

「フラン、はよー」
「お早うございますー。もう出来てますから、座ってて下さい」
「ん、さんきゅ」

ちゅ、と挨拶代わりの口づけをフランへ落とし、ベルフェゴールは席に着くと置かれた新聞を開こうとしたが、朝食が運ばれてきたので、テーブルの端へと戻す。
ランチョンマットを置いて、蓮華を並べ、食事と茶を運んでフラン自身も席に着いた。

「中華粥?」
「ですー。初めてなんで上手に出来たかどうか分からないんですけど」

仕事仲間と打ち合わせの後、重めの夕食を遅い時間に摂っているので、朝は食べやすく、それでいて満足感のあるものを。
ねぎと生姜をたっぷり入れて、身体があたたかくなるように。風邪をひかないように。

材料と共に篭めた想いは小さな胸に秘めて、フランは笑う。その笑顔できちんとベルフェゴールに想いが伝わっている事には、まだ気付いていない。
手を合わせ、揃って挨拶をしてから朝食が始まる。フランは粥を食べるベルフェゴールの姿をちら、と緊張しながら視線だけで追いかけた。
ベルフェゴールは仕事柄、一流、と言われる料理店のものを口にする事がよくあるし、そもそもの出自が以前少し聞いただけだが大きな企業グループの出らしく、選び抜かれた物だけを口にしていた為か、旨味を理解する確かな舌を持っている。
今まで、食事を作って美味しいと言ってはもらえているが、一介の学生である自分が作った料理が本当にベルフェゴールの口に合うのかと思えば自信がない。
ましてや初めて作るものなら尚更だ。

「あ、これちゃんと米潰れてんじゃん。美味い」
「美味しい、ですかー?」
「美味いよ」

笑顔付きで言った感想にほっと胸をなで下ろすフランに、ベルフェゴールは何となく考えている事が分かってしまい、心の中だけで肩を竦めた。
昔からフランは、自分が作る料理が本当に美味しいのか気にしているようだったが、言わせてもらうなら掛け値なしに美味しい。
確かに、昔から一級品の料理を食べているが、それとフランの作る料理はまた違う。
温かくて優しくて、食べると安心する。
自分以上に自分の事を考えてくれて、しっかりと味付けされたもの、するりと胃に優しいもの、その時、身体が欲していたものを察してくれて、口にして初めて自分がそれを食べたかったのだと気付く。
それに、料理自体も丁寧に作られていて、煮物を作る時は火の通り方を考え、材料の大きさや火にかける順番をきちんと変えているし、味噌汁を作る時は実によって、出汁の種類を変えていた。
食べて、こんなにも優しい気持ちになれる食事を自分は知らない。

「これいいな、又作ってよ」
「本当ですか?嬉しいですー。又、いつでも作りますー」

だが、こうして感想を伝えれば疑う事なく笑顔で受け止めてくれる事も知っている。
ふぅ、と息を吹きかけ冷ましながら、中華粥を食べるフランの表情は柔らかく、朝の陽の中、満たされていた。
朝食を終えて、ベルフェゴールが新聞を読む傍ら、フランは食器を洗う。
キッチンカウンターの向こう側に居るフランを新聞越しに、じっと見つめてみると、顔を上げどうしたのかと首を傾げる姿が、探し物をする子猫といたく似通っていて思わず、くっくと笑ってしまう。

「何ですかーいきなり人の顔見て笑うなんて失礼ですねー」
「や、気にすんな。悪い意味じゃねぇから」
「…気になりますよー。もー…何か碌でもない事考えてる証拠ですー」

じっとり目をすえるフランに、こちらからも穴があく程目線を定めた。
暫く無言で見つめ合えば、ざぁ、と水が流れる音だけがして、かち、と時計が針を進めたのと同時にお互いが噴き出して笑ってしまう。

「お前の負けな」
「負けてませんよー。せんぱいが先に笑ったんですから、ミーの勝ちです」

食器を洗い終えると手を拭き、近くに立つフランの腰に腕を回してエプロンの釦を外し、肩から紐を滑らせて床に落とした。
ベルフェゴールは正面に向かい合う形に座り直すと、片腕でフランを抱きとめたまま服の裾をする、と捲くりあげて白く、うすづくりな腹部に頬を寄せ、平均より低めな体温を愉しんだ後、唇の先だけで触れた。

「ぁ…っちょ、せんぱい…駄目…っ」
「やだ。仕事行く前のフラン補充」
「や、ぁ…っせんぱい朝ですーっ今は朝…っあっ」

ちゅう、と吸い上げてからぺろりと舐め上げ、抱きとめた指先でしなる腰を下から上へ、つ、となぞる。
ばしばしとベルフェゴールの肩を叩いていた手から徐々に力が抜けて、きゅう、と襟元を掴むに留まるようになったのに気を良くして更に服を引き上げ、舌全体で滑らかな肌を味わった。
唇でなぞる度にひくりひくりと痙攣を繰り返す腹部に更に顔を埋めれば、甘い香りがして、食事だけでは満たされない部分の空腹をかんじてしまう。

「は、ぁ…っせ、ぱい…だめ…っじかんっじかん、が…っ」
「ん、もうちょいだけ…」
「ふぁ…っ」

くったりと全身から力が抜けてしまいそうなフランを膝の上に抱き上げ、口づけを交わした所で、部屋を出る時間になり、渋々ベルフェゴールは身体を離した。

「…もうちょい早くすれば良かったな…」
「な、にを馬鹿な事言ってんですかーっほら、遅れちゃいます」

服を元に戻し、エプロンを拾い上げるとフランはベルフェゴールのコートとマフラーを持って、玄関に見送る。
後ろから、ベルフェゴールが腕を通しやすいようにコートを広げ、靴を履いた所にくるりとマフラーを巻いた。

「寒いんで気を付けて下さいねー」
「ん。今日はショー終わったら早めに帰れると思うから。もし七時過ぎても俺から何の連絡もなかったら、打ち上げかなんかで捕まってるから電話して。そのまま抜けるし」
「えっいいんですかー?ミーの事なら気にしなくても…」
「いいの。仕事はちゃんとするし、打ち上げ自体も、クリスマスイブで来ない奴多いと思うし」

携帯端末や財布、仕事道具等の忘れものがないかを確認して、ベルフェゴールはフランを抱き締めると、耳元に唇を寄せて、甘く囁いた。

「な、俺さクリスマスに欲しい物あんだけど、くれる?」
「み、ミーで用意出来る物、なら…っ」
「じゃ、今日は頑張って帰るから。イイコにして待ってろよ」

ちゅ、と耳殻に口づけた後、フランを仰向かせて出立の挨拶には濃厚な口づけを交わし、名残惜しげに身体を離すと、ベルフェゴールは玄関の扉を開いた。

「んじゃ、行ってくるわ」
「あっせんぱい、プレゼントって…っ」
「帰ったら言う」

に、と最後に愉しげな笑みを残して、仕事に向かうベルフェゴールを見送ると、フランは首を傾げてベルフェゴールの欲しがりそうな物をあれこれと考えてみる。
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