novel 2

□※アンタッチャブル
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「ん…ぁんっ…ぁっあぁっせん、ぱい…っ」
「フラン…っぁ…っく俺、は…」


頭が、痛い。
覚醒に向かう感覚が訴えかけてきたのは、深まる寒さと共に比例する布団への未練でもなければ、最早職業病ともいうべきその日の任務を朝の目覚めと共に思い出すという癖でもなかった。
頭痛。それも半端ではない程の。
頭の中でがんがんと鐘を直接鳴らされている様な、スクアーロに耳元で叫ばれている様な。
どちらにしても碌でもない事だと、フランは上下共に離れたがらない瞼を無理やり別離に導き、見慣れた筈のアジトの天井をぼんやりと見つめていた。

「…ぅっ頭…っあ、今日、やす、み?」

何がどうしてこんなにもひどい頭痛に襲われるのか。
風邪をひいた訳でもないのにおかしな事だと思いながらも、その日は偶々休みであり、日頃から書類整理を小まめに行っている為、急ぎの仕事もなかったため、とりあえずもうひと眠りしようと布団を引っ張り、ごろりと横を向いた所で視線はかちりと固まってしまった。

「…っは?」

つい今しがたまで眠りに引き寄せられていた思考はおろか、一瞬激しい頭痛すらが彼方へ追いやられる程にその衝撃は大きく、日頃感情の波を荒立たせる事の少ないフランを動揺させるには十分だった。

眼の前に、人間の腕があったのだ。

只、腕があるだけならば驚きはしない。暗殺部隊に身を置いているのだから腕はおろかもっと目の覆いたくなる様な惨状を目にした事もあるし、自身が造り出した事も少なからず、ある。
身体の一部たりと残れば良い方で、下手をすれば欠片も残らない程さっぱりと、一瞬でかき消されてしまう事もあるのだから。
それを鑑みればその時、フランの眼の前にあった腕は細かな傷が目だってはいたもののどれもが古傷ばかりで血が流れていた訳でもなければ腐り落ちていた訳でもない。
それどころか白磁の肌にうっすらと血管の透き通り骨ばった手首へと連なり、そこから芸術のように長く、細い指先を持つ腕ははっと息をのむほどに美しい。

だが、今はそんな事どうでもいいのだ。
気にするべきは現状を把握し、これが一体誰の腕で、どうして自分はその腕が見える位置で眠っているのかという事だ。

暫くの間フランは考えていたが、このままでは埒があかないと判断し、心の内で動きを取るためのカウントダウンを始めた。
三、二、一…。
がばりと身体を起こして体術の構えをとったフランの目にはまたしても予想のつかなかった光景が飛び込み、それと同時に身体に痛みが走る。

「…え、ぁ…っつぅ…っ痛…っ」

真っ直ぐに伸ばされた腕は千切れる事もなく、自分の頭があった場所を通り、更に反対側へと伸びていた。
覚悟を決めて反対側を向いたフランに、今日目覚めた時以上の衝撃が駆け抜けていく。

「誰…っえっあ?」

そこに眠っていた人物に翡翠の瞳を限界まで見開くと、呼吸すら忘れてじっと視線を注ぎ、意識の総てを奪われる。それ程に美しかった。

カーテンの隙間から細く入り込んだ陽の光を受け止める白磁の肌。
金細工の様な髪は緩く跳ねて陽射し以上に眩しく、光を放ち仄暗い室内で尚輝きを失わずその存在を主張していた。
閉ざされた薄い瞼と呼吸にあわせて震える扇形のけぶるまつ毛はその下に瞳を閉じ込めていながら決してその端正な顔立ちを隠してはいなかったし、すっと通った鼻梁は計算されつくした造形物のように完璧な高さだった。
薄く開かれた唇からは寝息が零れ、呼吸に合わせて筋の通る喉元が上下する。
水平に整った鎖骨から胸元へとしなやかな筋肉が覆っていた。

「ん…あれっえ、えぇっ…っ」

美しさにばかり気をとられていたフランは隣で眠る人物に直ぐ様確信へと変わる既視感をもち、だけれどどうかそうであってくれるなと願いを抱きながら恐る恐る掌を翳して瞼を隠すとそれはもうこの上ない決定打となり、フランの心を貫いていった。

「ベル…せん、ぱ、い…っ」
「…んぅっ…うるせ…何だよ…」
「…っ」

隣で騒ぎ立てていたフランのせいで起きてしまったらしいベルフェゴールが寝起き特有の掠れた声を上げると、フランは咄嗟にベッドから飛び降りるが、頭痛と身体にへばりつく痛みと倦怠感で体勢を崩し、その場に膝をついた。

「…痛っ…っ」
「フ、ラン…?」

完全に目を開いてしまったベルフェゴールはそれでもまだ思考が正常運転を始めておらず、ぼんやりとしていたが軽く首を傾げると口を開き、朝一番からフランへと爆弾を投下した。

「…お前、寒くねぇの?」
「え、あ…そ、いえば寒…っえあぁっ」
「うるせ…っ」

ベルフェゴールの指摘に自分の姿を今日初めて確認したフランは朝から数えるのも馬鹿らしい位に覚えた動揺をここでも痛感し、がばりと両腕で身体を抱き締めた。

何がどうしたのか、一糸纏わぬ姿で眠っていたのだ、自分は。

その上、未だベッドの上で上体だけを起こすベルフェゴールも少なくとも目に見える部分は何も羽織っておらず、その事がフランを更なる昏迷へと叩き落としていく。
ふつりと途切れた記憶の糸を手繰ろうと纏まりを欠いた思考を集めてはみるが未だ激しさを失わない頭痛と腰痛がそれを阻んでいた。

頭痛、はともかく…腰痛?
その上、内腿が筋肉痛を起こし少しではあるがひきつれる感覚があり、全身が気だるい。

『…いてぇ…抱いてぇっせんぱい…っ』

「…っミーっ」

一気に体温が上昇して頬に熱を帯びた後、まっ逆さまに急下降して青ざめるとフランはぺたんと両手を床についていましがた脳裏をよぎった記憶に言葉を失った。
幾ら否定したくとも、腰痛と倦怠感、一糸まとわぬ状況で床を共にしていたこの状況。
何よりも先程思い出してしまったみっともない自分の言葉とそれに引き寄せられる幾つかの光景に今更どうあがいても否定等出来る筈も無かった。

自分は、ベルフェゴールに抱かれたのだ。
というよりも、泣き縋って抱いてもらった、と言わねば誤解を招く。

『…ねぇ、一回だけでいいですからっ…』

「…あ…あぁ…っミーは…ミー、は…」
「…おい、フラン…?」

酔いのままに伸ばした腕。
自分の言葉に戸惑った表情を見せたベルフェゴール。


床に手をつき俯いてしまったフランを不審に思ったらしくベッドから降りたベルフェゴールも当たり前に一糸まとわぬ姿で。
自分に伸ばされた指から後ずさってのがれ、フランはあたりに散らばっていた衣服をかき集め頭を下げた。

「すみません…っ昨日のは全部嘘なんです…っ」
「…はぁ?」
「あの…お酒の勢いで思ってもいない事をしちゃって…えっと…そう、ちょっと興味があって…都合がいいのは分かってます…けど、全部無かった事にして下さい…っ」

それきり、はぁはぁと荒く乱れたフランの呼吸だけが響き、酸素を二酸化炭素変え過ぎてしまったのか息苦しさだけが部屋全体を包み込む。

「嘘…?興味…?昨日の事、全部無かった事にだと…?」
「はい…っ本当にすみませ…」
「出てけ。服着て今すぐ出て行け」

身体の芯から冷え切ってしまいそうな一言を発してベルフェゴールは再びベッドへと潜り込み、フランに背を向けた。
フランはかたかたと震えながら必死に服を着ようとするが、ボトムの釦を留める事すらままならず、ファスナーだけを上げてシャツを着る。シャツが裏表逆になっている事に気付いたがどうでもよくて、不格好ながらも身なりを整えると今一度深くベルフェゴールに頭を下げた。

「ほん、とに…迷惑かけて…すみません…っ」

立ち上がった時、腰からの痛みに顔を顰めるが座り込んでしまう訳にいかず、ばたばたとベルフェゴールの部屋を出て、縺れる足で自分の部屋に転がり込むとその場で四つん這いになり額を絨毯へとすりつけた。

どうしようか。
どうしようもない。
怒って当然だ。酔った人間に鬱陶しく縋りつかれて泣かれて。
その上、抱いて欲しいとせがまれて朝になってその総てを無かった事になどと。

『…い、じゃないですか…一回くらい…どうせミーだって初めてじゃないんですから』
――おい、お前酔ってんだろ。冗談でもタチ悪いぞ。
『酔ってますよ…でも、嘘じゃないんです。別に付き合って欲しいだなんて言いません、から…っ』
――こら、馬鹿な事言ってんなよ。
『いいです、馬鹿ですから…。好きな人じゃなくても、別に良いっていう位馬鹿、なんです』

そこでぷっつりと途切れてしまった記憶の糸。
頭の中に昨夜の状況がぐるぐると落ちて来て時系列に並んでいく。
フランは何とか立ち上がり、冷蔵庫からミネラルウォーターを取りだすと、いつもの様にグラスに注ぐ事もなく、ペットボトルの状態から直接、口にすると未だ納まらない震えの為に持つ手が揺れて口端から水が伝い落ちた。

額を手で押さえ、脳内に走る記憶を整理しようと息を吐いた。
昨夜は例の如く、ボンゴレ式何とかの日で普段の夕食以上の食事や酒が振る舞われ、それぞれに楽しんでいたのだ。
騒がしい場所が苦手なフランも周りに居るのは勝手知ったるヴァリアーの人間達であったし、幹部になってからというもの、いまいち主旨の不明な催事にもいい加減慣れてしまい、特に害はないのだから美味しい食べ物を好きなだけ食べればいいという結論に至っていた為、その日もいつもと同じように皿一杯にルッスーリア手製の食事を盛り、テーブルの一角を陣取っていた。
そこに機嫌よさげに笑うベルフェゴールがやって来て隣に座り、珍しくナイフを投げもせずに自分に笑いかけてくれる姿に緊張してしまって、誤魔化したくてひたすら度数の高い酒を飲み続けた。
そこまでは覚えている。が、問題はおそらくその後だろう。
うっすらと幹部の居住空間の廊下をベルフェゴールに抱えられて歩いていて、その温もりに泣きたくなって、苦しくて。
あぁそうだ、自分の部屋まで歩けないと駄々をこねてベルフェゴールの部屋で休ませてもらったのだ。
そして、あの記憶。

「何…って事を…っ」

フランはキッチンの床にがくりと項垂れると途端に滲む視界を抑えようと乱暴に目元を擦った。
だが、目が痛くなるほど強く擦っても直ぐ様瞳には薄く膜がはり、手の甲を濡らして遂に流れ落ちたそれはまぁるい雫となり床にぽとりと小さな小さな海を作った。

「ふぇ…っせ、ぱい…ごめん、なさい…っ」

昨夜、迷惑をかけてしまった事に。
今朝、その事で更に気分を害してしまった事に。
何より、縋りついた自分の気持ちを理解してしまうこんな馬鹿な自分である事に。

ぼろぼろと零れる涙を拭いもせずに茫然としながら勝手な事をしたくせに、きりきりと痛みを訴える心臓を抑え、ぎゅっと瞳を閉じた。

『どうせミーだって初めてじゃないんですから』
嘘。
『思ってもいない事をしちゃって』
嘘。
『ちょっと、興味があって』
嘘。
『好きな人じゃなくても、別に良い』
全部、嘘。

「せんぱい…っせ、ぱい…っく、ぅ…ごめんなさい…ごめ、んなさい…」

くぐもった声で謝罪だけを呟くフランは肩を震わせ全身を覆う倦怠感と無力感に心すら攫われてしまいそうだった。

いつからか心の内に芽生えた仄暗い願い事。
それは日に日に成長し、膨れ上がって只、自制心だけで抑えつけていた。
最初は許されない事だと理性が判断していた。
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